第1話 鋼の刃は急転直下の烈風と ④
「申し訳ありません、慧恋さま。あらかじめ言っておくと抵抗されるかもしれないと考えまして。その方が危ないですから」
それは場合にもよるだろうという文句は言葉にはしなかった。アルトは慧恋を観察して最善の行動をとってくれたのだろうし、すでにアルトの意識はピラーへ向いていたからだ。
残すところ屋上の六体のみだ。慧恋のデバイスとアーツの支配から解放されて今は自由に動き回っている。そのうち一体が縁へと移動し、アルトたちに気付いた。情報連結によって全機から狙われることになる。
「そもそもとして、なぜあれらが私を狙ってくるか、なのだが。シャーリィ先生に限ってコード発行をエラーしたとは考えられない」
アルトは自分にとって危険ではないことは何となく分かった。信じたと表現してもいいかもしれない。危険どころか慧恋を守ってくれる存在だ。その目的を尋ねる余裕は慧恋にはない。急展開過ぎて頭から飛んでしまった。
だが甲虫エームは危険だ。本来は安全を守る警備用のエームであるものが命をおびやかしている。これはどうにかしないといけない。
「僕にも敵性反応を出していました。彼等のスペックカタログをダウンロードして閲覧しましたが、確かに逃げられそうにないですね。優秀だ」
お前の場合は自ら敵として立ち向かったからだろうが、と慧恋は一瞬思ったが、あのエームがおかしいことには変わりはない。何もしていなくても慧恋は襲われたのだし、結果は変わらなかっただろう。
「逃げる気もないんじゃなかったのか?」
「そうでした、容量の無駄でしたね」
アルトが首を傾げる。その仕草の意図を図り損ねて一瞬戸惑ったが、これからしようとすることを考え、慧恋は顔を赤らめた。
慧恋はアルトの首に腕を巻きつける。そうすることで体がより密着しただけでなく顔も近い、恥ずかしい。傍から見れば慧恋が抱きついているようなのだ。見る傍など機械以外はいないのだが。
「わっ、ちょっ、と!?」
慧恋はアルトの右側からしがみついている。そうすることでアルトは左手に余裕ができていて、大剣を再び携えている。盾と相まって左に武装が集中した。
そして右腕で慧恋の体を支えている。手は腰より下、太股より上の辺りの、スカートの中にあった。
オーナーを教えろ、訴えるぞ、と叫びかけたところで慧恋は気付いた。慧恋は人間で、アルトはヒュームなのだ。あまりに人間じみたそのかたちに、勝手に慧恋がありもしないものを感じているだけで。
それに彼は慧恋を守っている。理由は分からない。信頼させて油断したところを何かしないと言い切れない。その考えを頭から追いやるほど慧恋は迂闊ではない。それでも、今のこのセクハラ紛いの行為は慧恋を守るために最高だと考えてのことなのだろう。仕方がない。今はなされるがままにするしかないから。
「慧恋さま。この布面積では、僕はちょっと心配です」
慧恋にはそれがスカートの中のことを言っているのだとすぐ分かった。
「よぉし分かったオーナーを教えろ、話があるっ。とにかく今すぐこの手をどうにかしろ!」
ヒュームは情報を記録する。だがさっきの警備用のような意思を持たない人間の道具としてのヒュームを別として、集められた情報は例えオーナーであっても勝手に扱うことは許されない。公の場を歩くヒュームには一定規格以上の情報保護プログラムの搭載が義務付けられている。それは人間側の都合だ。加えてヒュームの特殊人権の保護、秘密にしたいことを秘密にできる権利が、ヒューム側にはある。
慧恋もそんなこと百も承知だ、基礎知識だ。だがこの目の前にいるアルトの手で辱められているという直接の体験に情報云々などを挟む必要はないと感じた。たとえ機械でも人の手の形をしているのだから。
世界が揺れる。もちろんアルトが動いたからだが、いささか急だった。
外壁に乗り出した一機のヒュームが背中の装甲を開き、長大な主砲を海の上に浮くアルトたちにむけて、およそピラーの長さほど離れているというのに、慧恋が思わず目を閉じて体を縮めるほどの砲声を轟かせた。
アルトの盾が展開し、わずかに碧色の光が漏れる。翼の無機質な装甲の隙間からもぼんやりと同じような光を感じたのが、慧恋が目を閉じる前に見たものだ。そのあとは空を切る音と何事もない身体の感覚の違和感を感じたのみだった。
アルトは盾だけでなく大剣を慧恋の体にかぶせるように構え、上昇していく。その速度のまま直近のエームを斬り上げる。そして五つの砲口を向けられたアルトは背中を向け、銃声をその背中で感じながらも一発も受けることなく、ピラー屋上のある地点へ慧恋を降ろす。
「ここにいてください慧恋さま。やつらが僕をロックしている限り安全ですから」
そう言われて慧恋が立った場所は、ついさっき爆発して崩落した窪み。体一つくらい低くなっているので、屈んでいれば屋上からは狙いにくい。
「お、おいアルト……」
これ以上何かが起こるとは考えにくいが、変色して歪な場所にいて不安が襲う。アルトは機械的に安全だと判断しただろうし、慧恋もデバイスでサーチすれば爆発物の有無など簡単に分かる。だけど不安は不安で、うっかり弱々しく声を上げてしまう。
アルトは屋上へ降り立つところだった。優しい笑顔を慧恋に見せながら。彼もわかっているのだ。慧恋も、その笑顔が見たかったのかもしれない。
床に足をつけ、展開していたコルブランドが待機状態へ移った、そのとき。
「……ぅお? っとと……と」
よろけて、転びそうになったところを大剣を引っ掴んで地面に刺して支えとして、転ばずに済んで「ふぅ」と無い息を漏らす。またピラーに傷が増えた。
「おいアルト…………大丈夫か?」
「あぁっ、いえいえ……、ご心配なく。ちょっと不慣れなもので」
そう言って顔を赤らめながら、背中のデバイスのロックを外す。巨大な翼はなかなかに盛大な音を立てて落ちる。それだけの重さがあったということだ。さらに大剣を中段で構えるが、何だかふらふらして危なっかしい。
「不慣れとか……いきなり不安なのだが。バランサーがおかしいわけではないよな、さっきまで空飛んでたし」
「でもこれで軽くなりましたから、軽くあしらってきます」
それだけ言い、大剣を片手持ちの構えにする。アルトの纏う風が変わる。
「アーツ…………は、無理か。仕方がない」
アルトたちから最も離れたエームを見ながら柄を弄ぶようにした後、再び両手持ちに、剣の切っ先を下に。
そんな様子をこの場の全てが見ていて、それを隙だと判断した近くのエームがクワガタの顎を思わせる刃を煌かせアルトに襲い掛かる。
アルトはすばやく剣先を少し上げる。甲虫型エームは突っ込む勢いのまま貫かれて機能を停止した。それを囮として砲口を向けた後方のエームに向けて、剣を振って串刺しにしたエームの残骸を飛ばす。ぶつかって二機はぐしゃりと潰れる。
残り三機は統制を失ったようにアルトを狙うでもなく動き回る。アルトは振ったままの左下段の構えで側にいたエームを水平に斬り、背中を晒す間もなくムーンサルトの要領で跳ね上がり、慧恋寄りの一機を床ごと刺し貫き、また跳んで重力プラスの威力で兜割りにて最後の一機を終わらせる。
爆風や破片はすべて慧恋へ及ばないことを最優先で防いでいた。
「か、……軽すぎるだろう」
慧恋は一応、ただで見ているつもりはなかった。電子攻撃の準備もあったし、不意打ちの際に危機を知らせるつもりでいた。終わってみれば何の心配もなく、ただアルトは強かった。
いや、彼にとって、こんなものは戦いでさえなく、
「はい、もう安全ですよ、慧恋さま」
簡単な作業だ。何一つとして、苦戦だった状況はなかった。強いて言えば慧恋だけが足手まといだった。




