第3話 吹き荒ぶ想いの剣と慟哭する毒の涙 ⑬
ここにいるはずがない。それどころか、安静にしていなきゃいけないはずなのに。
アルトは姉妹の脇を通り過ぎて剣龍慧恋その人であることを確認する。
いつもと、何ら変わりないといった表情をしていた。記憶の殆どを占める、強い少女の顔だ。だけどもうアルトには、それが強がっているのだと分かる。
なんと言ったらいいのか分からない。想いの支流が混ざって濁って、最適なものが分からない。
すると、とん、と胸に軽い衝撃があった。慧恋が密着していた。顔は押し付けられて、見えない。手はきゅっときつく服を握りしめる。アルトには、慧恋がどんな表情をしているのかが分かった。濡れた息が熱い。
「…………なぜ」
戸惑いに似た声音で尋ねる。意味を削ぎ落とした言葉。
―――感情を殺して、役目を
―――感情に任せて、役目を
どちらもひとがひとたりえる業だ。
慧恋が離れる。そこにはいつもの少女がいた。アルトが頷く。慧恋は微かに笑って、アルトは覚悟を秘めた神妙さを湛えるものだ。
まるで湖の中にいるみたいだ。
慧恋が持っていたものの布を解く。
「アルト!!」
二人にむかって、殺意の水塊が襲った。弾けて、水煙が視界を奪った。
「これが」
水を斬り裂いて二人を守った剣が、闇を照らすような光を放つ。鍔のない、奇特な剣。一縷の迷いもなく、真っ直ぐであることを印象付ける刃。全身が白く施され、奔るように、割るように、結晶が迸るほどの碧色。
これがアルトの剣『カリヴァルヌス』。
「……まだやりますか、二人とも」
剣を下ろしながら、静かに問うた。軽蔑の意思はなく、ただの確認。
斑は黙っていた。ただ好戦的な瞳の炎は消えているように見えた。汗が頬をつたう。
「もちろんです! 私たちはやるです! こんなところで負けちゃったら……絶対にダメなんです!」
誘里は噛み付いた。全力を容易に防がれて動揺はしたものの、それを敵意で覆って、戦う意思は燃やし続けた。
アルトは意思を汲み取る。
「僕はナンバー6、『PNex-M0602』剣龍アルト」
「……私はナンバー13、『LHMR-M13a13』戒童――誘里」
二人が互いの領域を主張するように、風と水が対峙して舞った。碧と蒼はもはや粒子ではなく。暗空を裂く星の束のように、二つの世界がぶつかって膨張した。
アルトと誘里は同時に飛び出し、斬り結ぶ。斬りあい、斬りあい、そうして人間たちから距離をとっていった。
慧恋が前に向かって手を伸ばす。すると床や壁や、残っている天井から板がせり出し、またそれ自身が剥離して増殖して、ヒュームと人間を隔てる障壁となった。
斑は驚きのあまり笑えてきた。これは建物の防火戸や、対侵入者用の隔壁の機能を、建築材に個別に与えたもので、本来の機能である。しかし斑は管理者権限でその機能を切っていたのだ。
「……機士のバトルドレスを纏うだけはあるな。さすが、といったところか、“七つ星”」
「元・七つ星だ」
斑はフォルトナ事故を正しく認識していない。事故の前後で慧恋の様子が大きく変わった、と妹から聞かされた程度だ。慧恋のいまの言葉が、今は星に足るほどの実力はないと言っているようには感じられなかった。自分の五つの星は、義足のことを隠しての評価で、それは誘里も同じ。戦闘用であることを隠しての評価だから、正しくない。実際にやってみなければ分からないのだ。慧恋は誘里の毒に侵されているはずで――しかしそれはまた、別の不安を生む。
「誘里がアルトくんを止めている間に、私が慧恋さんを人質にとりさえすれば、それで私たちの勝ちだ。彼は君を危険にさらすことはしないだろう」
地下道で誘里が成功してれば今こんなところでこんなことをする必要はないのだ。アルトと正面でやりあって、神機録を奪うよりは手間が少ない。
「誘里じゃアルトに勝てないと?」
相手に尋ねるのは甚だ奇妙なものだと思ったが、慧恋は人間の戦いしか目に入っていないかのような斑の物言いに苛立ちを覚えた。
「誘里は強いように見えたが」
斑は心なしか目を虚ろにして、それでも自分の意識で動かせる範囲でもったいぶった風に言う。
「“ユウリ”のために、戦うんだよ、“私たち”は」
「……なに」
「さっき、開口一番尋ねてきたじゃないか。なんかごちゃごちゃして答えそびちゃったから、今、理由を言ってあげたのに」
「ちょっと待て……、よく分からない……」
頭が痛くて理解力が働かないのか? いや、多少はそうかもしれないが、戒童斑の言っていることは難解な、というよりは底の見えない闇のような、一つさえ分かれば全部見えるのに、だからこそそこに隠れるものが自分ごときが触ってはいけないものな気がして、たじろいでしまう。
斑は、“誘里”のために戦い、“誘里”は、“誘里”のために戦う。そんな自分本位な娘ではないはずだ。矢印の向きが分からない。空白がある。名前は云っているのに。見落としがある。
「多くは語るつもりはない。同情を誘うつもりもないし、私たちはユウリのためにアルカナを揃える必要がある。それだけだよ。誘里を信用しているとかそんなことは、……どうでもよくて、結果さえ獲れれば、それでいい」
覚悟を表明されて、その敵意が己に向けられているというのに、慧恋は恐ろしさを感じなかった。戒童斑という女はこう言うべき、という言葉を喋っただけで、座標は同じなのに、何かがずれている。間違いなく彼女のものだった目的は、義務感でないと表出できない。そうなる理由、夢が風化するのは、時間がそうさせるのだと、慧恋は彼女より短い人生でも経験がある。
斑とは別段親しく話す仲ではなかったが、ここまで雰囲気をシリアスにさせるのは、粉っぽい空気と暴風雨が尋常を演出するからか。壁の向こうから聞こえる剣戟が、対峙する二人の戦いの意思を逃がさない。
「さっき、あなたが言ったことだが。あちらの戦いがどう決着するにせよ、こちらで勝てばすべて終わる。そうだな、……誘里は姉を危険にさらすことはしない」
斑はうなだれて、遠い目をしていた。
「そんな設定は……あったかな……。私は、ただ、ユウリを守りたかっただけなのに……」
「投降するか?」
「まさか」
にやりと口を歪めて笑って、思い切り震脚をして体中に力をこめた。膝をあげてプラズマ砲を展開する。
慧恋は初めて見たそれが、どういう兵器であるかを即座に察し、横っ飛びをして転がりながら収束砲を回避する。
慧恋もつられて笑い、余計な考えは頭から消え去った。




