第3話 吹き荒ぶ想いの剣と慟哭する毒の涙 ⑧
風と水が争いあっているようだった。台風が接近しているのだ。ここ百年で設備と対策は万全に為され、脅威としての認識を外れたものの、それを屋外で生身で受けるとなれば話は違う。一歩外に出れば、原始時代と変わらない剥き出しの天候を味わえるのだ。
景色は灰色だった。アルトはまさに渦の中を飛んでいる。雨と風を、自分の風で割って進む感覚は、まさに行く手を阻むものを押しのけるそれだった。劣悪な視界の中を迷わずに飛んだ。
一つの障害もなく、第二蒼柱の屋上へたどり着く。最初の日を思い出すと何かしらが迎撃に現れてもおかしくはなかったが、物影ひとつ見当たらない。
アルトの足元にはエレベーターブロックが埋まっている。正式なコードを持つものならそれを呼び出せるが、持っていなかった。借り忘れたといってもいい。シャーリィの気の利かなさに少し嘆息すると、手持ちのカルンウェンハン四基を全て、エレベーターブロックを囲むように突き刺す。オーナーのScar’s crownの真似事だ。この程度の作業なら造作もなく、体を動かすこともなくこなせた。
せりあがってきたブロックに、手元に戻したカルンウェンハンを従えて身構える。開いた扉の中に何もないと分かると身をすべらせる。扉が閉じると風雨の音光は完全に遮断された。ブロックはピラーに呑み込まれ、動いている感覚もなくエレベーターはすぐに一つ下の最上階へと到達し、扉が開く。
それにタイミングをあわせたように。
真っ直ぐこちらに向かってくる超高圧縮の水の砲弾と、その奥にいる“蠍”が見えた。
“蠍”の尻尾型デバイスは激しい蒼色の光を放ち、先端より発射された水流は、口を開けたエレベーターへ吸い込まれた。その威力と鋭さはアスファルトの壁くらいならば容易に貫くものだ。さながら爆発のように、火薬は使っていないから飛沫と霧が煙の代わりを果たした。
視界が晴れるとそこにはアルトが傷一つなく立っていた。浴びた水が汗のように滴る。
アルトはその回避不可能の攻撃に一瞬で対応していた。漂わせてあったカルンウェンハンで形作った枠にプライウェンⅡを正面に構える。強固な『破魔風』の壁に、水流はデバイス本体へ到達もできずに、ただの水飛沫となっていた。
だが間違いなく、対応が一つでも誤っていれば無事では済まなかったと直感し、かけないはずの冷や汗をかいたのだ。
アルトが降りた場所は重要施設が入り込む中央シャフトの周りのドーナツ状のフロアだ。ドーナツ状の空間に区切りは一切なく、天井の高さも相まってかなり広大な空間だった。マップ上は空白のこのエリアは、ピラーが本格的に稼働すれば簡易建築材で区切って、人が働くようにオフィスや宿舎の役目を付加される。
細長いピラーの中にいることを忘れそうだ。“蠍”とはかなり離れているが、動きを見逃すまいとした。カルンウェンハンは衛星のように動き、機を窺う。
“蠍”はゆっくりと歩き出した。アルトは動かなかった。地下道で感じたように、“蠍”から悪意ではないものが流れている気がしたのだ。“蠍”は向かってきながら、甲冑のような装甲のロックを外し、重力に任せて無造作にがらがら落としていった。
「お前はいったい…………」
困惑に似た声が漏れる。“蠍”はそれを無視して次々に装甲を脱いでいく。
ヒュームに対する欺瞞装置が働いているらしく、人間が目で見た程度のことしか分からない。
既に甲冑の類は殆ど脱ぎ去っていた。残ったのは蠍を思わせる凶悪な鋏、腰から延びる毒の滴る尻尾針と、体に巻き付いて性的に胸を強調する節足のような最低限の装甲、そして蠍の面。いずれも蒼色の結晶が散りばめられていた。禍々しさと毒々しさを兼ね備え、しかし華麗でもある。
そして“蠍”の中身――。瑞々しい少女の肢体だ。体のラインをはっきりさせるボディースーツを身にまとう、愛玩用の人型ヒュームだ。
“蠍”が自身の顔――仮面に手をかける。ロックが外れてゆるみ、人間の輪郭が垣間見えた。そして“蠍”は、外した仮面をアルトに向かって投げる。ただの目くらましだと思った。視界で大きくなる仮面を、風を軽くまとった腕で払いのける。奇襲のようなもので、だからこそ行動パターンは狭い。正面から“蠍”は来るはずだった。
姿勢を低くして駆けてくるそれに、アルトは最初、ただ茫然とした。
「誘……里…………?」
目の前には、誘里がいた。
誘里がどうしてここにいるのだろう。記録を辿れば、ここは彼女の姉が少なからず関係している場所なのだから、不自然なことではないかもしれない。
これは本当に誘里なのだろうか。自分の知る彼女というのはいつも爛漫で、難しいことを嫌って笑顔を振りまく女の子だった。こんな――、無表情で、鋭い意志をもって友人に刃を振るう子ではない。
振り抜かれた左の鋏がアルトの腹部を狙う。空中を動く短剣が受け止める。すぐに振り下ろされる右の鋏は盾でしのいだ。金属のぶつかりあう音も火花もなく、圧縮された空気が爆ぜる。
「動揺すると思ったのです」
苦しい表情をしながら、アルトが的確に動けたのは、ヒュームであるからというよりは、目の前のこれが、敵だからだ。だがその敵は、今、暗に認めたように、誘里だった。自分に嘘はつけない。自分の機能が、目の前のヒュームは誘里だと云っている。
「……それがわざわざ正体を明かした、理由ですか?」
「そう……です!」
押し込まれる、あるいは押し倒されると直感し、その力を利用し受け流すように飛ぶ。真後ろに逃げては壁につかえるので、曲面に沿うように。しかし誘里の力がそれだけ凄まじかったか、思うほどうまく身ごなせなかった。なかば吹き飛ばされるかたちとなる。
「Spread-Link System→StripeBark」
海の中だと錯覚するほどに鮮烈な、蒼色の粒子が渦巻いていた。
「アーツプログラム。アクティベート、『アシッドランス』っ!」
獲物を狙う肉食獣が如く四つん這いになり姿勢を低くし、蠍の尻尾の先端を向ける。割れるように展開し、砲身があらわれる。そしてここへ降りたときに見たのと同じ水砲が放たれた。
アルトは他の何ものでもなく、自らに風をぶつける。掠めた鋭い水の槍は壁に大穴を空けた。外から激しい雨と風が吹き入ってきた。それを横目にしながら、両の足を地につける。アルトの髪を揺らす台風の風は誘里には届いていないようだった。
「…………誘里」
誘里が敵だったというのは確かに衝撃的だった。
「……あなたは僕にとって、何なのでしょうか」
無表情を超えて、悲壮感に満ちてさえいる誘里に話しかけていた。彼女の悪意は、どこか膜をはったように遠く霞んでいる。
「……まず、アルトくんは私にとって、神機録を奪う対象です。そして、私はアルトくんにとって、敵です。……きはははっ」
誘里は、笑った。凶悪さを形作って、意味を歪ませて。
「私からも一ついいです?」
アルトは沈黙をもって是とした。
「どうして来ちゃったんです」
理由を。
ここへ来た目的を要求された――
――以外に、何かを、誘里は云ったように聞こえた。難しい言葉を、意味を嫌う彼女の、見たこともない思いつめたような狂気じみている表情の奥に、いつもの誘里が透ける。
交戦中であることを踏まえれば、油断を誘っているともとれる。どちらの意味を汲んで答えるか、しばらく迷う。
短くない時間が経ち、雨はすっかり床を濡らしていた。湿度はもとから不自然なくらいに高かった。梅雨ではない、水の神機録の影響だ。
「誘里が慧恋さまに使った毒、ありますよね。僕はあれの解毒法を訊きだすために来ました。……最悪、言葉でなくとも」
心無い方法でも情報は得られる相手だ。そういう言葉遣いをしていると締め付けられるように痛い。だが相手は機械なのだ。
誘里ははっとして顔を上げる。一瞬あった視線をすぐに逸らす。顔をしかめた。
「解毒、法…………」
確信は得られたといってもよかった。誘里はアルトと、また慧恋と敵対することを望んでいない。慧恋を傷つけたことを思い出して苦しんでいるに違いない。今ならまだ止められる。そう思い、声をかけようとしたときだった。
「――! カルンウェンハン!」
右後方から目が眩むような光条が襲った。電磁収束プラズマ砲、もしくはビーム砲か。防御にまわした一基のカルンウェンハンが直撃を浴びて破壊された。
「……誘里には、」
誘里に戦う意思がないなら、彼女に見たその間接的な悪意は、誰のものなのか。これはおそらく、人の望みと、機械の役割という次元など彼方にあることなのだ。
「人を苛む毒しか作れない」
これはそう、単純に――姉妹の問題だ。




