第3話 吹き荒ぶ想いの剣と慟哭する毒の涙 ⑦
誰もいない廊下に二人は出た。ひとの気配がないのに正常であるのは、あの地下通路に似たものがあった。それでもアルトはここが悪意のない落ち着ける場所だと思った。無機物が無感情に動いているのを、人が人の機微を感じるような不明確さによって感じた。
シャーリィは扉の向こうの慧恋を見るように顔を傾ける。不安と安心が入り交じった微妙な表情だ。
「慧恋は、“フォルトナ事故”のせいで、あの子は自分の星を嫌って、神機録を恐れるようになった」
回顧するように、自分に語り掛けるようだった。長く息を吐いて、アルトに立ち直る。
「ほんの最近のことなのよ。“事件”が起きたのは一年前。もうアルトは生まれていたわね」
剣龍アルトが起動したのは二年前の6月6日だ。それからのことの記録がすべてあるわけではなく、一年前というのも曖昧な時期だった。
「僕に教えてくれなかったのは、人格形成安定のためですか」
「それもある。でも私自身、どうしたらいいか分からなかったのね。慧恋の守護意識を強くするのはよろしいことだけど。慧恋についてのイベントと、それに向かう感情、という狭さじゃいけない。結果論だけどね。そう思いこまないと止められなかった自分を許せない」
いつもは何処か飄々としているシャーリィの顔が翳る。いつも余裕綽々、淡白な態度である女性の初めて見る表情だ。そういう顔を見ると心配を覚える。意志に指向をつけたかった彼女はアルトと接するときは気丈に振る舞っていたとも考えられた。本来は感情豊かな女性なのかもしれない。
「私がアルトに忘れないでほしかったのはただ一つ。慧恋を愛すること」
「……愛」
慧恋に教えてもらった愛でも、誘里が語った愛とも違うものだとアルトは分かった。
「そうよ」
おうむ返しをしただけだ。でもその言葉に返された短い言葉に、温かみを感じた。対照的に曇った自分がよく分かった。
「愛、もしくは自分自身、自分の心が何処にあるか知ること、かしら」
「……それ、何ですか」
「まぁ、受け売りよ。心は何々(どこどこ)にあるってやつ」
「それは誰が?」
「知り合いのヒュームに」
心とか愛とか――
「ヒュームには、」
無縁だ、と思っていた。だけど自分に心とか愛が無縁だと決め付けることを、納得しきれない。納得できないというか、違う、って。奥底で何かが叫んでいる。この忌まわしき星の炉の奥で。
おそらく、シャーリィのいうそのヒュームも、同じなのだろう。でなければただの道化だ。シャーリィが肩入れしているほどのものなら、きっとそうなのだ。
「……フォルトナ事故って、一体どういうものだったんですか」
機械と心。このひとつことを考えると頭がぼやける。考えている自分を晒していられない。高性能機械でありながら答えられないことが恥ずかしい訳じゃない。話題さえ変えられればいいのだ。
「概要だけ見れば新エネルギー開発実験だったのよ。新しい発電技術ね。実態は――神機録を、アルカナムドライヴを用いた兵器開発実験。でもそれは失敗したの。実験の参加者に見守られながら、そのデバイス『フォルトナ』は、爆発的にエネルギーを拡散して外装を吹き飛ばした。当デバイスの周囲はヒュームしか居なかったのが幸いだった。あの残骸がいた辺りに人間がいたらと思うとぞっとする」
感情を必死で押さえているのか、そう言ったシャーリィの表情は恐ろしく冷えていた。
「事故の前後のことをもっと詳しく話すわ」
ただ己をみつめるアルトに気づいて、取り繕って平静をつとめた。
「ここ星嶺学園にどれだけ神機録と関わってる人間がいるかは私も把握できてない。ほんの数え切れるほどしか存在しないアルカナムドライヴが、結構な数集まっているというくらいは分かるけど。そうだアルト。慧恋の実家――剣龍家がどういうものか知ってる?」
慧恋の家、であると同時にアルトの家でもある。しかし実際に見たことがあるわけでもなく、知識は直接頭にいれたものだけだった。アルトは首を横に振った。
「剣龍は古くからある名家よ。とはいっても力を持ち始めたのは百年くらい前から。慧恋は五年くらい実家に戻ってないはずよ。あの子、家出も同然でここに来たから」
多くは語ることはなかった。気になったことがあれば本人に尋ねればいい。いまの本題ではない。
「剣龍は有名ってわけじゃないけど、知る人ぞ知る、といったところ。そして甚大な力をもつものは神機録に関わっていると考えるのは自然なこと」
神機録には力がある。神機録を持つものには力がある。力とは権力や武力や財力と読み替えられる。
「神機録を持つものに力があるのは真だけれど、力をもつものが神機録に関わっているというのは偽なのよ。だけどフォルトナ実験の主導者――フォイアルはそんな不確定要素で慧恋に話を持ち掛けていた。低確率な賭けだったけど、それは当たった」
言葉も様子も冷静なのに、シャーリィが怒っているのが分かった。それは細かい言動の違いからだろうか、それとも。
「剣龍はアルカナムドライヴに関わっていたわ。慧恋も教えられていたでしょうね。でもその中途半端なアルカナムドライヴの知識が仇となったわ。神機録は、想いの機械。ただの強力な動力炉なんかじゃない。慧恋もフォイアルも分かってなかった。フォルトナを構成する重要な部分を担った慧恋と数名の生徒は、近くで稼働試験を見ていた。重傷者は多数出た。慧恋はかなり責任を感じたみたいで、自分のことを大切にしない子になったの」
その闇を垣間見ることはあったのだ。彼女は不遜であるのに時々、自分の意見を殺して自らを卑下することがあった。
「教師のフォイアルは高みの見物だった」
シャーリィの怒りはフォイアルという教師に向いていた。止められなかった自省の念も今はあるのだろうけれど、当時その感情を向けられたフォイアルはどうなっただろうか。アルトは、そんな教師が学園にいないことをすぐに知れた。
知らない慧恋の過去だった。そもそもよく考えれば、慧恋のことなど何も知らなかった。機士を嫌がる理由も、好きな食べ物も、望むことも。それでも、助けた、守った。
オーナーだから。それもある。そういう役割だから。それなら一緒にいたいという望みと同じものなのか。それを悩むこともあった。でももう決まっていることだった。過程はどうあれ、かたちはどうあれだ。認めるしかないのだ。
「神機録を兵器利用したことに問題がある。でも慧恋のデバイスが完璧だったかと問われれば、今やわからない」
慧恋が関わったデバイスで大勢に被害が及んだとしても、直接の原因など闇の中なのだ。
「アルト…………?」
シャーリィが不思議そうに声をかけた。全身には適度に力が入ってとても落ち着いていた。
「今なら、分かります。今、分かりました。やっとです。彼女に悲しい過去があるからって、僕の気持ちは変わらないんです」
内側が震えていた。
「何も知らなくても、少しずつ知っても、慧恋さまのことが好きだ。ずっと好きなんです」
これを本人に伝えたらどうなるかと思った。赤面するだろうか、嫌な顔をするだろうか。分かってもらえるまで深く話し合いたい。それでもたぶん、自分が恥ずかしい。
シャーリィは面食らったように目を丸くし、しかし口の端を綻ばせていた。
「母さま」
背後にレグルスがいた。アルトを一瞥したあと猫耳がわずかに動いた。シャーリィは頷くと、端末を起動して立体映像を展開し、すぐに消す。
「あのヒュームがどこへ消えたか判明したんですね」
その一瞬をアルトは見逃さなかった。前のめりになる。どうしたいかはもうはっきりしている。
「行くつもり?」
「勿論です」
こんなやりとりをしたことがあった。アルトは今はもう機士だ。
シャーリィは壁をそっと撫でた。そしてアルトをまっすぐ見つめる。
「……第二蒼柱。これって何度目かしら」
「三回目ですね。リニアのときは直接行ったわけじゃないですけれど」
「因縁というやつ?」
「そんなもの無くても、僕は行きます」
「何のために行くの」
ピラーへ行く理由は何だ。そこに慧恋を苦しめた敵がいるから。それは理由にはならない。ただの状況だ。敵の居場所を知ったら倒す。
「倒したら慧恋が元気になるの。敵が簡単に解毒の方法を教えてくれると。そもそも勝てるの。あなたが壊れちゃったら、慧恋は悲しむわよ」
「それでも」
「……行くのね」
「はい」
「……そう」
シャーリィは呆れたように肩をすくめる。レグルスは相変わらず無表情だった。それでも少し感情が乗っていることは察することができた。
「デバイスは持っていきなさい。壊れるくらい無茶しても構わないから。あ、でも奪われるのだけは勘弁ね」
「はい、善処します」
アルトはそれだけを言うと、廊下を駆けて行った。
清々しいくらいの笑顔で駆けていくアルトの背中を見送る。薄っぺらいただの表情じゃない。底からの笑顔だ。ヒュームが表情を作るのは、それがひとにとって気持ちと結び付いているから、というものではない。
「縁というのは凄いものね」
レグルスが見上げていた。取り残された子供のような。構ってもらえなくて拗ねているのだと、他のひとは無表情というこの子の母は分かる。
「心配しないで、私とあなたの繋がりも確かなものよ。そもそもおとなしい子“だった”じゃないの、“覚えてる”わよ」
寄り添う娘を優しく抱き締める。母は見た目通りの可憐な少女を感じていた。レグルスがずっと甘えているのを自分から恥ずかしく思って自然に離れるまでそうしたあと、シャーリィは慧恋の病室の扉を少し開けた。
「私たち、ちょっと出掛けてくるから。何かあったら看護用ヒュームに言いなさい。警備関連のクラウドも一括になってるからね。……無茶しちゃ駄目よ」
扉が閉じ、廊下に二人分の足音が響いたあと、静寂が戻った。




