↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マシン・ハート mith in heart  作者: とこよみあ
第一部 神話のサイカイ
PR
39/50

第3話 吹き荒ぶ想いの剣と慟哭する毒の涙 ⑤

「嫌な天気だね」


 声のしたほうに顔を向けるとシロンがいた。校舎を出たばかりのアルトは、柱にもたれかかるようにしている友人を見た。

 生ぬるい空気が走り抜ける、駅から校舎を結ぶ長く広い真っ直ぐな通り。広大さが喪失させるスケール感を、埋めるように建てられている、用途のない柱だ。街中ならばAR広告などのキャンパスになれるだろう。

 シロンが柱から離れてこちらに向かってきた。いつも通りうっすら笑みを浮かべているが、反応を待っているようだった。


「さっき帰るって言ってませんでしたか」

「どーでもいいだろう、そんなこと」

「台風はどうでもよくないことですか?」


 シロンのいう嫌な天気を疑問に思ったのに従い、自動で情報を知った。台風がもうすぐ直撃するだろうことはまったく気にしていなかった。台風は、自然現象としては大したことない部類に入る。だからこそ情報集積機器としてのヒューム(アルト)に一つの警報も入ってこなかったのだ。


「いや別に」


 悪びれることなく言ったその言葉に、これはいつものてきとうな会話だと合点する。たまにはシロンが動揺したところなどを見てみたいものだ。


「何もないなら僕、帰りますよ」


 お茶とお菓子の材料をさっさと買い揃えて、雲行きが怪しいようなら慧恋を迎えに戻りたかった。サプライズで迎えるのが望ましいが、雨風のなか一人で帰らせられない。翼がなくてもある程度は飛べるので、和解のきっかけに久しぶりに抱いていってもいい。


「きみのほうは何というか……呑気なものだね」


 挑発されているのが分かったから、何も言わなかった。シロンに言わせてみれば言葉にしなければ伝わらないこともある。

 気にせず踵を返そうとする。その振り向きざまのアルトに、シロンの声が追う。


「天気というか……空気と言えばよかったか。まとわりつくような湿気と、これは悪意だ。毒の水蒸気」


 気付けば、シロンの視線に貫かれていた。声から耳が離せなくなった。

 シロンは相変わらず微笑を浮かべたまま。しかしアルトのにはいつもと違う何かが伝わってきた。感じられた。

 言葉は少しも理解できず、詩的で比喩的だ。真意を聞き返したかった。だがそれも何だか嫌な空気が邪魔をした。


 慧恋はどうした?


 シロンの口は動いていなかった。動かず、何かを待っているというより、すべきことは終わったというように佇んでいた。

 きっと人間なら冷や汗を拭う場面なのだ。

 張りつめていた神経が、受信したメッセージを即座に開かせた。



  From:慧恋さま Sub: Main:



 マスターからの、無題で本文のないメッセージ。


 送信ミス?


 頭の中だけで見ているこの慧恋のメッセージは――


 「…………!」


 次にはもう走り出していた。シロンのことなど頭になかった。顧みられなかった彼は、安堵したように笑っていたのだ。

 気圧に引っ張られて纏められた雲が浮かぶ空は奇妙な高低感を覚えさせる。人工物も立体映像も、灰空そらの非現実感には及ばない。

 何があったわけでもない。何もなかったともいえなかった。少なくともアルトは、あの空メッセージを見たとき、感じたものがあった。それがどの感覚器を通してどう処理したかは分からない。ただひたすらにあしを動かした。

 飛んでいきたい気分だった。だが飛んで行くような場所ではない。慧恋がどこにいるか知らなかったはずのヒュームは、最短距離でその場へ向かう。角を曲がるときは風で自分を押し出し、校舎を抜け、友人たちと語らうテラスの横を通って、厳重で重厚な扉――の横の、壁にしか見えないカモフラージュされた機士団棟地下通路の入口をくぐる。


 地下におりて、ぱしゃりと水音をたてるまでもなく、異常は明らかだった。なのに何事もないように静かで明るい。アルトはなるべくおとなしい風で足の周りの水を吹き飛ばしつつ歩いていく。

 ここにきて嫌な予感は当たっている気がした。だからこそ、がむしゃらに行動できないことがもどかしかった。

 二つ目のT字分岐を右に曲がったとき、それが目に入った。

 アルトの体が一瞬びくりと動き、目を見開き、全身から熱が奪われる心地がした。

 そしてアルトはすぐに制服の裾に隠してあるカルンウェンハンを握りしめて思い切り投げていた。

 倒れていた女生徒――慧恋のそばでうなだれていた“それ”は、アルトの突然の攻撃に反応し、腕の大きな鋏のようなもので軽くはじこうとする。しかし風で加速された投擲の威力は凄まじく、結果“それ”は水しぶきをたてながら押し出されるかたちとなる。

 そうしてできた間にアルトは入り込んで、手元に戻したカルンウェンハンを手に、相手を睨み付けた。

 対面したそれは、ヒュームに見えた。全身を重そうな装甲が覆い、それでも体の一部のような軽やかな動きをしてみせた。関節部が露出していることからも、パワードスーツを着込んだ人間ではないと推測できた。両腕の鋏、面と節足動物のような意匠から、蠍をデザインのモチーフにしているようだった。

 “蠍”はアルトを見て少し体を揺らすだけだった。攻撃してこないと分かると、注意は払いつつ、慧恋に意識を移す。


 抱くように体を起こして額に張りついた前髪をそっとよける。呼吸もあるし、致命的な傷もない。ただ意識を失っているだけ――なのに、拭えない不安があった。


 ヒュームが人と同じ形をしていても人と同じ危難があるわけではない。白と黒ほど明確な差がある。殴られれば痛みを感じるのは体にとって危険だからで、それは同じだ。だが例えば毒などはヒュームにとってなんてことはない。危険であろうものを臭い、苦いと感じることだ。だがだからといって、自分にとって安全だからといって、それを感じられないことはない。ひとの社会に溶けているのだから。


 この水は毒だ――とアルトは直感した。どんなものかは分からない。それはアルトが無能なのではない。科学だけでなく化学も進歩しすぎてしまったこの時代で、新しい毒や薬は一秒もあれば作り出せる。これは絶望ではなく、薬も同じ時間で作れて、急げばどんなものでも治る可能性があるということだ。


 だが“蠍”がそれを許そうとしていない。様子を窺うように微動だにしていないが、廊下を浸す水に、“蠍”の意図を感じた。

 慧恋をこのままにはしておけないので、抱き上げた。“蠍”が身構えるが、逃げる気はないと目で伝える。構えを解いた“蠍”は存外、話が分かる相手なのかもしれないと、表情さえも伝わらない仮面を見て思った。目的がはっきりしているのか、そのためなら暴力には限らないということか。

 慧恋は壁の角にもたれかけさせる。


「狙いはどっちだ。慧恋さま? それとも僕?」


 返答は期待していなかった。しかし“蠍”は応えた。

 周囲がぼんやりと蒼く光った。落ちている水が集まって浮き上がり、水のカーテンを作った。それだけでアルトには充分ではあった。

 水のカーテンに蒼く淡く文字が浮かび上がる。


(どっちも)


「僕たち二人を……捕えるなり殺すなり、と?」


 “蠍”はふるふると首を振って否定した。応えてくれたこともそうだが、態度が少し可愛げのあることにも驚く。

(人間 の方は目的だけど手段でもある

 最終的な目的はヒューム というよりは )

 少し迷うそぶりを見せる。もう先の言葉は想像がついているので急かすことはしなかったが、律儀にもそれは続けた。


(神機録)


 気付けばアルトは、水のカーテンごと斬りかかっていた。感情を乱暴に小さな刃に乗せねば気が済まなかった。しかしそれはあっさりと受け止められる。

 見逃してくれないならば倒せばいい。そのうえで解毒法や首謀者オーナーなどを訊きだすのが手っ取り早い。


 いや、そんなものは詭弁だ。これは怒りから来ていた。ただ許せなかったのだ。


 慧恋を傷つけたこいつが。真の狙いは自分なのに、人間の少女を道具として利用したことが。


 いや、それも理由だがそうじゃない。


 神機録が狙われるなんてわかりきっていたことだ。あの日、それによって巻き込まれることもあると慧恋に伝え、諦観したような彼女の顔は記録に新しい。だからずっと一緒にいるべきだったのだ。拒絶されようが、悩もうが、気持ちは押し殺して守る役目を果たすべきだった。何が大事なのか分かったはずなのに、それを失うなんて馬鹿げているのだから。


「…………く!!」


 アルトの攻撃はことごとく躱された。身軽なアルトの方が動きは素早いが、“蠍”には大きな鋏のリーチと防具の堅牢な守りがある。二振りの短剣のみで攻防を為さないといけないアルトの不利が滲んでいた。そもそも風通しの悪い狭い地下道では、アルトの神機録特性とデバイススプレッド接続による超機能リンクは存分に機能させられない。さらに床を侵す水に足がとられる。この場は完全に相手のヒューム――“蠍”のプレーヤーの領域だった。最初の突撃であけた距離も既に詰められ、慧恋のそばまでにじり寄られてしまった。

 慧恋は目的ではないといったが、手段として道具ではあるということだ。おとなしく投降すれば無事に終わるという楽観視はできなかった。目の届かないところで慧恋がどうなってしまうか。


 否。そんな理屈めいたことじゃなくて、これ以上慧恋に危害を加えさせない。守り切ってみせる。そんな、最初からある想いだけでアルトは立っていた。

 顔とも分からぬ顔を視線で射抜く。髪と衣服が揺れて水面が波打った。“蠍”がたじろいだ、そのとき、遠くから声が響いた。


 “蠍”は一瞬背後を見、逡巡したあとアルトたちを一瞥して駆けだした。その身を水しぶきと霧で隠して、晴れたときには既に地下道から姿を消したあとだった。とっさの出来事にアルトは呆然と立ち尽くした。


「慧恋、アルト!」


 現れたのはシャーリィだった。両手の指の間にナイフ型のデバイスを挟んで、息を切らせて肩を上下させている。


「さっきのプレーヤーはどこ……っ! ……いやっ、違う、違うわね……っ。慧恋……アルト、慧恋は……」


 焦っているように見えて、それが新鮮だった。ナイフを持った手で頭を押さえている。

 アルトは慧恋のそばに行って、変わりないのを確認して伝える。


「そう、分かったわ。とりあえずその子、機士用の病棟に運んで。これからどうするかは、そこで話しましょう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。