第3話 吹き荒ぶ想いの剣と慟哭する毒の涙 ④
水滴の落ちる音がした。狭くてよく響くから、音源は分からない。壁をなでた手が濡れる。結露したガラスのようになっていた。
機士団棟、地下通路。入り組んだ道を慧恋は歩いていた。
まるで廃墟のようだ。室内において水気が多いという分かりやすい異常以前にじめじめしている。でも暑いというわけではない。目に見えておかしいことはない。
「湿度調整機能がやられたか……?」
機士団棟はその実、あまり利用されることはない。セキュリティが厳重でアクセスしづらいし、迷路みたいだからだ。なにもここじゃなくても仕事はできる。
とはいえ重要な施設なので整備は常にされているはずだ。掃除ロボットが掃除しやすいように丸くなった角までほこりもない。廃墟というのは空気感がそうというだけで、新築さながらの綺麗さだ。違和感を感じてしまうのは人間である自分だけのようだ。何もおかしいことはないと、世界に囁かれている。
時間は惜しかったが、せめて解決はできなくても原因だけは調べてみようとScar’s crownを一本掴む。あたりを見回しながら少し進んで、曲がり角で立ち止まる。下から上、左右を眺める。距離感を喪失しそうなくらいにのっぺりとしていた。
いつものように突き刺すのは、はばかられた。巧妙に隠されたメンテナンスハッチの隙間に挟み込んだ。ようは端末を接触させて固定できればいいのだ。
「加湿機能が過剰に動いてるってわけじゃないのか。つまり除湿できてないってことになる、のか。ならばこの異常な湿度はなんなんだ。梅雨にもほどがある」
皮肉をつきながらも、とうとう解決には至れそうにない。この異常は、システム自身が異常だと気付いていないことにある。それを無理矢理感づかせるなり、手動で操作して除湿をさせるなりすればいいが。この突然の湿度が突然勝手に解決したとき、過剰に乾燥させてしまいかねない。そのときの手間は慧恋が負うのだ。たいして苦ではないが、現状維持でもそこまで困らないことなら、やるなら根本解決したい。
「お肌には潤いだしな」
とはいえ自分の部屋に入ったら最適な環境に設定するのだが。放置するというよりは、自分の仕事ではないのだ。せめて誰かに報せておくのがいいと、思い当たる部署が分からないのでとりあえずシャーリィにメッセージを送っておいた。
なかば越権ぎみに情報を閲覧した足跡はすべて削除して、Scar’s crownを引き抜いて手首のデバイスに戻す。
振り返った瞬間、視界が暗くなる。
「な、ん…………っ」
顔を掴まれた。頭蓋が軋む、不愉快な圧迫感。そのまま何の抵抗もできず、力任せに押される。背中と後頭部を打ち付けて、星が散る。肺を叩かれたような息苦しさが襲う。
「う……ぐ……ぁ……」
その何ものかは、けして大きくない手で慧恋の顔を掴んだまま、壁に押し付ける。攻撃ではなく、拘束が目的なのだ。
頭がじりじりと痛む、割れそうだ。掴まれた指の隙間からわずかにそれが視界にはいる。
見る者に恐怖を与えるような蠍の仮面。腕にも蠍の鋏のようなものが装備されている。身長は自分より低いくらいで、これだけではヒュームなのか人間なのかも分からない。
身をよじる。腰と脚のほうも、何かで固定されていた。自由な両手で戒めをとこうと腕をつかんだり指をはがそうとするが、びくともしない。
ふと体が浮いた。痛みから解放された背中と後頭部が痺れる。“蠍”が慧恋を持ち上げて、反対の壁に向かって投げた。放り投げられたくらいだったが、受身も出来ず、壁と床で二回、強く全身を打った。はいつくばるようにうめき声を上げるばかりの慧恋を見下ろし、またがって、両腕を押さえつけた。
腰の後ろにあたる柔らかい感触で、“これ”が女の子だと慧恋は分かった。
「…………『死時雨』、アクティベート――」
霞む視界が蒼く染まった。雨が静かに降ってくる。傷にしみる。水溜りができて、溺れる心地がする。
デス、という音が耳に残った。




