第3話 吹き荒ぶ想いの剣と慟哭する毒の涙 ②
アルトはシャーリィの研究室の前にいた。直接来たわけではない。授業のあと、誰もいないテラスをのぞいてみたり屋上に立ち寄ったりした――はずだ。ただあてもなく時間を潰していただけなので、記憶することを必要としなかった。
「…………入って」
扉の前で立ち尽くして動かないアルトに、中からレグルスが呼びかける。
姿を見せたのがレグルスだったことに少し驚く。レグルスはいつものように無表情なのに、責め立てられている心地がしてしまう。
「お前の言う通りだったかもしれない。何もかも僕が悪いんです」
聞く耳を持たないと判断されたか、小さく溜息をついたレグルスに袖をつままれて引っ張って中に入れられる。
必要最低限のものしか置いておらず、生活感のない、しろい部屋には机に向かって椅子に座るシャーリィがいた。
彼女のほかには、誰もいない。
何も期待していないはずだ。なにしろこんな逃げ場のないところで彼女と向き合っても、どうすればいいんだ。――ならばどうしてここへ来たのだろう。
「心はどこにあるのかしら。私には、とても広い場所に置いてきてしまったように思えるわ」
「……心がある人間にも、はっきりとは分からないんですか」
心を置いたのは誰かは分からないが、取り返しのつかないことをしてしまった背徳さを言葉に感じた。さながら原罪だ。
「私に心があるように見えるのね?」
見えるも何も、人間なんだからあるに決まっている。そう思ってみて、シャーリィがこの答えを求めていないだろうことが分かった。
曖昧に微かに頷くのが精いっぱいだった。
「そう」
返事はそっけなかった。心の話題について追及がないと分かってほっとする。
「適当に楽にしてていいわよ。……話があるなら聞いてあげる。母としてね」
シャーリィは机に向かって背もたれに体を預けきって腕をだらりとおろした。その姿勢でも指をせわしなく動かして作業をしている。立体モニターの内容はアルトには霞んで見える。レグルスはベッドのはしに腰かけていた。人形みたいだ。それでも様子が気になるようで目だけが動いている。
「…………僕のせいだと言われたんです」
「慧恋に? ……へぇ、そうなの」
誰に言われたのかは言ってないが、お見通しのようだった。それでも少し意外そうだった。
「責任がオーナーにあるとしても、そのオーナーに責められて、僕自身、僕が悪いと思います」
黙っていても時間は進む。沈黙に満ちた部屋で、シャーリィが体を起こす。顔は向けないまま、気楽そうに言った。
「そんなに悩まなくてもいいのよ。たぶんあなたの悩みの原因の殆どは、そのアルカナムドライヴだと思うから」
シャーリィが少し顔を向けて、目を細める。アルトは身じろぎもしなかった。ただあきらめたように溜息のようなうめき声のようなものを発し、空を仰いだ。白色の天井が視界にいっぱいになる。
「身も蓋もないことをいいますね……」
「悪いのはあなただけじゃないわ。慧恋もよくなかったし、根元を掘れば私が悪なのではない? レグルスにも何か言われたでしょう?」
その言葉はさすがにレグルスをびくっと震えさせた。怯えるように母の様子を窺ったが、別に責めたわけじゃなくて文章の工夫として例えを引っ張っただけで、それ以上の意図がないシャーリィは、ただアルトを見ていた。
「“それ”が憎い?」
「……この煩わしさすらも、“これ”のせいなんでしょうね」
「そうね」
「…………。“これ”が僕の中にあるって、認めてしまってもいいんでしょうか」
「自分にはないって思う人間だっているのよ。それすらもその働きかもしれないとしても。並みのヒュームは、多分あると思い込んでる。アルトが葛藤できるってことは……」
目があった。シャーリィはまるで無垢な少女のような笑顔を見せた。
「ま、何度も言うけど私はそれが中にあるって考えじゃないのよ?」
「はは、分かってますよ」
シャーリィは椅子を回してアルトを真っ直ぐ見据える。憑き物がとれたすっきりした表情をしていた。自然な笑顔に複雑さを感じる。レグルスが静かに笑っていた。みんな笑顔で、あたたかい風が流れるようだ。
「……アルトは、これから、どうするの」
レグルスが小さな声で言った。彼女は母を同じくする、アルトにとって紛れもない姉だ。
「しっかり向き合って、話をしようかと。お茶でも淹れてお菓子作って」
「じゃあこんなとこにいる場合じゃないわね」
頷くと、頷き返してくれた。
部屋を出て、閉まっていく扉の隙間から、レグルスが肩より下の位置で窮屈そうに手を振っていた。




