第2話 切り裂く翼に空高く光が奔る ④
目が覚めてすぐ、なんとなく時計を見てみて我が目を疑った。
「…………遅刻だ」
一気に意識がはっきりした。
「アルト! なぜ起こしてくれなかった!」
制服に着替えながら勢いよく扉をあけて叫んだ。
「おはようございます、慧恋さま。朝食の準備ができてます」
テーブルの上には白飯、味噌汁、焼き魚の慧恋的ベスト朝食が並んでいる。アルトの腕はかなり上がってきているので、それが美味しいことを知っている。
「いますぐ出れば間に合うかもしれない。すまないがそれはチルドしておいてくれ」
「朝食を摂らないなんていけませんよ」
「携帯食糧でも電車の中で食べるから! お前も遅刻するぞ」
アルトの冷静さと自分の焦りのギャップに苛立つ。ヒュームは授業の重要度が極めて低いから、なのか。だとしてもオーナーを思いやらないやつではなかったはずだ。そもそも起こしてくれればこんなことには。それを責めるのはお門違いか。寝過ごしそうなときは優しく揺り起こしてくれたものだから、頼り切っていた。アルトがくるまでは目覚ましを忘れたことはない。浮かれていた。
「間に合いますから。召し上がってください」
「何か……方法が?」
「はい」
アルトを信じて招いた結果だ。甘いかもしれないが、信じ通すことが義だと思った。
急ぐ必要はないといわれても、自然と箸ははやくなる。食後に渡された一杯の水を一気に飲み干す。
「では、行きましょう」
手を差し出されて、まんまと苛立ちが一瞬で波引いてしまう。
「ずるい……」
悪態をつきながらも手をとる。
「安い女だな私は」
「何よりも価値ある人ですよ」
ここまで正面から好意をぶつけられると、まぶしくて直視できない。危機的状況を満喫している。ヒュームはここまで素直になれるのか。自分の素直な気持ちってなんだろう。
「屋上に何かあるのか」
アルトは階段を上っていった。目的地といったら屋上くらいしかない。まさかヘリでも呼んだんじゃないかという考えは浮かんですぐ消える。屋上には居住者が収納に使えるコンテナがある。ヘリが近付いていい場所じゃない。
一つのコンテナの前で立ち止まったアルトが、その扉に手をかける。まぎれもない慧恋のコンテナだが、今は何も入れていなかったはず。部屋数分はないし、そもそもあまり利用しているひとはいない。入居したとき借りてからそのままになっているだけだ。少し離れたところからその様子を見守る。
「……な……!」
コンテナの中は平坦な面で構成されている、質素な造りだ。アルトが開けた中は記憶の姿と違う。
「……いつから武装コンテナになったんだ?」
金属色の輝きと、ちかちか光る青い光が目に入る。メカニカルな構造。真ん中には一度だけ見たことのあるものが懸架されていた。
「武装コンテナではありませんが、完成したのは昨日です。コルブランドを僕に装着するための簡易施設です」
「コルブランドって……この翼のデバイスか」
思い出すのはピラーでの記憶。青い景色。ずっと昔のような気がするが、まだ一ヶ月も過ぎていない。アルトと出会ってまだ浅いということだ。胸がざわつく。アルトは“そう”なんじゃないかって思った出来事。
空。海。剣。盾。翼。風。
光。
――あの事件の進展はどうなったのか。
いや、この思い出は単にアルトと衝撃的な出会いをした鮮烈で感動的な記憶なのだ。最初にして最大の恥ずかしさ、辱め。知り合って間もなくにあそこまでのボディタッチを許したから、ちょっと敏感になりすぎているのだ。最近は肌で触れあうのは手くらいなものだ。アルトには下心などないだろうし、そもそも心もないし。つまり恥ずかしがるのは滑稽。どこを触られても、見られても、別に。
「……触られたいみたいじゃないか私は……っ」
普通に生活していて、触ることなどあるか。あって手や腕くらいだ。ここへ来るまでもそうだ。見られるに関しても、裸族ではないし。絶対領域は作りたいし、露出が高い服も着るけれどスタイルに自信があるというわけでもない。
「……ってうわぁっ!」
「では行きましょう」
「ちょ、ちょっと待てちょっと待って!」
半ば放心状態だった慧恋の体を、アルトは軽々と抱え上げる。手が背中とふとももに回されて支えられている。
「いまきた!」
「……なんですって?」
お姫様抱っこだ。慧恋は心を読まれたのかと思う。自分がそうしてもらいたがっているなんて見られたなら、もう添い寝も辞さない。ただそんなことはなく、アルトは「お前、いきなり何をする!」くらいのリアクションを予測していたため、面くらっている。アルトの背中にはコルブランドがあった。あの日と同じ。違うのは盾と剣がないくらいか。戸惑うアルトの顔を見た慧恋は、表情を引き締めて目を逸らし、やれやれといった感じで腕組みをする。
「な、なんだいきなり」
言葉とは裏腹に抵抗のそぶりはない。嬉しいのを隠して、それを察されるのが恥ずかしがったオーナーの様子にアルトは、ひとつの感情が働く。シロンが誘里に可愛いと言っているときに似ている、と自己分析した。言ったら怒られそうだな、と思い自制した。
「これより学園へ飛翔します。それをつけてください」
慧恋のお腹のあたりにごついデザインのゴーグルがのっていた。言われたとおりにつけると、レンズと一体のディスプレイにいろいろな数値や文字列が雑多に表示されるが、視線を何度か動かすと慧恋にあったマウントに整理され、はっきりとした視界と見やすい情報にわかれる。
(飛行中は音声伝達が困難になりますので、意思疎通はゴーグルの骨伝導スピーカーから行います。聞こえますか)
「あ、ああ」
耳元でささやかれるのとも違う、近い声。慧恋は無闇にどきどきする。アルトは口を動かしていないのに、目にうつる自分が見えるくらい近い距離で、言葉だけが聞こえる。
(そろそろ飛びます。今朝はウェザーリポートやニュースなど見ていないようでしたので、それで確認しておいてください。まとめておきました)
こくこくとうなずいて返事をする。
(――――コルブランド。アクティベート)
一瞬、世界が止まる。大きすぎる翼の装甲の隙間から碧の光が漏れる。風に抱かれて、重力から自由になる。
たかく、のぼっていく。慧恋はそれを見ていない。いつもより真面目な表情の男の顔を見ている。それに気付いた彼が微笑みを向ける。はっとして顔を背けるが、逃げ場のない腕の中。彼が笑う。学園へ向かって飛び出した。




