第2話 切り裂く翼に空高く光が奔る ③
台所からは料理をする人の音が心地よく響く。それを聞くものがいるはずのリビングは空っぽだった。住人の二人ともが台所にいるからだ。
「あっ、それはみじん切りじゃなくていい」
「了解です」
アルトが手にした包丁でまな板の上の玉ねぎを素早く正確に切っていく。エプロンの下はラフなシャツとデニムのパンツだ。
「終わりました」
「む、さすがにはやいな」
慧恋は冷蔵庫からパックの赤みそを出していたところだった。エプロンはおそろいで、髪は後ろでまとめている。
「味噌汁も作るのですか」
「味噌ベースのタレをつくるんだ」
慧恋の嗜好にあわせて、最近は日本食を練習している。慧恋のいう日本食とは、文化財登録された和食とは違う。本格洋食以外、くらいに範囲の広いものだ。日本家庭の味。
「味噌、好きなんですね」
「この地方は昔から赤味噌の料理が多いそうじゃないか。どんな料理でもとりあえず味噌を入れてみたくなるんだ。コクと旨みは味噌があればかなり頑張れると思うんだがな」
「それは挑戦的ですね。著名な料理人は昔から男性が多いと聞きます。それは失敗を恐れず試行錯誤する勇敢さがあったからだとか」
「褒められているのかけなされているのか、どっちなんだ。単純労働をヒュームが担ってくれる世の中で、創作的に生きない人間は道具に劣る」
いま手に取る食材が人工物にせよ大量栽培にせよ、過疎化した地を再開発してできたプラントでヒュームを働かせて作らせていることは変わらない。そこで働くヒュームはアルトのように自律していない。効率で劣る人間を雇うことはない。そういう場所で働ける人間というのは、それらヒュームの管理だけでなく、生育物と環境のイレギュラーに対応でき、改良できる優秀な者だ。
「ヒュームによって人間が追い詰められている……ということになるのでしょうか」
「知らないのか? 追い詰められると人間はすごい力を発揮するんだぞ」
「ライブラリに登録しておきます。名称は何ですか」
「名称といわれてもな。火事場の馬鹿力……では色気がないな……。うーん……、あ、愛、とか」
「愛、ですね。分かりました」
「く、やっぱり馬鹿にされてるような」
そうこうしているうちに、料理は完成した。親子丼と澄まし汁。加えて買い置きの漬物が今日の夕食だ。
「うむ、美味しい」
「僕は手伝っただけです」
「だから美味しいんだ。本当ならお前と――」
チャイムが鳴り、宅配を表すアイコンが壁のディスプレイにうつされる。
「あ、僕です」
アルトが玄関へ向かう。また食材でも注文したのだろうか。食事で主を喜ばせようというのは嬉しいが豪勢がすぎるのはよくない。カロリーてきにも。
「――本当ならお前と一緒にごはんが食べれたらいいのに、なんて。言えないな……」
アルトに、かたち通りの意味を見出そうとしているみたいだった。今の慧恋には、ヒューム先進国の人口が減り続ける理由が分かるかもしれない。たしかに人間はヒュームに追い詰められている。
「……遅いな」
気になりはしたが、だからといって見に行くのははしたなく思えた。完食して簡単に片付けたあと、玄関へ行く。
アルトはやっぱりいなかった。受け取った荷物もない。
「どこ行ったんだ?」
答えの出ない疑問に考えを巡らしていると、やがてドアが開いてアルトが帰ってきた。
「いま帰りました」
「あ、あぁ、おかえり」
靴を綺麗に揃えて、慧恋の横を通り過ぎていく。
「えっと、何をしていた?」
「ちょっと作業を」
何か隠している、とわかったから追及できない。隠したいという意思は尊重したかった。それはマスターに強く出られたらあっけなく崩れるものだから。
アルトは以後普通だった。テレビを見ているときに隣に座ってくれたし、あわよくば風呂場に侵入しようとしたし、ベッドに潜り込もうとしてきた。それらを注意しながらも新しい日常として馴染んでいることに心地よさを覚えて、眠りに落ちるときにはすっかりアルトの違和感は忘れていた。




