第1話 鋼の刃は急転直下の烈風と ⑮
「いくつか言っておくことがある」
ソファに座る慧恋がヨウカンを口に入れる。アルトは慧恋の横でテレビを見ていた。薄手の寝間着姿の慧恋に対し、アルトの衣服は依然制服のままだ。
「とりあえずアルトに私服を用意しないといけないのだが、自分で用意できるか? 私に男物を仕立てられるとは思えないし」
知人を頼るにも思い浮かぶのはほとんど女子。シロンを頼るのは癪である。そもそもシャーリィの気が効かなさすぎるのだ。
「お金なら私の口座から自由にしてくれていいから。服飾品だけじゃなくて、食材の調達とかも、な」
「わかりました。でも、できることなら買い物は慧恋さまと一緒がいいです」
「む、そうか? ま、まぁその方が安心か。散財しないとも限らないし。そうか二人で買い物か……」
「どうかなさいました?」
「いや何も。……金銭的なお話はこれくらいか。あとここで住むにあたって…………下着、はもう……仕方ないか。私は気にしない……いや気にするけど……、家事を任せる私が文句を言える立場では……くっ」
家事の役割を与えられる愛玩用のヒュームは、圧倒的に女性型が多い。男性は女性に奉仕されることを望むし、女性は男性に触れられると困るものが多い。女性が男性型を欲しがる場合は道具をこえたパートナーをそれにみているからで、男性が男性型を欲しがる場合にも何か意味がある。それはいまだマイノリティだ。
性別による性能差はないに等しいため、戦闘用だからどうということはない。シャーリィが慧恋にアルトを託したことに、アルトがこの外見であることに、意味があることは必至だ。――ここまで考えて、あの人のことだからただの戯れの可能性もあるような気がした。
「あっでも触るの最小限だぞ! あと精神ダメージを考慮して私に見えないところで、だからな!」
「わかってますから落ち着いてください」
機士養成学校である星嶺学園の防弾防刃制服は一年洗わなくても清潔でいられる加工がしてあるが、戦闘演習などがあると汚れる。だいたい一週間に一回くらいのペースで洗濯機にかければいいくらいだ。それは本来なら下着や肌着にもいえるのだが、結局毎日きれいなものを身につけたいという感情は拭えず、であれば無駄な加工もすることないので、二百年くらい技術的に様変わりしなかった。寄せて上げる方面の技術進歩はしている。
つまり寝巻きなどもそうだ。汗を吸い込んで快適な眠りを約束されている。もちろん臭いなどさせないのだが、慧恋にとっては、だから大丈夫、とはいかない。
「他に何かありませんか?」
衣類まわりの話はやばそうだ。あからさまに話をそらしたが、冷静さを取り戻した慧恋は最後の注意事項を伝える。
衣、食、ときたら、最後は。
「空き部屋を自由に使ってくれてかまわない。……そういえばお前は自分でデバイスの管理していないのか。まあ持ってこられても困るが」
翼のデバイスを思い出す。床材が傷つくか、下手したら抜けるだろう。
「まぁ機士でもないし使うことなど滅多にないだろうがな」
とりあえず思いつくだけの衣食住に関してのことは言った。なにかあればその都度言えばいいはずだ。
「私はもう寝よう。何だかんだで今日は疲れたからな……」
ヨウカンの最後の一口を口に放り込んで立ち上がる。昨日の疲労も残っているはずだが、それを口に出すのははばかられた。あの事件はもう関係ない。思い出すことはない。
「あ、はい。おやすみなさい、慧恋さま」
言って、視線が慧恋とテレビ画面との間を行き来する。
「どうした?」
「……。観たい深夜アニメがあるのですが……慧恋さまに添い寝をしてさしあげなくてはと……」
「アニメ観てていいぞアルト。私のことはいいから」
逃げるようにリビングから出る。「ありがとうございます」という言葉が聞こえた。感謝されてしまったのだ。優しいオーナーを心がけることには成功したが、断固として断っておかないといずれ添い寝される危険がある。嫌なのかと考えれば、結論を出すのが嫌だった。
いつもと違う朝の空気を感じて、慧恋は眠りから目覚めた。上体をおこしベッドの上で寝ぼけ眼で髪を軽く梳いて少しぼんやりしてから布団から抜け出す。
「おはようございます、慧恋さま。起こしにいけなくて申し訳ありません」
「いや……構わない……」
リビングに赴くと、アルトがせわしなく朝食の用意をしていた。もちろん静音モードでやっていたのだろうが、今まで一人で暮らして誰もいなかった朝に人が動く気配がするというのは、多少の違和感を感じさせるらしい。
「次から気を付けますので」
「ああ……」
少し、いまの会話に疑問を覚えたが、慧恋の眠い頭では分からなかった。
テーブルの上にはすでに皿に盛られたハムエッグとサラダがあった。シンプルだが色取りも豊かでおいしそうだ。そして今、キッチンから甘く香ばしい香りを伴ってアルトがフレンチトーストを運び、配膳する。
「食パンがなかったので、買ってきました」
アルトが椅子をひくのに誘導されて慧恋は席につく。ここまで至れり尽くせりだと、執事でも雇った気分だ。
「いただきます」
美味しい朝食は、それだけで人を覚醒させる。ゆっくりと味わいたいが、それが美味であるが故に、次へ次へと求める。
あっとういうまに平らげてしまうと、そろそろ家を出ないと始業に遅れるという時間だった。今日はアルトは慧恋が朝食を食べるところを見ていなかった。それは助かるが、どこへ行ったのかと思っていると可愛らしい水玉の柄の風呂敷に包まれた何かを持ってやってきた。弁当箱だとすぐに分かった。これをつくっていたのだ。
「支度をしてください、慧恋さま」
それならほとんど終わっていた。制服は綺麗に仕立てられていたし、持ち物も特にない。弁当ならつくってもらった。アルトは櫛を手にしていた。
「私にできるのは……おまえと並んで家をでるくらいか」




