第1話 鋼の刃は急転直下の烈風と ⑭
慧恋はいよいよそわそわしていた。普段なら自分が作った料理を台所から適当に置いてから席に着く。今日は既に慧恋が座っていて、そこへアルトが料理を配置しているのだ。レストランならまだしも、自宅でとは。
「本来ならフルコースをご用意したかったのですが」
「いや、それは流石にいいかな」
テーブルには3皿並べられた。ガーリックライスと、鮭のムニエル、クラムチャウダーだ。グラスにはソフトドリンクのカクテルが注がれていた。あとはナイフ、フォーク、スプーンに箸だ。慧恋は箸派だった。
「美味しそうだ」
「ありがとうございます。お召し上がりください」
本当なら。食事をじっと見られるのは好きじゃないからアルトには席を外してもらいたい。でも見るからに感想を欲しがっている。自分の我がままのせいで悲しい顔をさせるのは心苦しい。
「いただきます。……ふむ…………おいしい」
本当なら、口に入れたときに広がる感じとか食感とか味を表現したいくらいだが、如何せんそんな技能は育ててこなかった。でもこのひとことで、彼には充分みたいだ。
「誰に教わったんだ?」
「シャーリィさまです」
「それもそうか」
あの人が料理をすることにも驚きだが、全部の指に指輪をしている以上、振舞う相手もいるのだろう。しかし国籍不統一なラインナップ――強いて言えば日本以外――はいかにも彼女らしい。
「偽名だろうし……」
「なにがですか?」
「あ、いや気にするな」
結局スープのためにスプーンだけは使った。米の一粒、雫の一滴も残さずに完食した。音を立てて食べていないか、作法は間違っていないか、とか色々気になってしまった。
汚い女だと思われたくない。たぶんアルトはそんなことでは嫌わないだろうけど。
「ごちそうさま。全部おいしかったよ、ありがとう」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
食器を片付けて、台所へ消えていった。嬉しそうなのは背中からも伝わる。
「男子、台所に入るな……か」
任せっきりになってしまいそうだ。家事を全部任せて、自分は一日の疲れを癒してくつろげる。あの子は家事すらサマになる。かっこいいし頼りになる。
「……いい嫁をもらったな」
つまりそういうことだ。慧恋は遠い目をしていた。
≪お風呂がはいりましたよ、慧恋さま≫
「む、アルトか?」
家内システムのスピーカーからだった。いつのまにかアルトの姿はない。食器は自洗機にかけられている。
「風呂に入ってしまえば部屋着どころか寝巻きにすればいいし、きがきくな」
風呂場へ歩く慧恋に、テレビ映像は付随してくるが、大して見たいものでもないので消してしまう。リボンタイを緩め、ブレザーを脱いでハンガーにかける。脱衣所に入り、洗濯カゴの前でシャツのボタンに手をかける。
ふと、手をおろし。その手で風呂場の扉を開ける。
「……おい貴様」
アルトがいた。胸元を開けて袖をまくり、手にはシャワーが構えられていてウェルカムな感じで待機していた。首から鎖骨にかかるラインが妙に艶かしい。いつもよりよく見える機械的特徴に、秘密のものをみているように不意に高揚感を覚える。
意識を自分に引き戻すと、他ならぬ自分が風呂に入ろうとしていたところだ。アルトのような薄着では済まない。家で風呂に入るのにタオルを巻く習慣は慧恋にはない。あのままアルトに気付かなければ――
「あー……慧恋さま……。お背中流しましょうか?」
「ははは、遠慮しておこう」
「そうですか。それは残念です。ではまたの機会に……」
一糸纏わぬ姿を正面から見られたはずだった。
「待て」
広くない脱衣場を慧恋の脇を通って抜けようとした肩を、震える手が、がしっと掴む。
「説教してやる」
とびきりの笑顔だったという。




