↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/36

EP 8

限界の治癒

 トオルの胸元から溢れ出した緑色の光は、夜の闇を真昼のように照らし出した。

 それはただの光ではない。メルちゃん――変異ベビーメロロンが放つ、純度百パーセントの強烈な生命エネルギー(マナ)の奔流だった。

「ギチッ……!? ギィイイイイッ!!」

 死の瘴気を動力源とする死蟲機(ネクロアント)たちにとって、その純粋すぎる生命の光は猛毒に等しかった。先頭にいた大型個体が苦悶の叫びを上げ、酸を吐き出す器官を押さえるようにしてのたうち回る。

 それに連鎖するように、押し寄せていた魔蟲の群れ全体が、光から逃れるようにジリジリと後退し始めたのだ。

「……メルちゃんが、魔獣を退けている?」

 トオルは胸元の小さな相棒を見下ろした。メルちゃんは蔓の手足をぐったりと垂らし、持てる限りの力を振り絞っているようだった。

「今だよ、トオル君! 今のうちにマンミアを広場へ!」

 キャルルの切羽詰まった声で、トオルは我に返った。

「お、おうっ! みんな、手を貸してくれ!」

 トオルは自警団の男たちと共に、倒れ伏したマンミアの巨体をなんとか引きずり起こした。ケンタウロスの馬の胴体は恐ろしく重かったが、火事場の馬鹿力と村人たちの協力で、なんとか村の中心にある広場まで後退することに成功した。

 前線では、キャルルが殿(しんがり)を務め、光を嫌って動きの鈍ったネクロアントの残党をトンファーで牽制しながら、バリケードを再構築している。

「マンミアさん、しっかりしてください!」

 広場に敷いた毛布の上にマンミアを寝かせると、トオルは絶句した。

 彼女の肩から胴体にかけて、酸による深刻な火傷が広がっていた。装甲はドロドロに溶け、皮膚は黒く変色している。意識は混濁し、荒い息を吐くたびに口の端から血の混じった泡が漏れていた。

「酷い……ただの酸じゃない、壊死毒が混ざっているんだ」

 トオルは唇を噛んだ。第3話で出した『抗生物質』は死蟲機の毒に有効だったが、それはあくまで初期症状や軽傷の場合だ。ここまで広範囲に細胞が破壊され、全身に毒が回ってしまっては、小さな錠剤一つではどうにもならない。

「道を開けて!」

 前線から駆け戻ってきたキャルルが、マンミアのそばに滑り込むように跪いた。

 その顔には、今まで見たことのないような悲痛な焦燥が浮かんでいた。

「マンミア……っ、私を庇って……ごめん、ごめんね……!」

「村長、駄目です! キャルルさんの治癒は、満月じゃないと大怪我には効かないんじゃ……!」

 トオルが制止しようとするが、キャルルは首を横に振った。

「満月じゃなくても、私の命を削れば……足りない分のマナは補える! マンミアは私の一番の親友なの。絶対に死なせはしない!」

 キャルルが両手をマンミアの胸に押し当てた。

 ルビー色の瞳が強く発光し、頭上の兎耳がピンと逆立つ。彼女の全身から、銀白色のオーラが立ち昇り始めた。

 月兎族の治癒権能。本来なら月の光を変換して行う奇跡の力を、彼女は自身の生命力(闘気)を無理やり変換することで代用しようとしていた。

「ハァアアアアッ……!!」

 キャルルの両手から、眩い光がマンミアの傷口へと注がれ始める。

 ジュウジュウと音を立てていた酸の浸食が止まり、黒く壊死していた皮膚が少しずつ赤みを取り戻していく。目に見えるほどの肉芽再生。

 しかし、その代償はあまりにも残酷だった。

「がはっ……!」

 キャルルの口から、鮮血がどっと吐き出された。

 透き通るような白い肌が土気色に染まり、全身から滝のような冷や汗が噴き出す。オーバーサイズのパーカーが、彼女自身の血と汗でべったりと張り付いていた。

「キャルルさん! もうやめてください、これ以上はあなたが死んでしまう!」

「だ、め……! まだ、毒が抜けきって……ない……っ!」

 トオルが肩を掴んでも、キャルルは絶対に手を離そうとしなかった。「目の前で苦しむ人を助けたい」。その純粋で強烈な善性が、彼女自身を滅ぼそうとしている。

 トオルは自分の無力さに歯を食い縛った。

 前世で、窓口で泣き崩れる市民に頭を下げるしかなかった自分。

 そして今、目の前で命を削る少女を止めることすらできない自分。

(俺は、また見ているだけなのか……! 何か、何かないのか!)

 トオルは空中のステータス画面を乱暴に展開した。

 現在の残高は275pt。

 医療カテゴリを血眼になってスクロールする。ポーションやエリクサーのような魔法のアイテムはない。そこにあるのは、現実世界のドラッグストアに並んでいるような日用品だけだ。

「……くそっ。それでも、やれることをやるしかない!」

【体温計(予測式電子タイプ/2pt)を具現化しますか?】

【総合感冒薬(粉末タイプ・12包/3pt)を具現化しますか?】

 ――YES!

 残高270pt。

 トオルは現れた体温計のスイッチを入れ、キャルルの脇に素早く挟み込んだ。

「ピー、ピー」と数秒で鳴った電子音。液晶に表示された数字は『40.5度』。極度の魔力消費による重度の知恵熱と炎症反応だ。このままでは脳に深刻なダメージが残る。

「キャルルさん、少しだけ口を開けて!」

 トオルは総合感冒薬の粉末を封から開け、水と一緒にキャルルの口へ流し込んだ。

 風邪薬の主な成分であるアセトアミノフェンやイブプロフェンは、魔法の解熱剤ではない。しかし、神経に作用して一時的に熱を下げ、痛みを和らげる効果は確実にある。

「こほっ……。トオル、くん……これ、にがい……」

「我慢してください。少しは熱が引くはずだ。俺が体を支えますから、無理だけはしないで」

 トオルはキャルルの背中に回り、その華奢な体をしっかりと抱きとめた。彼女の体は、火の玉のように熱かった。

「……ありがとう、トオル君。あったかい、や……」

 キャルルは微かに微笑むと、再び気力を振り絞ってマンミアへの治癒を続けた。

 薬の効果で少し呼吸が落ち着いたのか、それともトオルが支えていることによる安心感か、キャルルの放つ銀白色の光が再び力強さを増した。

 数分後。

 マンミアの体を覆っていた黒い壊死毒が完全に消え去り、火傷の跡が塞がって新しい皮膚が形成された。

「う、うーん……」

 マンミアが低く呻き声を上げ、ゆっくりと目を開けた。

「……村長? 私は、一体……。それにトオル、無事だったか……」

「マンミアさん! 良かった……!」

 トオルが安堵の声を上げる。

 だが、限界まで命を削り切ったキャルルの体は、糸が切れた操り人形のように崩れ落ち、トオルの胸の中で完全に気を失っていた。

「キャルルさん! キャルルさん!」

 トオルは彼女の青ざめた顔を抱き寄せた。息はしているが、脈が弱々しい。体力の限界を超えたことによる深刻な魔力欠乏症だ。

「……村長が、私を……」

 身を起こしたマンミアが、自らの綺麗な皮膚と、血を吐いて倒れているキャルルを交互に見つめ、すべてを悟ったように唇を噛み締めた。

「私の盾が未熟なばかりに……村長に命を削らせてしまった……!」

 マンミアの悲痛な声が、広場に重く響いた。

 村人たちも言葉を失い、ただ俯いている。前線のバリケードはどうにか持ちこたえているようだが、ネクロアントの群れが完全に退いたわけではない。森の奥には、まだ無数の気配が蠢いている。

 トオルは、気を失ったキャルルをそっと毛布に寝かせた。

 右手のひらには、空になったスプレーボトルとライター、そして体温計が握られていた。

(俺の出した道具は、確かに役には立った。だけど……)

 トオルは拳を強く握りしめた。

(こんな小手先の日用品じゃ駄目だ。絆創膏や解熱剤で傷を癒やせても、そもそも傷つかないための『防衛力』がない。防壁が木組みの丸太なんて、近代兵器を持つ軍隊やあの大群の前には、ただの紙切れと同じじゃないか)

 この村には、絶対的な防御力が足りない。

 力技で敵を粉砕するマンミアやキャルルに、すべてを背負わせているだけだ。彼女たちが倒れれば、この村は一晩で壊滅する。

「誰もが安心して駆け込める場所……。それを口にするなら、俺が、この村を『要塞』にしなきゃいけないんだ」

 トオルは再び、空中にステータス画面を呼び出した。

【ユニークスキル:公共事業(パブリック・ワークス)】

(貢献度を消費し、公共の利益となる物品を具現化します)

 その曖昧な説明文。

 今まで、彼は「公共の利益」という言葉を、「トイレットペーパー」や「薬」「浄水器」といった、生活を豊かにするための日用品だとばかり思い込んでいた。

 しかし、本当にそれだけなのだろうか?

「公共事業……。前世で俺が担当していたインフラ整備。道路を舗装し、水道管を敷き……そして、土砂崩れや災害から市民の命を守るための『護岸工事』や『防潮堤』の建設」

 トオルの脳内に、一つの閃きが走った。

 市民の命を脅かす脅威を物理的に遮断するための土木工事。それこそが、国家や自治体が行う最大の『公共事業』ではないのか。

「……試してみる価値はある」

 トオルは画面をスクロールさせ、今まで見落としていたカテゴリへと指を伸ばした。

 未解放のグレーアウトされたリストが並ぶ中、彼の視線はある一つの項目に釘付けになった。

「これなら……俺の知識で、この村の防衛線を根本から作り変えられるかもしれない」

 夜明け前の冷たい風の中、過労死公務員の目に、かつてない決意の光が宿っていた。

読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。