EP 35
見えない死角を消す
コンクリートで美しく舗装された道路、二十四時間稼働する上下水道、そして無煙でゴミを灰へと還す産業用焼却炉。
急速な近代化を遂げたポポロ村は、三千人を超える難民と職人たちを受け入れ、朝から晩まで活気という名の熱気に包まれていた。
だが、インフラが整い、物流の速度が跳ね上がったことで、今度は「スピード」に社会が追いつかないという新たな歪みが生じていた。
「危ないっ! 止まれ止まれぇえっ!」
「うわっ、曲がり角から急に出てくるな!」
ガッシャアアアンッ!!
役場の窓の外から、けたたましい衝突音と罵声が響いた。
執務室で書類を整理していたトオルが窓から顔を出すと、コンクリート舗装された大通りと、住宅区画から伸びる路地が交差する十字路で、資材を満載した荷車と、ネコ車(一輪車)を押していた自警団員が正面衝突していた。
幸い怪我人は出なかったようだが、荷車の木箱がひっくり返り、積み荷の野菜と鉄釘が道路一面に散乱している。
「……またか」
トオルは深くため息をつき、額に手を当てた。
「副村長、これで今週に入ってから四件目です」
眼鏡の位置を直しながら、シルヴァンが事故記録簿を差し出してきた。
「道路が平らになり、車輪の摩擦が減ったことで、誰もがスピードを出しすぎています。おまけに、防壁沿いや新市街地に建物が密集してきたせいで、建物の角が完全な『死角』になっているのです。曲がる直前まで相手の姿が見えません」
「それだけではないぞ!」
執務室の扉を開け、マンミアが険しい顔で入ってきた。
「村の人口が急増したせいで、何かあった時の情報伝達が致命的に遅れている。今朝も北の農地で迷子の子供が出たが、見張り櫓の半鐘を鳴らしても『魔獣襲来か?』と村中がパニックになるだけで、詳しい内容が全く伝わらんのだ!」
半鐘の乱打は「非常事態」を知らせることはできても、「何が起きて、どこへ逃げるべきか」という詳細な情報は伝えられない。
三千人規模の都市において、物理的な「死角」と、情報伝達の「空白」は、致命的な事故やパニックの引き金になりかねなかった。
「……交通工学と、地域防災無線だな」
トオルは防水メモ帳を閉じ、立ち上がった。
「事故が起きてから怒鳴り合っても意味はありません。事故が起きない『視覚環境』を作り、一瞬で全村民に指示が通る『声のインフラ』を整備します」
***
その頃。
ポポロ村の西側、新市街地の防壁の隙間に、一人の怪しげな少女が身を潜めていた。
ボロボロの茶色いローブを目深に被り、手には水晶玉が埋め込まれた黒い長方形の端末――魔導通信石を構えている。
少女の名はキュララ。
大陸中のゴシップや事件を拾い集め、冒険者ギルドや大都市の受信板に向けてリアルタイムで魔導音声を垂れ流す、新進気鋭のフリーランス情報屋(パパラッチ配信者)だった。
「ふっふっふ……。見つけたわよ、謎の独立要塞『ポポロ村』の裏側!」
キュララはフードの奥から大きな琥珀色の瞳を輝かせ、魔導通信石に向かって小声で囁いた。
『リスナーの皆様、聞こえますか!? 大陸の最前線からキュララがお届けしています! 帝国の辺境に突如現れた謎の村……表向きは慈善事業を装っていますが、実態は違法な魔獣密売か、禁呪を用いたカルト結社に違いありません! 今からこのキュララが、決死の潜入ルポでその闇を暴いてみせます!』
通信石の表面に、魔力を通じたリスナーからの文字コメントがパラパラと流れる。
『おいおい、本当にあのポポロ村かよ』
『帝国軍すら手を出せないヤバい村だぞ、気をつけて潜入しろ』
「へーきへーき! この影隠れのローブがあれば、誰にも見つからずに……きゃっ!?」
路地から大通りへ飛び出そうとした瞬間、猛烈なスピードで走ってきた荷車の巨体が、キュララの目の前に迫った。
「うわあああっ! どけぇええっ!」
「ひゃああっ!?」
死角からの飛び出し。避けられない。
キュララが目を瞑り、撥ね飛ばされるのを覚悟した――その刹那。
ガシッ!
強い力で襟首を引っ張られ、キュララの体は宙に浮いて路地の内側へと引き戻された。
ゴオォッ! と目の前を荷車が風を巻いて通り過ぎていく。
「……前も見ずに曲がり角から飛び出すなんて、危険ですよ」
穏やかだが、酷く呆れた声が頭上から降ってきた。
キュララが恐る恐る目を開けると、そこには黒髪の地味な青年――トオルが立っていた。
「あ、あわわ……た、助かった……? ていうか、あんた誰!?」
「ポポロ村の副村長です。怪我はありませんか?」
「ふ、副村長ぉおおおっ!?」
ターゲットの最高幹部がいきなり現れ、キュララは通信石を取り落としそうになりながら飛び退いた。
「ちょうどいい。シルヴァン、マンミアさん、ここから始めましょう」
トオルは不審な少女を気にする様子もなく、後ろに控えていた役場と自警団の面々に声をかけた。
トオルは空中のステータス画面を展開した。
現在の残高は11,769pt。
第5段階『設備』のリストから、まずは交通安全の切り札を選択する。
【カーブミラー(道路反射鏡・大型丸型ステンレス製・支柱付き/15pt)を4基具現化しますか?】
――YES。
残高11,754pt。
トオルの足元に、太い鋼鉄の支柱と、オレンジ色の丸い枠に嵌め込まれたピカピカの巨大な鏡が現れた。鏡面はわずかに外側へ膨らんでいる。
「トオル、これは姿見か? なぜこんな街道の交差点に鏡を置くのだ」
マンミアが首を傾げる。
「ただの鏡じゃありません。『カーブミラー(凸面鏡)』です」
トオルはヒエンを呼び、交差点の四隅の壁際へ支柱をガッチリと埋め込ませた。そして、鏡の角度を調整し、路地側と大通りの双方が映り込むように固定する。
「マンミアさん、ちょっと路地の奥から歩いてきてみてください」
「う、うむ」
マンミアが路地へ下がり、交差点へと近づく。
その時、大通りを歩いていた村人の一人が驚きの声を上げた。
「お、おい! あの丸い鏡を見ろ! 建物の陰に隠れてるはずのケンタウロスが、鏡の中に丸見えだぞ!」
「えっ!?」
マンミアも足を止め、鏡を見上げた。
交差点の手前、数十メートル離れた位置からでも、鏡の曲面を通じて、大通りから荷車が近づいている様子がはっきりと視認できたのだ。
「す、すごい……! 目の前に障害物があるのに、まるで壁が透けて見えるかのようだ!」
「凸面鏡は、光を広く反射して視野を広げる効果があります。曲がる前にこの鏡を一目見るだけで、死角から迫る歩行者や荷車を百パーセント察知できる。これで、出会い頭の衝突事故はゼロになります」
「なんという知恵だ……! 魔法の透視薬など使わずとも、鏡を少し曲げるだけで死角を消し去るとは!」
村人たちが歓声を上げ、カーブミラーを物珍しそうに覗き込む。
その光景を、キュララは口をあんぐりと開けて魔導通信石で録画していた。
『ちょ、ちょっとリスナーのみんな!? 見た!? あれ魔法陣じゃないよ、ただの鉄の鏡で視界をハックしたよ!?』
通信石の画面が、リスナーの驚愕コメントで埋め尽くされていく。
『マジかよ、曲がり角の向こうが見えるのか!?』
『冒険者のダンジョン探索にも欲しいんだが!』
「さて、次は『声』のインフラです」
トオルはさらにステータス画面を操作した。
【防災用拡声器システム(大出力トランペットスピーカー4基・集中アンプ・マイク一式/50pt)を具現化しますか?】
――YES!!
残高11,704pt。
ドスンッ! と役場の前に現れたのは、巨大な金属製のメガホン型スピーカー四基と、ボタンが並んだアンプユニット、そして一本の有線マイクだった。
「ヒエンさん、この四つのスピーカーを、村の中央の見張り櫓の頂点に、東西南北へ向けて取り付けてください。電源はソーラー蓄電池から引きます」
「合点承知だ!」
あっという間に見張り櫓の最上階にスピーカーが設置され、配線が役場のデスクのアンプへと繋がれた。
トオルはマイクを手に取り、電源スイッチを入れた。
キィィン……という微かなハウリング音の直後。
トオルは軽く咳払いをして、マイクに向かって息を吹き込んだ。
『あー、あー。本日は晴天なり。マイクのテスト中。……こちらは、ポポロ村役場です』
ドガァァァァァンッッ!!!!
村中に雷が落ちたかのような、途方もない大音量の声が、全域に響き渡った。
見張り櫓から放たれた音声は、防壁に反響し、農地にも、住宅街にも、山麓のサウナにすら、トオルの声が一言一句違わずクリアに届いたのだ。
「ひゃあああっ!? 空が喋ったぁああっ!?」
キュララが耳を押さえて地面にへたり込む。
畑で大根を抜いていた農民も、サウナで汗を流していたスアイも、一斉に空を見上げた。
『村民の皆様にお知らせします。ただいま、交通安全のためのカーブミラーを設置しました。曲がり角では必ず徐行してください。また、迷子や落とし物の情報は、今後すべてこのスピーカーを通じて全村に放送します。半鐘の乱打は、真の緊急事態のみとします。……以上、役場からのお知らせでした』
プツン、と放送が切れると、村中から鳥肌の立つような歓声が湧き起こった。
「すげぇぇぇっ! 役場に座ったまま、村の端っこまで声が届きやがった!」
「これなら、子供が迷子になっても一瞬で見つかるぞ!」
「情報伝達のタイムラグが、完全にゼロになった……」
シルヴァンが感涙にむせび、手帳にペンを走らせる。
「有事の際も、的確な避難指示を全域に出せる。この村の防衛力は、また一段階引き上げられました!」
ピロンッ♪
【カーブミラーおよび防災拡声器を導入し、村の交通安全と情報通信網を確立しました。】
【事故率の激減と緊急時避難体制の完成により、貢献度ポイント +300pt を獲得しました。】
【現在の残高:12,004pt】
ポイントが大台の万二千を超えた。トオルが満足げに頷いた、その時だった。
「……あ、あのっ!」
先ほど助けた少女――キュララが、フードを脱ぎ捨ててトオルの前にズカズカと詰め寄ってきた。
鳥の羽のような癖毛を揺らし、胸元にはギルド公認の記者章が光っている。
「な、なんですか?」
「あ、あんた! 今の放送設備と、あの曲がり角の鏡! あれ、大陸全土に配信したらとんでもない大スクープになるわよ! 私、キュララ! 大陸屈指の真実を暴くジャーナリスト兼インフルエンサーよ!」
キュララは手元の魔導通信石をトオルの顔に突きつけた。
「この村、外では『邪悪な独立要塞』とか『帝国の反逆拠点』とかボロクソに噂されてるのよ!? でも実態は、こんな異次元の快適都市じゃない! 私にこの村の密着取材をさせなさい! この通信石で、あんたたちの生活を全世界に生配信してあげるわ!」
「生配信……?」
トオルは目を丸くした。前世でいうところのネット配信、動画共有サービスのようなものか。
「断るわ」
冷たい風とともに、キャルルがトオルの隣にスッと音もなく現れた。
その手には、ダブルトンファーが握られている。
「トオル君の作った大切な村を、見世物にする気? スパイなら、今すぐお肉に変えてあげるけど……」
「ひぃっ!? な、何この人、目が笑ってない!?」
キュララがガタガタと震え上がる。
「待ってください、キャルルさん」
トオルは考え込んだ。
ポポロ村の最大の弱点は、外部への「正確な情報発信手段」がないことだった。だからこそ、ゲル伯爵やリアク侯爵のような悪徳貴族に、不当なデマや濡れ衣を着せられそうになるのだ。
「キュララさん、取材を許可します」
「えっ、本当!?」
「ただし条件があります。嘘や誇張は一切禁止。この村の日常と、ルール通りの生活だけをありのままに配信すること。それから……」
トオルは見張り櫓のスピーカーを指差した。
「もし村に怪しいスパイや、ルールを破る犯罪者が現れたら、その通信石で顔と悪事を全世界に生中継してもらいます。『公開処刑配信』としてね」
「……うわぁ、副村長さんってば、笑顔でとんでもないエグいこと言うわね」
キュララは引きつった笑いを浮かべたが、すぐに「乗ったわ!」とニヤリと笑った。
「私を情報担当として雇いなさい! 面白いネタがあるなら、大陸の果てまでこのポポロ村の名を轟かせてあげる!」
こうして、図々しくも頼もしい専属配信者・キュララが仲間に加わった。
カーブミラーによる死角の排除、拡声器による村内通信、そしてキュララの魔導通信による外部への情報網。
ポポロ村は、物理的なインフラだけでなく、現代社会における最強の武器――『メディアと情報力』をも手に入れようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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