EP 32
命の水の安定供給
白亜のプレハブ診療所、夜を照らすLED街灯、そして悪臭を完全に駆逐した水洗トイレと浄化槽。
次々と導入される近代インフラによって、ポポロ村の生活水準は王都の貴族街すら凌駕しつつあった。
だが、文明の利器というものは、常に『新たな需要』を生み出すものである。
「副村長! 大変です、村の労働力バランスが崩壊しかかっています!」
役場の執務室で、大量の書類を抱えたシルヴァンが悲鳴を上げた。
「労働力が? 難民のシフトはうまく回っているはずだろ?」
トオルが首を傾げると、シルヴァンは血走った目で分厚いバインダーを机に叩きつけた。
「原因は『水』です! 診療所の衛生維持、数千人の飲料水、そして何より……あの素晴らしい『水洗トイレ』! あれらを稼働させるために、毎日途方もない量の水が必要になっているんです!」
トオルはハッとして窓の外を見た。
広場の井戸や、村の近くを流れる小川から、難民の女性たち――いわゆる『おばちゃん軍団』が、重たい木製のバケツを両手に提げて、列をなして歩いている。
「あいたたた……腰が砕けそうだよ」
「お水が綺麗なのはありがたいけど、これじゃあ一日中水汲みだけで日が暮れちまうねぇ」
「前の村長さんがいた頃は、数十人分でよかったのにねぇ……」
おばちゃんたちが汗だくになりながら、腰をトントンと叩いている。
以前、トオルは『携帯浄水フィルター』を出して泥水を安全な飲料水に変えた。しかし、それはあくまで「個人用のサバイバル器具」だ。三千人規模の都市の生活用水を賄うには、あまりにもスケールが小さすぎる。
「いくら塩ビパイプで水路を作っても、結局は『汲み上げる力』と『水源』が人力頼みになっていました。これではインフラとは呼べませんね」
トオルは深く反省し、立ち上がった。
「シルヴァン、水汲み部隊のシフトを今すぐ解除して、全員を広場に集めてくれ。今日で、ポポロ村から『水汲み労働』という概念を完全に消し去る」
***
数十分後。広場に集められた数百人のおばちゃんたちや村人を前に、トオルはステータス画面を展開した。
現在の残高は11,319pt。第5段階『設備』カテゴリの中から、都市の血脈となるアイテムを選択する。
【手押し井戸ポンプ(鋳鉄製・濾過ユニット付き/20pt)を5基具現化しますか?】
【大型貯水タンク(ステンレス製・容量50トン/150pt)を具現化しますか?】
――YES!!
残高11,069pt。
ズドォォォォォンッ!!!
凄まじい地響きと共に、広場や村の主要な区画に、緑色に塗装された鉄製の『手押しポンプ』が五基出現した。
さらに、村で一番高い丘――防壁の内側に作られた高台の上に、太陽の光を反射して銀色に輝く、巨大な円柱形の『ステンレスタンク』がそびえ立った。
「な、なんだいありゃあ! 銀色の巨大な塔が建ったよ!」
「こっちの緑色の鉄の塊はなんだい? 鳥のクチバシみたいなのが付いてるけど……」
おばちゃんたちがざわめく中、トオルはヒエンを呼んだ。
「ヒエンさん、このポンプの下から、以前使った『塩ビパイプ』を地下深くの水脈まで繋げてください。それから、ポンプから丘の上の貯水タンクへもパイプを這わせます」
「おう! 任せとけ!」
半神の腕力と神火を持つヒエンと、獣人の自警団による驚異的な突貫工事。近代鋼のスコップが唸りを上げ、あっという間にパイプが地中深くへと埋設され、すべてのポンプとタンクが繋がった。
「よし、完成です!」
トオルは広場の中央にある手押しポンプの前に立ち、長い鉄のレバーを握った。
「皆さんが毎日やっていた川からの水汲み。それは今日で終わりです。これからは、このレバーを上下に動かすだけで、地下深くの清流が無限に湧き出してきます!」
ギッコ、バッコ。ギッコ、バッコ。
トオルがレバーを数回押し引きすると、ポンプの中からゴボァッ! という音が鳴り……。
ザバァアアアアアッ!!!
ポンプの吐水口から、勢いよく透明な水が噴き出した。
「おおおおっ!!」
「魔法も使ってないのに、鉄の筒から水が吹き出したよ!?」
「これは『テコの原理』と『真空』を利用したポンプです。子供の力でも、地下数十メートルの深い水脈から、無尽蔵に水を汲み上げられる。しかも、内部に大型の浄水フィルターが組み込まれているので、煮沸しなくてもそのまま飲めます!」
トオルがコップに水を汲み、最前列にいたおばちゃんに手渡した。
おばちゃんが恐る恐る口をつけると、その目が驚きに見開かれた。
「冷たくて……美味しい! 泥臭さが全くない、山の湧き水みたいだよ!」
「さらに、このポンプで汲み上げた水の一部は、自動的にあの丘の上の『大型貯水タンク』へと送られます」
トオルは銀色に輝く五十トンの巨大タンクを指差した。
「あのタンクの中には、常に村人全員が数ヶ月間使い続けられるだけの水が備蓄されます。そして、タンクが高い場所にあるおかげで『重力(水圧)』が生まれ、村中のパイプを通じて、水洗トイレや診療所の蛇口をひねるだけで、自動的に水が出るようになるんです」
それを聞いた瞬間、おばちゃん軍団の間に数秒の静寂が落ち……直後、爆発のような歓声が上がった。
「ってことは、もう重たいバケツを持って、毎日何往復も川を往復しなくていいのかい!?」
「雨の日も、寒い冬の朝も、蛇口をひねるだけで綺麗な水が!? 嘘みたいだぁ!」
過酷な重労働からの完全な解放。
それは、彼女たちにとって魔法よりも尊い『奇跡』だった。
おばちゃんたちは感極まって涙を流し、一斉にトオルに群がってきた。
「副村長さん! あんた神様だよ! 拝ませておくれ!」
「あああ、トオル様! うちの娘を嫁にもらってくれないか! 料理は上手いんだよ!」
「ちょっとお前さん抜け駆けはずるいよ! うちの姪っ子なんてどうだい!」
もみくちゃにされ、頬に口紅の跡をつけられそうになるトオル。
「ちょ、皆さん落ち着いて! 俺はただの公務員で……っ!」
トオルが助けを求めて視線をさまよわせた、その時。
「……おばちゃんたち。ちょっと、トオル君から離れよっか?」
地獄の底から響くような、絶対零度の声。
群がるおばちゃんたちの背後に、キャルルが立っていた。
そのルビー色の瞳からは、一切の光が消え失せ、真っ黒な虚無だけが広がっている。彼女の背後には、怒りで実体化したようなドス黒い闘気が立ち昇っていた。
「ト、トオル君は、村の大事な副村長さんだから。あんまり触ると、疲れちゃうでしょ? ……それとも、私が直々に『マッサージ(物理)』してあげようか?」
キャルルがボキボキと指の関節を鳴らすと、歴戦のおばちゃん軍団ですら「ひぃっ!」と悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「た、助かりました、キャルルさん」
「トオル君」
キャルルは無表情のままトオルに近づき、トオルの胸ぐらをガシッと掴んだ。
「トオル君が優しいのは大好きだけど。誰にでもいい顔してたら、私、そのうち村の女の人全員をお肉に変えなきゃいけなくなっちゃうよ? トオル君のお世話をするのは、私だけでいいの。わかった?」
「わ、わかりました! 善処します!」
特級呪物(人参柄のハンカチ)のGPSがビンビンに反応しているのを感じながら、トオルは全力で首を縦に振った。キャルルのヤンデレ化は、村の文明レベルが上がるごとに重症化している気がする。
ピロンッ♪
【手押し井戸ポンプおよび大型貯水タンクを設置し、水汲み労働を完全にゼロにしました。】
【水系インフラの自動化と無尽蔵の備蓄確保により、貢献度ポイント +400pt を獲得しました。】
【現在の残高:11,469pt】
***
その日の午後。
役場の執務室で、シルヴァンが感動の涙を流しながら書類を整理していた。
「素晴らしい……。水汲みに割かれていた数百人分の労働力が、完全に自由になりました。これを農地開拓や特産品の加工に回せば、村のGDPはさらに跳ね上がります!」
「ええ。それに、あの貯水タンクは『農業用水』の安定供給にも使えます。これで干ばつが来ても、ガーリッ君やメロロンの畑が枯れることはありません」
トオルは窓から、銀色に輝く貯水タンクを見上げた。
「それに、一番大きな意味は『防衛』です」
「防衛、ですか?」
「以前、マルクス皇帝……いや、学者のマルクさんに指摘されたでしょう。兵糧攻めに遭えばどうなるかと」
トオルは不敵な笑みを浮かべた。
「あの時は『栄養バー』で食糧の備蓄を証明しました。そして今回、この村は『五十トンの無尽蔵の安全な水』を確保した。食糧と水。この二つが完全に独立して村の中に存在する以上、どれだけ強大な軍隊に包囲されようと、この村は絶対に『干上がらない』んです」
それは、城塞都市としての究極の完成を意味していた。
水と食糧を他国に依存しない絶対的な独立経済圏。
ポポロ村は、もはや「帝国の辺境領」という枠組みすらも超越した、沈まない要塞へと進化を遂げたのだ。
***
一方、帝都の暗部。
未来予知の盤面を睨みつけていたリアク侯爵は、苛立ちのあまり手元のワイングラスを壁に投げつけた。
「……馬鹿な。水と食糧の完全自給だと? しかも、数千人の難民をあっという間に労働力として組織化し、村の生産力を限界突破させただと……!?」
辺境の全責任を押し付け、過労と飢餓で自滅させるはずだったリアクの罠。
しかしトオルは、『労働基準法』というシステムで難民を戦力化し、大型インフラによって水と衛生の問題を完全にクリアしてしまった。
リアクの与えた「重圧」は、ポポロ村をより強固な独立国家へと鍛え上げるための、単なる「負荷トレーニング」にしかならなかったのだ。
「いいだろう。兵糧攻めが通じぬのなら、物理的な暴力でその小綺麗な箱庭ごと粉砕するまでだ」
リアクの冷酷な瞳に、明確な殺意が宿る。
「動かせ。天魔窟の『死蟲軍』の残存勢力すべてと、我が息のかかった強硬派の私兵部隊を。……帝国の名の下に、あの不快な村を地図から消し去ってやる」
完璧なインフラを手に入れたポポロ村に向け、黒幕の最大級の悪意が、ついに軍事行動という最悪の形で動き出そうとしていた。




