EP 30
白亜の癒やし堂
ポポロ村に役場が設立され、数千人の難民が適正なシフト制で働き始めてから数週間。
村の境界線を囲む鉄筋コンクリートの防壁工事は急ピッチで進み、広場には燦然と輝くLED街灯が夜の暗闇を完全に駆逐していた。
だが、人口の爆発的な増加と大規模な土木工事は、必然的に「怪我人」と「病人」の増加を招いていた。
「痛っ……す、すみません村長。石材を足に落としてしまって……」
「大丈夫だよ! 骨には異常ないから、すぐに治すね。……ハァアアッ!」
村長邸の庭先に張られた天幕の下で、キャルルが銀白色の治癒魔法を放つ。
怪我をした難民の足の腫れがスゥッと引いていくが、治療を終えたキャルルの額には、じっとりと脂汗が浮かんでいた。
「キャルルさん、少し休憩してください。今日だけで三十人目ですよ」
書類の束を抱えて通りかかったトオルが、心配そうに声をかける。
「平気だよ、トオル君。ファーストエイド(応急処置)が普及したおかげで、致死傷の患者は減ったし。でも、骨折や深い切り傷、それから過労から来る熱病なんかは、やっぱり魔法のお薬か治癒魔法がないと長引いちゃうから……」
キャルルは気丈に笑うが、その兎耳は疲労で力なく垂れ下がっている。
(このままじゃ駄目だ。行政システムを整えても、医療の根幹が『キャルルさん個人の魔力』に依存している。衛生的な環境で、誰もが安全に休息と治療を受けられる『専用の場所』が必要だ)
トオルがそう強く念じた、その時だった。
ピロンッ♪
トオルの網膜に、かつてないほど派手なファンファーレの電子音が鳴り響いた。
【条件達成:高度な行政システムと夜間インフラを確立し、都市化の基盤が整いました。】
【第5段階:『設備』カテゴリが解放されました。】
「……! 来た!」
トオルは目を見開いた。
第4段階の『素材・工具』は、あくまで人間の手で組み立てるためのパーツだった。だが、第5段階『設備』のリストに並んでいるのは、一つの機能が完全にパッケージングされた「施設」そのものだ。
トオルはすぐさま役場からシルヴァンとマンミアを呼び出し、村の中央広場の脇――あらかじめ空き地として確保しておいた区画へと向かった。
現在の残高は11,069pt。トオルは迷わず、リストのトップにあるアイテムを選択する。
【プレハブ診療所(診察室・ベッド4床・基本医療器具一式付属/300pt)を具現化しますか?】
――YES!!
残高10,769pt。
ズッドォォォォォンッ!!!
地響きと共に、空間が歪む。
何もない平地に、突如として真っ白な外壁を持つ一階建ての四角い建築物が出現した。屋根には頑丈な鋼板が葺かれ、入り口にはスムーズに開閉するアルミサッシの引き戸が備わっている。
「な、なんだこの真っ白な四角い家は!?」
マンミアが目を丸くする。
「『プレハブ診療所』です。中に入ってください」
トオルが引き戸を開けると、中には現代日本の中規模クリニックと全く同じ、清潔で機能的な空間が広がっていた。
抗菌加工された滑らかな床。ステンレス製の流し台。そして、カーテンで仕切られた四つの診察用ベッド。キャビネットには、包帯やピンセット、消毒液などの基本的な医療器具が整然と並べられている。
「すごい……! 床に泥が一つも落ちてない! 空気の匂いまで違うよ!」
キャルルが靴を脱いで上がり込み、ルビー色の瞳をキラキラと輝かせた。
中世ファンタジー世界において、家の中といえば土間か、埃っぽい木の床が基本だ。これほどまでに「無菌状態」を保てる空間は、王都の宮廷にすら存在しない。
「今日から、ここがポポロ村の『中央診療所』です」
トオルはキャルルを振り返った。
「怪我人や病人は、すべてここに収容します。清潔なベッドと保温された環境で、美味しい食事をとって寝かせておくだけで、自己免疫力で大半の怪我や病気は治ります。キャルルさんの治癒魔法は、ここでどうしても命に関わる重症患者が出た時の『最終手段』として温存してください」
「私が、この真っ白なお家の責任者……?」
「ええ。難民の中に、薬草の知識がある者や、手先の器用な女性が数人いました。彼女たちをシルヴァンに手配させ、看護スタッフとして配属します。キャルルさんは『院長』として、彼女たちに指示を出してください」
「院長……。うんっ! 私、頑張る! トオル君が作ってくれたこの癒やしのお家で、村のみんなを絶対に死なせないようにするね!」
キャルルが満面の笑みで頷いた。
これにより、ポポロ村の医療体制は「個人の魔法」から「組織的な近代医療」へと劇的な進化を遂げた。死亡率を限りなくゼロに近づける、絶対的な命の砦の完成である。
***
「なるほど。これが噂の『診療所』か。こりゃあ、たまらんな」
数日後。
診療所のベッドで、ゴルド商会のニャングルが羅宇煙管を咥えながら(※火はつけていない)、ふかふかのマットレスの感触を楽しんでいた。
「ニャングルさん、健康体なのにベッドを占領しないでくださいよ。重病人が来たらどうするんです」
トオルが呆れたように言うと、ニャングルはニヤリと笑って起き上がった。
「すまんすまん。だがなトオル、お前の作ったこの『絶対に死なない村』の噂……どうやら、ただの難民や貧民だけの話じゃなくなってきとるで」
「と、言いますと?」
ニャングルは声を潜めた。
「最近、新しく村に逃げ込んでくる連中の中に、身なりのええ職人や、小金を持った商人が混ざり始めとるんや。あいつら、西の『ムーンキャピタル』から逃げてきた連中やぞ」
「ムーンキャピタルから……? ゲル伯爵の領地ですよね。でも、あそこは帝国の直轄都市に近い、豊かな街のはずじゃ……」
「豊かなのは見た目だけや。お前も知っとるやろ、あの街の『スメルハザード(悪臭)』を」
ニャングルが鼻をつまむ仕草をする。
「街は下水で溢れ、香水の匂いで誤魔化しとるが、衛生環境は最悪や。おまけにゲル伯爵は、公開審査でお前らに負けた腹いせに、領民への税を理不尽に引き上げとる。……そんな中、『ポポロ村に行けば、綺麗な水が飲めて、病気も怪我も治る真っ白な施設があり、定時で帰れる』なんて噂を聞いたら、どうなる?」
トオルはハッとした。
「中産階級の……頭脳流出」
「その通りや。金も技術もある連中が、あんな下水臭い街を捨てて、この村に『亡命』し始めとるんや。ゲル伯爵の領地は、今、内部から音を立てて崩壊しつつあるで」
インフラの格差が、そのまま国家間の競争力を決定づける。
ポポロ村の圧倒的な『住みやすさ』は、ついに近隣の都市から富と人材を直接吸い上げるブラックホールへと変貌し始めていたのだ。
***
その日の夜。
トオルは自室のデスクで、村の人口増加に伴う次なるインフラ整備――『上下水道の完全開通』の計画図を引いていた。
ムーンキャピタルからの亡命者が増えれば、いよいよ本格的な都市機能が必要になる。
「ふぅ……」
ペンを置き、目頭を揉んだ時だった。
『パパ……おつかれさま』
ポスッ、と柔らかいものがトオルの膝の上に乗った。
相棒の変異魔植物、ベビーメロロンの『メルちゃん』だ。
村に来た当初は手のひらサイズだった彼女だが、今は小さなスイカほどの大きさに成長し、ツルでできた手足も少しだけしっかりとしていた。
「メルちゃん。起きてたのか」
トオルがその丸い頭(果頂部)を撫でると、メルちゃんの体から、ポワァ……と淡いエメラルドグリーンの光が放たれた。
『メル、もっと大きくなる……パパの疲れ、とる……パパ、まもる……』
光がトオルの体を包み込むと、デスクワークで凝り固まっていた肩の痛みや、目の奥の疲労感が、まるで冷たい清流で洗い流されたようにスゥッと消え去っていった。
「これは……凄いな。キャルルさんの治癒魔法とも違う、純粋な『浄化』の力か」
トオルは驚いて自分の手を見た。
かつて死蟲機の襲撃の際、微かな光で魔獣の毒を中和したメルちゃんだが、その力は確実に強くなっている。
彼女はただの愛玩動物ではない。異世界の魔力と、トオルの優しさを吸収して育つ、未知の存在だ。
「ありがとう、メルちゃん。おかげでまだ頑張れそうだ」
『えへへ……パパ、しゅき♡』
メルちゃんがトオルの胸にすりすりとツルを這わせる。
(……気のせいか、この『重い愛情』のベクトル、どこかのヤンデレ村長に似てきてないか?)
トオルは少しだけ背筋に冷たいものを感じつつも、膝の上の温かな重みを抱きしめた。
第5段階『設備』の解放による、プレハブ診療所の完成。
村は今、物理的にも、社会的にも「絶対に死なない場所」としての完成形に近づきつつある。
だが、その圧倒的な光が強くなればなるほど、ムーンキャピタルや帝都の暗部でうごめく影たちは、ポポロ村を本格的に『敵』として認識し、次なる包囲網を狭めようとしていた。
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