EP 29
灯りのともる夜
ルナミス帝国から押し付けられた『辺境全域の統治権』。
それは、トオルという一介の副村長に、数千人の難民の命と、見渡す限りの荒野の管理責任を背負わせるという、途方もない重圧(ブラック案件)だった。
シルヴァンの加入と『労働基準法』の施行により、日中の業務は驚くほどスムーズに回るようになった。定時退社も完全に守られている。
しかし――。
深夜。村長邸に割り当てられた自室のベッドで、トオルは一人、暗闇の中で目を見開いていた。
(……眠れない)
窓の外から聞こえてくるのは、秋の冷たい夜風の音と、遠くの森で時折鳴く魔獣の不気味な遠吠えだけだ。
昼間は気丈に振る舞い、公僕としての自信を見せつけていたトオルだが、彼の本質はどこにでもいる平凡な青年である。
何千人もの命が、自分の判断一つにかかっている。
もし食糧の計算を一つ間違えれば。もし防壁の構造に欠陥があれば。
あの難民の子供たちも、シルヴァンも、そしてキャルルやマンミアたちも、全員が命を落とすことになるのだ。
「……前世で窓口に立っていた時とは、責任のケタが違う」
トオルは毛布を跳ね除け、ベッドから起き上がった。
寝汗でシャツが肌に張り付いている。足元で丸くなっていた相棒のメルちゃん(ベビーメロロン)が、『パパ……?』と心配そうに微かなテレパシーを送ってきた。
「ごめん、起こしたな。少し外の空気を吸ってくるよ」
トオルは上着を羽織り、そっと部屋を抜け出した。
***
ポポロ村の夜は、文字通り『漆黒』だった。
月が雲に隠れれば、コンクリートで舗装されたメインストリートでさえ、足元が見えなくなるほど暗い。村のあちこちで焚き火や松明が細々と燃えているが、それらは風が吹けば消えそうな、頼りない灯りだった。
「暗いな……」
トオルは夜の村を歩きながら、改めてその事実に直面した。
中世レベルの世界観では当たり前のことだが、現代日本の不夜城を知るトオルにとって、この完全な暗闇は人間の本能的な恐怖を煽るものだった。
暗闇は、犯罪の温床になる。
難民が数千人も集まり、まだ完全に統制が取れていない現状で、もし夜間に食糧の盗難や暴動が起きれば、自警団の目(松明の明かり)だけでは到底防ぎきれない。
さらに、暗闇は魔獣に有利な狩り場を提供する。どんなに強固な鉄筋コンクリートの防壁を作っても、夜の闇に紛れて飛行型の魔獣が入り込んでくれば、村人は無防備に屠られる。
「俺は、インフラの基本を見落としていた。物理的な壁だけじゃ駄目だ。夜の安全を確保しなければ、『誰もが安心して眠れる村』にはならない」
トオルは広場の中央で立ち止まり、虚空を睨んでステータス画面を展開した。
現在の残高は10,919pt。
本来なら、まだ大規模な設備を自由に引き出せる段階ではない。しかし、ポイントの蓄積と、領主権限という莫大な責任を引き受けたことが、システムの『制限』を少しずつ緩め始めていた。
トオルはインフラカテゴリのリストから、一つのアイテムを検索し、選択した。
【ソーラーバッテリー内蔵型・LED街灯(ポール付き・5本セット/50pt)を具現化しますか?】
――YES!!
少し多めのポイント消費。残高10,869pt。
ズウンッ!!
という重たい金属音と共に、トオルの目の前に長さ五メートルを超える強靭な鋼鉄のポールと、その先端に取り付けられた巨大なLED照明ユニットが現れた。上部には太陽光発電パネルが搭載され、根元には大容量のバッテリーが内蔵されている、完全独立稼働型の近代街灯だ。
「よし……」
トオルは『近代鋼のスコップ』を取り出し、広場の中央、そしてメインストリートの交差点となる場所に、次々と深い穴を掘った。
そして、ポールを立て、根元に少量のコンクリートを流し込んで固定していく。一人での作業だったが、土木工事の手順は完全に体に染み付いていた。
作業を終え、ポールの根元にある主電源スイッチを押し込んだ瞬間。
パチッ。
ジジジ……カッ!!!
漆黒の闇に包まれていたポポロ村の広場に、太陽が落ちてきたかのような、真っ白で強烈な光が弾けた。
炎の揺らめきではない。魔力による不安定な燐光でもない。
電気という物理エネルギーが、半導体を通じて極限の効率で光に変換される、絶対的な『文明の光』だった。
「……すげぇ」
トオル自身も、思わず手で目を覆うほど明るかった。
LED街灯の白い光は、コンクリートの道を真昼のように照らし出し、建物の影をくっきりと地面に落としている。この光の下では、どんな犯罪者も魔獣も、影に潜むことは絶対に不可能だ。
「トオル君?」
背後から、驚いたような声がした。
振り返ると、パジャマ代わりの大きめのパーカーを羽織り、兎耳をピンと立てたキャルルが立っていた。強烈な光に目を瞬かせている。
「キャルルさん。起こしてしまいましたか?」
「ううん、窓の外が急に真昼みたいに明るくなったから、びっくりして……。これ、トオル君が出したの?」
キャルルは、高くそびえ立つ鋼鉄のポールと、眩い光を放つLED照明を口を開けて見上げている。
「ええ。『街灯』です。昼間のうちに太陽の光を溜め込んで、夜になると自動で周囲を照らしてくれるんです。火を使わないから、風が吹いても雨が降っても絶対に消えません」
「風が吹いても消えない……すごい。お城の魔導照明よりずっと明るいし、なんだか、とっても安心する光だね」
キャルルはトオルの隣に並び、街灯の下のコンクリートの道を歩き始めた。
「夜の散歩なんて、ポポロ村に来てから初めてかも。いつもは暗くて、魔獣が怖くて外に出られなかったから」
「そうですね」
トオルもキャルルと並んで歩きながら、夜風を肌に感じた。
煌々と照らされた道。自分の足元に伸びる影。それは、前世で仕事帰りに歩いていた、日本の深夜の住宅街の景色にどこか似ていた。
「……実は、少し怖かったんです」
トオルは、ポツリと本音を漏らした。
「怖かった?」
「はい。皇帝から半径百キロの責任を押し付けられて、数千人の難民が来て。俺の判断一つで、村が滅ぶかもしれない。その重圧に、さっき部屋で押し潰されそうになっていました」
キャルルは足を止め、ルビー色の瞳でトオルを真っ直ぐに見つめた。
「トオル君……」
「俺は、ただの市役所の窓口係だったんです。英雄でも、将軍でもない。こんな巨大な命の責任を背負う器じゃないんじゃないかって……」
震えるトオルの手を、キャルルの温かく柔らかい両手が、ギュッと包み込んだ。
「トオル君は、一人じゃないよ」
キャルルの声は、夜の静寂の中で驚くほど優しく、そして力強かった。
「トオル君が一人で全部背負う必要なんてないの。今日だって、シルヴァンさんや窓口のみんなが助けてくれたでしょ? マンミアも、ニャングルも、ネギオも、そして私も……みんな、トオル君が作る『誰もが安心して眠れる村』っていう夢に惹かれて、ここにいるんだよ」
キャルルは、トオルの手に自分の頬をすり寄せた。
「だから、怖い時は私を頼って。私たちが、トオル君の作ったこの場所を絶対に守るから。……それにね」
キャルルの瞳の奥で、微かに昏い執着の光が揺らいだ。
「私が、ずーっとトオル君のこと見てるから。トオル君がどこで何を悩んでいても、私が全部わかってあげる。絶対に、どこにも逃がさないし、一人で苦しませたりしないからね♡」
(最後の最後でヤンデレの圧が強い!!)
トオルは背筋に一抹の悪寒を感じつつも、彼女のその重たい愛情が、今は不思議と心地よかった。
「……ありがとうございます、キャルルさん。少し、肩の荷が降りました」
「えへへ、どういたしまして。私の特別な副村長さん」
二人は再び歩き出した。
LED街灯の光に照らされたメインストリートは、どこまでも白く、安全に続いていた。
***
翌朝。
村人たちや難民がテントから顔を出した時、彼らは広場にそびえ立つ鋼鉄の塔を見て息を呑んだ。
そして、昨夜夜間警備に当たっていた自警団の男たちが、興奮気味に語るのを聞くことになる。
「信じられねぇぞ! 夜中ずっと、真昼みたいに明るかったんだ! あの光のおかげで、森の魔獣どもが怯えて村の防壁に近づくことすらできねぇ!」
「暗闇がないってだけで、こんなに安心できるなんてな……!」
夜の闇という、異世界における最大の脅威の一つ。
それを物理的な光で完全に制圧したという事実は、難民たちの心に「ここは絶対に安全な場所だ」という揺るぎない確信を植え付けた。
ピロンッ♪
【LED街灯を設置し、夜間の治安維持と魔獣避けのインフラを確立しました。】
【村の都市化への助走と、住民の心理的安全の担保により、貢献度ポイント +200pt を獲得しました。】
【現在の残高:11,069pt】
ポイントの通知音を聞きながら、トオルは役場のデスクに座り、コーヒーを啜った。
責任の重さに震える夜は、もう終わった。
これだけの仲間と、確かなインフラ技術がある。ならば、皇帝からの『厄介払い』すらも逆に利用して、この辺境を世界で一番豊かで安全な『絶対領域』へと変えてみせる。
トオルのステータス画面の奥で、次なる進化の扉が、ゆっくりと開こうとしていた。
第5段階『設備』の解放。
ポポロ村が「村」という枠組みを完全に超越し、一つの「近代都市」へと変貌を遂げる時が、目前に迫っていた。




