EP 3
井戸水と腹痛
ポポロ村の朝は早い。
元・地方公務員の透は、村長であるキャルルの案内で村の視察を行っていた。肩にはベビーメロロンのメルちゃんが乗っており、すっかり懐いた様子でスースーと寝息を立てている。
「ここがポポロ村のメインストリートだよ! どうかな、活気があるでしょ?」
「ええ、確かに活気はありますね。……色んな意味で」
トオルは引きつった笑みを浮かべた。
村人たちの体格は総じて規格外で、荷車を引く獣人の腕の太さは丸太のようだ。しかし、公務員としてインフラ整備を担当していたトオルの目には、別の問題が山積みに見えた。
道は舗装されておらず、少し雨が降れば泥濘になりそうだ。水路の整備も甘く、生活排水と農業用水の区別が曖昧になっている。
(これじゃあ、いつ伝染病が起きてもおかしくないぞ……)
トオルが懸念を抱いた、まさにその時だった。
「誰か! 誰か助けて! うちの子が……ッ!」
広場の中央にある共同井戸のそばから、女性の悲痛な叫び声が上がった。
トオルとキャルルが駆けつけると、犬耳を持った十歳くらいの少年が、お腹を抱えて地面をのたうち回っていた。顔は青ざめ、苦しそうに嘔吐を繰り返している。
「どうしたの!? 急病!?」
キャルルが血相を変えてしゃがみ込む。その横では、既に駆けつけていた自警団長のマンミアが、深刻な顔で腕を組んでいた。
「村長、おそらくこれは『水魔の呪い』である! 腹の中に邪悪な魔気が入り込んだのだ。ここは私が、シールド『アグニ』でみぞおちに軽い打撃を与え、物理的に呪いを吐き出させるしか……!」
「やめなさい! 呪いごと内臓が破裂しますよ!」
トオルは即座にマンミアの盾を押さえ込んだ。
(なぜこの村の住人は、すぐに物理で解決しようとするんだ!)
息を整え、トオルは泣き崩れる母親に向き直った。
「落ち着いてください。何か変なものを食べましたか?」
「い、いいえ! ただ、遊んで喉が渇いたと言って、そこの井戸水を飲んだ直後に……!」
「井戸水……」
トオルは井戸の縁に置かれた木桶を覗き込んだ。
水はわずかに茶色く濁っており、細かい泥や浮遊物が混ざっている。昨夜の雨で地下水が濁り、大腸菌や寄生虫などの有害な細菌が混入している可能性が高かった。
「……生水をそのまま飲んだんですね。これじゃあ、お腹を壊して当然だ」
「どうすればいいの、トオル君! 私の『月光薬』があれば一発なんだけど、あれは満月の夜にしか精製できないの……!」
キャルルが焦った様子で自身の長い兎耳を揺らす。
「大丈夫です。吐き気が酷い時は、清潔な水で少しずつ水分と塩分を補給してやるのが一番です。薬草があるなら、それを煎じて飲ませましょう。……問題は、その『清潔な水』がないことですが」
沸騰させて殺菌するには時間がかかる。今すぐ、安全な水が必要だ。
トオルは宙を睨み、『公共事業』のスキルウィンドウを展開した。
現在の残高は89pt。
リストをスクロールし、トオルは二つのアイテムを選択した。
【携帯浄水フィルター(5pt)を具現化しますか?】
【ハサミ(2pt)を具現化しますか?】
――YES。
残高は82ptへ減少。トオルの両手に、青い手のひらサイズの筒状の器具と、ステンレス製のハサミが現れた。
「トオル君、また不思議な道具を出したね。それは何?」
「これはハサミ。こっちは、水を綺麗にするフィルターです」
トオルはまず、近くに生えていた大きくて分厚い葉っぱをハサミでジョキジョキと切り抜き、器用に折りたたんで即席の「清潔なコップ」を作った。
次に、木桶の濁った水を掬い上げ、青い筒――携帯浄水フィルターの片端を取り付ける。
「中空糸膜フィルターといって、目に見えない細菌や泥、寄生虫を0.1ミクロンの穴で物理的に濾過する道具です。魔法じゃありませんよ」
公務員らしく淡々と説明しながら、トオルはフィルターのポンプを押し込んだ。
チョロチョロ……。
フィルターの先端から、即席の葉っぱコップに水が滴り落ちる。
それは先ほどまでの茶色い泥水とは似ても似つかない、無色透明でキラキラと輝く、極めて純度の高い「真水」だった。
「おおおおっ……!?」
周りを取り囲んでいた村人たちから、どよめきが起こった。
「呪われた泥水が、一瞬で透き通ったぞ!」
「詠唱もなしに、あんな小さな筒で『極大浄化』の奇跡を起こしたというのか!?」
「ただのヒョロガリじゃなかった! あの兄ちゃん、高位の神官様だべ!」
(だから、ただの中空糸膜フィルターだって言ってるのに……)
トオルは内心でため息をつきつつ、母親から受け取った少量の塩を水に溶かし、苦しむ少年の口元へ運んだ。
「ゆっくり飲んで。もうお腹の痛くなるバイ菌は入ってないから」
少年はコクコクと喉を鳴らして綺麗な水を飲み干した。やがて、胃の痙攣が治まったのか、青ざめていた顔に少しずつ血色が戻り、安らかな寝息を立て始めた。
「あ、ああ……ありがとうございます、神官様! この子の命の恩人です!」
母親がトオルの足元にすがりつき、ボロボロと涙を流して感謝する。
「神官じゃないです、ただの元・市役所職員です。……でも、助かって良かった」
トオルがホッと息を吐いた瞬間。
ピロンッ♪
頭の中に、軽快な電子音が響いた。
空中のステータスウィンドウに、新たなメッセージがポップアップしている。
【村人の健康被害を解決しました。】
【公共衛生の向上に貢献。貢献度ポイント +50pt を獲得しました。】
【現在の残高:132pt】
(……なるほど!)
トオルは目を見張った。
この能力の燃料である「ポイント」。それは敵を倒したり、お金を稼いだりして手に入れるものではない。
村人の困り事を解決し、社会のインフラを整え、公共の利益に『貢献』することで蓄積されるのだ。
「これなら……俺の前世の知識でも、この村を豊かにできるかもしれない」
誰かが安心して駆け込める、安全な場所を作りたい。元公務員としてのささやかな夢が、胸の中で小さく熱を持った。
「トオル君、すごい! すごすぎるよ!」
ガバッ!
不意に、トオルの腕に柔らかい感触が押し付けられた。
見れば、キャルルがトオルの右腕を両手でギュッと抱きしめ、ルビー色の瞳をキラキラと輝かせている。
「怪我の手当てだけじゃなくて、病気まで治せちゃうなんて! トオル君はポポロ村の宝だよ! 絶対、絶対……誰にも渡さないんだからねっ♡」
頭の上の兎耳が、バッサバッサと激しく波打っている。
(えっ、なんか急に距離感バグってないか!? 目の奥にちょっとヤバい執着の光が見えるんだけど!)
トオルが冷や汗を流しながら腕を引き抜こうとした、その時だった。
「……フン。野蛮な獣の匂いと、下水のような悪臭が漂う限界集落だこと」
広場の入り口から、ひどく場違いな、傲慢な声が響き渡った。
振り返ると、豪華な装飾が施された馬車が停まっていた。
そこから降りてきたのは、シルクハットにケープを纏い、むせ返るような強烈な香水を全身に振り撒いた男たちだった。
「私はムーンキャピタルのゲル伯爵様が使い、香水商のバティストである! この村の薄汚い悪臭を誤魔化すための『特級香水』を売りに来てやったのだ。さあ、村長を出したまえ!」
男が鼻をつまみながら見下すように言い放つ。
だが、トオルの鼻を突いたのは、村の土の匂いなどではない。男から放たれる、香水と排泄物が混ざり合ったような『致死性の悪臭』だった。
「……おいおい、完全にクレーム案件の業者が来ちゃったぞ」
トオルは、腕に抱きつくヤンデレ気味の村長と、厄介そうな訪問者を交互に見比べながら、異世界の洗礼に深くため息をついた。
読んでいただきありがとうございます。
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