EP 2
ポポロ村の非常識な住人たち
LED懐中電灯の明かりを頼りに夜の森を歩き続けること数時間。
空が白み始めた頃、トオルの視界にようやく人工的な建造物が飛び込んできた。
木造の簡素な防壁に囲まれた、広大な農村地帯。しかし、のどかな田園風景というには、どこか物々しい空気が漂っている。
「やっと着いた……」
肩の力を抜いたトオルの前に、突如として巨大な影が立ち塞がった。
「止まれッ! 貴様、何者であるか!」
「うわあっ!?」
地響きと共に現れたのは、引き締まった上半身に屈強な馬の下半身を持つケンタウロスの女性だった。
生真面目そうな顔立ちに、歴戦の騎士を思わせる鋭い眼光。何より恐ろしいのは、彼女が構えている巨大なシールドだ。金属製の盾の中央には、どう見ても凶悪な鉄杭が飛び出す仕組みになっている。
「あ、怪しいものではありません! ただの迷い人で――」
「問答無用! そのヒョロヒョロとした体格、さては魔皇国が放った人型死蟲機の偵察兵だな! このマンミアが、アグニの杭で心臓ごと粉砕してくれる!」
ガシャコンッ! と盾の機構が恐ろしい音を立てる。
(いきなり殺意が高すぎるだろ! どんな限界集落だよ!)
市役所の窓口でクレーマーに怒鳴られたことは何度もあるが、パイルバンカーを突きつけられた経験はさすがのトオルにもない。死を覚悟して目を瞑った、その瞬間。
「ストーップ! 待って、マンミア!」
タァンッ、と軽やかな足音が響き、ケンタウロスの前に小柄な影が割り込んだ。
艶やかな銀白色のショートボブに、透き通るルビーの瞳。オーバーサイズのパーカーにスパッツという、およそファンタジー世界には似つかわしくないスポーティな装いの美少女だった。
頭頂部には、感情に合わせてピコピコと動く純白の長い兎耳がついている。
「キャルル村長! しかしこの男、所属も目的も不明であります。いかにも弱そうに偽装しているのが逆に怪しいかと!」
「大丈夫だよ。耳を澄ませてごらん?」
ウサギ耳の美少女――キャルルは、トオルの胸元にスッと顔を近づけた。
あまりの距離の近さに、トオルは思わずドギマギしてしまう。彼女の兎耳が、ピクン、ピクンと微細な動きを見せた。
「うん! 心拍数正常、血流の乱れもなし! この人、本当にただ迷い込んできただけだよ。私の耳は嘘の心音を絶対に聞き逃さないからね!」
「……村長がそう仰るなら、矛を収めましょう」
マンミアと呼ばれたケンタウロスは、不満げにシールドを下ろした。
(人間嘘発見器か……。しかし、こんな美少女が村長?)
呆気にとられるトオルに、キャルルは満面の笑みを向けた。
「脅かしてごめんね! 私はキャルル・ムーンハート。この『ポポロ村』の村長をやってるんだ。あなたは?」
「あ、トオルと申します。こっちは……道中で拾ったメルちゃんです」
トオルが肩を指さすと、ベビーメロロンのメルちゃんが『パパ、おみず……』と弱々しく念を飛ばしてきた。昨夜の魔獣の爪痕から、まだ緑色の体液が少し滲んでいる。
「あっ、怪我してるじゃない! 可哀想に……よし、私が治してあげる!」
キャルルが手をかざそうとしたが、トオルはそれを制した。
「いえ、大丈夫です。自分で手当てしますから。見ず知らずの村長さんに、いきなり魔力を使わせるわけにはいきません」
地方公務員の性として、安易に他人のリソースに頼ることは避けたかった。トオルは空中のステータス画面を念じ、『公共事業』のリストからアイテムを選択する。
【絆創膏(3pt)を具現化しますか?】
イエスと念じると、トオルの手に四角い小さな袋が現れた。残高はこれで90ptだ。
彼は手早く包装を破り、メルちゃんの傷口を朝露で湿らせたワイシャツの切れ端で拭うと、ペタリと絆創膏を貼り付けた。
『わぁ……パパ、いたくない! しゅごい!』
メルちゃんは嬉しそうに蔦の手足をパタパタと動かした。
その様子を見ていたキャルルは、不思議そうに首を傾げた。
「ねぇトオル君、今のアイテムは何? 詠唱もしてないし、魔力の波動も全く感じなかったけど……」
「これはただの絆創膏です。傷口を塞いで、バイ菌が入るのを防ぐだけの地味な道具ですよ。魔法のポーションみたいに、一瞬で傷が治るわけじゃありません」
「ふーん……」
キャルルは目を丸くした後、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。
「でも、小さな命のために、見返りも求めず迷わず手当てしてあげたんだね。トオル君って、すごく優しい人なんだね!」
(……いや、絆創膏一枚貼っただけでそんな大げさな)
トオルは内心でツッコミを入れたが、美少女に真っ直ぐな瞳で見つめられ、少しだけ気恥ずかしくなった。
***
キャルルとマンミアの案内でポポロ村の内部へ足を踏み入れると、トオルの常識は再び打ち砕かれた。
すれ違う村人たちが、およそ農民とは思えない筋骨隆々の体格をしているのだ。鍬を振るう獣人のおじさんは岩のような上腕二頭筋を誇り、井戸端会議をしているおばちゃん達からは、微弱ながらも闘気の波動が漏れ出ている。
「なんだい、あのか細いヒョロガリの兄ちゃんは」
「闘気も魔力もすっからかんじゃないか。馬力20もなさそうだよ」
「あんなんじゃ、農作業の邪魔になるだけだねぇ」
ヒソヒソと交わされる村人たちの容赦ない評価。
異世界のアナステシアにおいて、身体能力は絶対的な指標だ。戦闘力皆無のトオルは、彼らの目には『役立たずの無能』として映っていた。
(まあ、公務員だしな。馬力なんて要らない部署だったし……)
トオルが自嘲気味に息を吐いた時だった。
「おい、誰か手伝ってくれ! 荷車の車軸を固定する留め具が折れちまった!」
前方の道端で、山盛りの薪を積んだ荷車が傾き、熊耳の獣人が立ち往生していた。部品が折れてしまい、車輪が今にも外れそうになっている。
「むっ、村の民の困り事とあらば、自警団たるこのマンミアが解決しよう!」
マンミアが意気揚々と駆け寄り、なんと巨大なシールド『アグニ』を高く振り上げた。
「我が闘気をもって、車軸の金属をひん曲げて圧着してやる! フンッ!」
「待ってください! そんなことしたら車輪ごと粉砕しますよ!?」
トオルは慌ててケンタウロスに飛びつき、その凶行を力一杯止めた。
(なぜすぐに物理的・破壊的アプローチを取るんだこの村の住人は!)
マンミアが不思議そうにトオルを見下ろす。
「しかし、部品がないなら力技で固定するしかあるまい」
「いいえ、こういう時は……」
トオルは再び『公共事業』のリストを開いた。
【結束バンド(1pt)を具現化しますか?】
残高89pt。
手の中に現れたのは、黒いナイロン製の細長いバンドだ。トオルは車輪の軸と車体を合わせると、結束バンドを巻き付け、先端を穴に通して勢いよく引っ張った。
ジジジジジッ!
小気味よい音が鳴り、バンドがガッチリと車軸を締め付ける。トオルは念のため、さらに二本の結束バンドをクロスさせて補強した。
「よし、これで当分は外れないはずです。ただの応急処置ですから、後で鍛冶屋に持っていってくださいね」
トオルが立ち上がると、熊耳のおじさんとマンミアが、信じられないものを見るような目で結束バンドを凝視していた。
「な、なんちゅう強靱な固定力だ……! ワシが渾身の力で引っ張っても、ビクともせんぞ!」
「恐ろしい……。金属でもない細い紐が、大の大人の腕力すら弾き返すとは。これは、絶対に千切れない『拘束の魔導陣』か何かなのか……!?」
「いや、ただのナイロン製のバンドです。百円均一で五十本入りで売ってるやつですよ」
トオルは正直に答えたが、村人たちの耳には届いていないようだった。
「すごいよ、トオル君!」
キャルルが目を輝かせて駆け寄ってきた。
「魔力も闘気も使わずに、あっという間に問題を解決しちゃうなんて。その力、とっても便利だね!」
トオルは苦笑した。
剣でも魔法でもない、地味で安価な日用品。
だが、この異世界において、それらがどれほどの価値を持つのか、彼はまだ完全に理解してはいなかった。
ステータス画面の奥深くに眠る『未解放』のインフラ群――浄水施設、アスファルト、発電所。
(今はまだ、ただのゴミ袋やバンドしか出せないハズレ能力扱いだけど……)
トオルは村の景色を見渡した。
力こそすべて、魔法こそ至高とされるこの世界で、現代社会のインフラという名の『公共事業』が、どれほどの変革をもたらすのか。
過労死公務員トオルの、残高89ptからの異世界生活が、静かに動き始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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