EP 25
豚神屋のインスパイア
役場の窓口でトオルと対話した後、旅の学者『マルク』ことルナミス帝国第2代皇帝マルクスは、護衛の騎士と共に村のメインストリートを歩いていた。
「陛下、そろそろ帝都への帰路に……」
「待て。あの窓口の男の理念には感銘を受けたが、腹は減る。少しこの村の食事を味見していこうではないか」
マルクスの視線の先には、コンクリートで舗装された広場の一角に建つ、活気溢れる大きな屋台があった。元合体魔将・ダストンが営む『土雷亭』である。
昼休みの鐘が鳴った直後ということもあり、屋台の前には自警団の男たちや農作業を終えた村人たちが長蛇の列を作っていた。
「ガハハハ! 今日はワシの新作、特製『豚神屋インスパイア・極太ちゃんこ麺』ドスよ! ニンニク(ガーリッ君)入れますか!?」
「おう! 肉椎茸ダブル、ガーリッ君マシマシ、アブラ多めで頼むぜ!」
「こっちは麺大盛りだ!」
謎の呪文のような注文が飛び交い、ダストンが巨大な中華鍋と麺茹で用の大釜を豪快に操っている。
「ほう。活気のある店だ。我々も並ぶとしよう」
マルクスと護衛が列に並び、順番を待って丸太の椅子に腰掛けたその時だった。
「あっ、マルクさん。まだ村にいらっしゃったんですね」
背後から声をかけられ、振り返るとそこには、先ほど役場の窓口にいたトオルが立っていた。定時退社ならぬ、きっちり一時間の昼休憩を取りに来たらしい。
「相席、よろしいですか?」
「あ、ああ。構わんよ」
皇帝の隣に、一介の副村長が屈託のない笑顔で座る。護衛の騎士が冷や汗を流して席をずらした。
「トオルの旦那! いつものやつドスか?」
「ええ。全マシでお願いします!」
「ガッテン承知ドス! お客さんたちも同じでええドスか?」
ダストンの問いに、マルクスは頷いた。
「うむ、それにしよう」
数分後。
マルクスたちの目の前に、信じられないほど巨大な丼がドンッ! と置かれた。
「お待ちどうさまドス! 豚神屋インスパイア・極太ちゃんこ麺ドス!」
「……な、なんだこれは」
マルクスは絶句した。
黄金色に輝く濃厚なスープ。その上に、うず高く積まれた茹で野菜(月見大根の葉とキャベツ)、分厚い肉椎茸のチャーシューが数枚、そして頂上には、みじん切りにされた『ガーリッ君』が雪山のように盛られている。
箸を入れると、うどんのように極太で縮れた麺が、暴力的なまでの重さを持って姿を現した。
「いただきます!」
トオルが豪快に麺をすすり、ワシワシと噛み砕く。
マルクスも恐る恐る麺を口に運んだ。
「……ッ!!」
皇帝の脳天に、稲妻のような衝撃が走った。
ベースとなっているのは、ロックバイソンの骨とネクロバグの殻から抽出された、圧倒的な旨味を持つ濃厚スープ。そこに、極上の脂とガーリッ君の強烈なパンチが加わり、一口食べるごとに食欲が暴走する。
肉椎茸のチャーシューは、舌の上でトロリととろけ、極太麺はワシワシとした噛み応えで胃袋を満たしていく。
「美味い……! なんだこの、暴力的で下品でありながら、計算し尽くされた味の調和は!」
帝都の宮廷料理人が作る、上品で繊細なフルコースとは対極にある味。しかし、労働者の胃袋を満たし、明日への活力を爆発させる『本物のエネルギー』がここにあった。
「ズズッ……ズルルルルッ!」
気づけば、冷徹なる哲人政治家・マルクスは、額に汗を浮かべながら、夢中で極太麺と格闘していた。護衛の騎士に至っては、あまりの美味さに涙を流しながらスープを飲み干している。
ピリリリリリッ!
その時、麺をすすっていたトオルの脳内に、不快な電子音が鳴り響いた。
『ちょっとおおおおおっ!!』
「ぶふっ!?」
突然の絶叫に、トオルは危うく麺を吹き出しそうになった。脳内通信の主は、もちろんあの自称女神・ルチアナである。
『トオル! あんた何食べてんの!? こっちの神界モニターに、そっちの視覚情報と味覚データが直結してんだけど! 深夜のカップ麺すすりながら見てる私の身にもなってよ! ガーリッ君マシマシの極太麺とか、飯テロの極みじゃん! ズルいズルいズルい! 私にも一口ちょうだい!!』
「うるさい! 業務連絡以外で通信してくるな!」
『えーっ、ケチ! じゃあせめて、その肉椎茸チャーシューを神棚にお供えして……』
プツッ。
トオルは無言で通信を物理的に切断した。
(神様が飯テロで騒ぐ世界なんて、やっぱり間違ってる……)
トオルが深いため息をつきながらスープを飲み干すと、隣でマルクスも「ふぅ……」と大満足の吐息を漏らしていた。
「素晴らしい食事だった。まさか辺境の村で、これほど生命力に満ちた料理に出会えるとはな」
マルクスは懐から金貨を取り出そうとしたが、トオルがそれを手で制した。
「マルクさん。食事が終わったら、まだやることがありますよ」
トオルは空中のステータス画面を操作し、日用品カテゴリからアイテムを選択した。
現在の残高は10,155pt。
【歯ブラシ・歯磨き粉セット(2pt)を具現化しますか?】
――YES。
残高10,153pt。
トオルは、具現化した新品の歯ブラシと、小さなチューブに入った歯磨き粉をマルクスと護衛に手渡した。
「なんだ、これは?」
「『歯ブラシ』です。食後には必ず、これで口の中を綺麗にしてください。ガーリッ君の匂いを消すためでもありますが、一番の目的は『虫歯の予防』です」
トオルは手慣れた様子で、広場の隅にある手洗い場へマルクスたちを案内した。
「美味しいものを食べられるのは、健康な歯があってこそです。どれだけ食糧を備蓄しても、虫歯で歯が抜け落ちてしまえば、人は栄養を摂れずに死んでしまう。食後のオーラルケアまでが、俺の考える『食のインフラ』です」
「……食の、インフラ」
マルクスは歯ブラシにペーストをつけ、見よう見まねで歯を磨き始めた。
口の中に広がる、ミントの爽やかな清涼感。ガーリッ君の強烈な口臭がスゥッと消え去り、口内が驚くほど清潔になっていくのを感じた。
(……この男は、壁を作り、行政を整え、兵糧を備蓄し、そして民の『歯の健康』までをも管理しているというのか)
マルクスは口をゆすぎながら、トオルの横顔を見つめた。
強大な魔法や権力ではない。日々の積み重ねと、徹底した予防、そして誰もが手の届く道具。それらが組み合わさった時、この村は帝国のどんな都市よりも『死から遠い場所』になる。
「……トオル副村長。君の村作り、しかと見届けた」
マルクスは、皇帝としての威厳を隠しきれない声で、深く頷いた。
「この村のインフラと、あの美味なる麺の味、帝都に戻っても決して忘れまい。君たちの平穏が長く続くことを、陰ながら祈っているぞ」
「ありがとうございます! またいつでも、定食を食べに来てくださいね!」
トオルに見送られ、マルクスと護衛は馬車に乗り込み、今度こそ帝都へと帰途についた。
馬車の中で、マルクスは窓の外のポポロ村を振り返り、小さく呟いた。
「……やはり、監視だけでは足りぬ。あの男とあの村は、我が帝国の統治機構に組み込むか、さもなくば……」
皇帝の脳裏に、村を包み込むインフラの脅威と、あの強烈な極太麺の味が、分かち難く刻み込まれていた。
***
同じ頃。
ムーンキャピタルの豪奢な執務室で、仮面結社『ナンバーズ』の首領、リアク侯爵は、冷たい笑みを浮かべて部下からの報告書を読んでいた。
「手筈は整いました、ゼロ様。ドンガン地下帝国との裏取引の証拠――もちろん偽造ですが――を、ポポロ村の帳簿に紛れ込ませる工作が完了しました。さらに、帝都の内務省査察局に『ポポロ村の副村長トオルが、莫大な関税逃れと武器の密輸を行っている』というタレコミを流しました」
「ご苦労」
リアクは報告書を暖炉の火に放り込んだ。
「皇帝陛下が自ら視察に赴くほど、あの村は帝国の脅威となりつつある。ならば、その猜疑心を利用してやればいい。私が手を下すまでもない。帝国の『法』と『権力』が、あの小賢しい副村長を大逆罪で捕縛し、社会的に抹殺してくれる」
リアクはチェスの盤面から『村』を意味するポーンの駒をつまみ上げ、指先で砕き割った。
「さあ、トオル。君の作るインフラがどれほど強固だろうと、帝国の法という見えない暴力からは逃れられまい。君の絶望の顔を見るのが、今から楽しみだよ」
平和な昼下がりのラーメンの裏で。
黒幕リアクの仕掛けた、ポポロ村の完全崩壊を狙う『濡れ衣と包囲網』の罠が、ついにその牙を剥こうとしていた。
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