EP 23
行政システムの構築
巨大な死蟲将軍機を退け、村の安全と莫大な食糧(ネクロバグの尻尾)を確保したポポロ村。
だが、インフラが整い、難民という新たな労働力を得たことで、村はかつてない「成長の痛を」を抱えることになっていた。
「副村長! 東の畑の輪作スケジュールなんですが、大根と豆の比率はこれでいいですか!」
「トオル! 自警団の夜間巡回ルートだが、新しい防壁の外側の警戒はどうする!」
「トオルはん! ドンガン地下帝国からの密輸ルートの関税ごまかし……ゲフン、新しい通商条約の書類、ここに判子頼むわ!」
村長邸に急造されたトオルの執務室は、完全に野戦病院と化していた。
積み上がる羊皮紙の山。ひっきりなしに訪れる村人たち。
トオルは目の下に濃いクマを作りながら、一本のボールペンを握りしめて書類の山と格闘していた。
(おかしい……。誰もが安心して眠れる村を作るはずが、俺自身の睡眠時間が完全に消滅しているぞ……!)
前世の死因である「過労死」の足音が、異世界まで追いかけてきている。
すべてのインフラ設計、物資の具現化、難民の仕事の割り振り、そしてトラブルの仲裁。村の機能の九割が、トオルという一人の人間に一極集中してしまっているのだ。
「トオル君……」
不意に、背後から冷たい手がトオルの両頬を包み込んだ。
振り返ると、お盆にお茶を乗せたキャルルが立っていた。しかし、そのルビー色の瞳からはスゥッと光が消え去り、底知れぬ暗い情念が渦巻いている。
「トオル君、最近ずっと寝てないよね。体がどんどん冷たくなってる……。このままじゃ、トオル君が壊れちゃうよ」
「だ、大丈夫ですよ、キャルルさん。あとこの書類の山を三つ片付ければ……」
「駄目だよ。村のことなんて、もうどうでもいい。……ねえトオル君、地下室に新しく、絶対に誰も入ってこれないふかふかのお部屋を作ったの。そこでずっと、私がお世話してあげる。ご飯もあーんしてあげるし、トイレも私が……」
キャルルがトオルの首筋に顔を埋め、甘く危険な匂いを漂わせる。
(ヤバい! このままだと過労死する前に、ヤンデレ村長の手で『物理的な永久休暇(監禁)』に叩き込まれる!)
トオルの生存本能が警鐘を鳴らした。
「キャ、キャルルさん! 大丈夫です、俺はまだやれます! でも、そのためには村の『組織図』を変えなきゃいけないんです!」
トオルはキャルルの腕からすり抜けると、虚空を睨んでステータス画面を勢いよく展開した。
現在の残高は9,690pt。
第3段階『知識』カテゴリの中から、公務員としての魂のバイブルを選択する。
【『行政学の基礎』(30pt)を具現化しますか?】
――YES!
残高9,660pt。
ズンッ、と重たい音を立ててトオルのデスクに現れたのは、近代国家における官僚制と組織運営の真髄が記された分厚い専門書だった。
「みんな、広場に集まってください! これから、ポポロ村の『行政解体』と『権限委譲』を行います!」
***
数十分後、コンクリートで舗装された村の広場に、村の主要メンバーと難民の代表者たちが集められた。
トオルは黒板代わりの大きな木の板の前に立ち、チョークで図を書き始めた。
「いいですか、今のポポロ村は『トオル個人商店』になってしまっています。俺が倒れれば村の機能が完全に停止する。これはインフラとして最も脆弱な状態です。強固な村を作るためには、俺という『属人化』を排除し、システムで村を回す『役場』を作らなければなりません」
「役場……? 王都の官僚どもがふんぞり返っている、あの忌々しい場所のことか?」
マンミアが顔をしかめる。
「違います。一部の特権階級が威張る場所じゃない。誰が来ても、同じように正しいサービスと安全を提供する『システム』のことです」
トオルは黒板に大きな丸を書き、それを四つに分割した。
「まず、第一に『法務・監査部門』。村のルールを作り、契約の不正を監視する頭脳です。……ネギオさん、頼めますね?」
木陰でポポロシガーを吹かしていたネギオが、伊達メガネを光らせた。
「フン。三流公務員の尻拭いか。だが、馬鹿な村人が不当な契約でこの村の資産価値を下げるのは腹立たしい。書類とルールの整備は、この私の寺子屋で引き受けてやろう」
「次に『経済・物流部門』。村の特産品を売り出し、外部からの物資調達を管理する心臓部です」
「カッカッカ! それはワシのゴルド商会の独壇場やな!」
ニャングルが十露盤を弾きながら前に出る。
「ただし、商会の利益だけじゃなく、村の財政も黒字化してもらうのが条件です」
「任しとき! ワシにかかれば、この村の石ころすら金貨に変えたるわ!」
「そして『防衛・治安部門』。インフラの維持と、外敵からの防衛。これはマンミアさん、あなたしかいません」
「う、うむ! この命に代えても、村の平和と秩序は守り抜くぞ!」
「最後に『総務・窓口部門』です。難民の中で、文字の読み書きや計算ができる女性たちを中心にお願いしたい。村人のちょっとした困りごとは、まず窓口で受け付け、各部門に割り振る。俺に直接話を持ってくるのは禁止です」
トオルの言葉に、難民の女性たちが「私たちにそんな重要な仕事が……!」と感極まったように頷いた。
「キャルルさんは引き続き村長として、これらの部門から上がってきた重要な決裁の『最終承認』をお願いします。俺は副村長として、新しいインフラの設計と、各部門の調整役に徹します」
トオルはチョークを置き、全員を見渡した。
「これが『行政の基礎』です。全員が少しずつ責任と権限を分担することで、誰も無理をしない、誰も過労死しない国を作る。それが俺のやり方です」
ポポロ村に、明確な『組織』と『制度』が生まれた瞬間だった。
それは単なる作業の分担ではない。絶対的な権力者を置かず、ルールとシステムによって社会を回すという、近代国家の骨格そのものだった。
ピロンッ♪
【行政システムを構築し、持続可能な自治機構を確立しました。】
【権力分散と業務効率化の多大な貢献により、貢献度ポイント +500pt を獲得しました。】
【現在の残高:10,160pt】
ついにポイントが五桁の大台に乗った。
だが、トオルにとってポイント以上の報酬は、数日後にすぐに訪れた。
***
ポポロ村に「役場」が機能し始めてから三日後。
夕方の五時。広場に設置された半鐘が、カーン、カーンと終業の時刻を告げた。
「よしっ!」
村長邸の執務室で、トオルは手元のボールペンを置き、勢いよく立ち上がった。
デスクの上に積み上がっていた書類の山は、ネギオと難民の窓口担当者たちの手によって綺麗に捌かれ、トオルの確認が必要なものだけが整理されている。
「お疲れ様でした! 俺はこれで上がります!」
「えっ? トオル君、まだお日様が出てるよ?」
隣のデスクで決裁印を押していたキャルルが目を丸くする。
「終業の鐘が鳴ったんです。緊急の魔獣襲撃でもない限り、残業は一切しません! 『定時退社』。これこそが、労働者の勝ち取るべき究極の権利です!」
トオルは晴れやかな顔で執務室を出ると、ポポロ山麓にあるスアイのテントサウナへと足取り軽く向かっていった。
前世で一度も叶わなかった、定時退社後のサウナと冷たい酒。
完全な行政システムが、ついに彼に「人間らしい生活」を取り戻させたのだ。
「……よかったぁ。トオル君の目に、生気が戻ってる」
トオルの背中を見送りながら、キャルルがふわりと微笑む。瞳のハイライトもしっかりと戻っていた。
「これで、地下室の監禁部屋はしばらく使わなくて済むね。……ふふっ、ベッドの手錠、外しておこっと♡」
(トオルがその事実を知っていれば、二度と残業をしないと心に固く誓っただろう)
***
ポポロ村が完璧な自治システムを獲得し、平和な日常を謳歌し始めた、まさにその頃。
村の西側、ムーンキャピタルから続くコンクリートで舗装された真新しい街道に、二つの人影が立っていた。
「……信じられんな」
漆黒の外套を目深に被った初老の男が、足元のコンクリートを硬い革靴の底でコツコツと叩いた。
「泥濘一つない、一枚岩のように平らな道。しかもこの硬度、帝都の城壁の土台に使われる特注の魔導石にも劣らん。それが、一介の辺境の村の『街道』に惜しげもなく敷き詰められているとは」
「陛下」
背後に控えていた、同じく外套姿の細身の青年――護衛の騎士が声を潜める。
「この道の異常さはそれだけではありません。道の両脇をご覧ください。水が自然と流れるように緻密な傾斜(拝み勾配)がつけられ、側溝へと泥水が排出される仕組みになっています。これを設計した者は、恐るべき土木計算の知識を持っています」
「ああ。ゲル伯爵からの報告では『怪しげな薬と奇術で市場を荒らす危険な流れ者』とあったが……馬鹿な貴族の嫉妬に塗れた虚偽報告だったようだな」
外套の初老の男――ルナミス帝国第2代皇帝、マルクス。
彼は鋭い鷹のような目で、夕暮れに沈むポポロ村の防壁を見据えた。
「鉄と石で作られた強固な城壁、そしてこの異常なまでのインフラ網。……もはやここは農村ではない。帝国の喉元に突きつけられた、未知の技術を持つ『独立要塞』だ」
マルクス皇帝の顔に、冷徹な哲人政治家としての強い警戒の色が浮かぶ。
「さて、この村を率いる『トオル』とやら。帝国の脅威となる怪物か、それとも利用価値のある愚者か。……この目で確かめさせてもらおう」
絶対的な権力を持つ皇帝のお忍び視察。
定時退社でサウナを満喫しているトオルは、自分がいかに恐ろしい存在に目をつけられているか、まだ知る由もなかった。




