EP 21
死蟲将軍機の襲来
極寒のテントサウナと冷えたイモッカの余韻に浸り、ポポロ村の住人たちが深い眠りについていた翌朝。
心地よい静寂は、大地の下から響く不気味な地鳴りによって無残に引き裂かれた。
「……なんだ?」
村長邸の客間で目を覚ましたトオルは、サイドテーブルに置いたコップの水が、微細な振動で波打っているのを見た。
地震ではない。一定のリズムを刻む、巨大な質量の行進音だ。
「カン、カン、カン、カンッ!!」
間髪入れず、見張り櫓からけたたましい半鐘の音が鳴り響く。
「トオル君! 来たよ、森の方から……すごい数が!」
パジャマ代わりのスウェット姿のまま、キャルルが血相を変えてトオルの部屋に飛び込んできた。その兎耳は、恐怖と緊張でピンと張り詰めている。
トオルは上着を羽織り、すぐさま完成したばかりの東側の防壁へと走った。
防壁の上に登り、森の方角を見下ろしたトオルの目に飛び込んできたのは、前回の襲撃とは明らかに異質な『黒い波』だった。
「嘘だろ……あんなデカいのがいるなんて、聞いてないぞ」
トオルは息を呑んだ。
先陣を切って進んでくるのは、見慣れた蟻型の死蟲機ではない。体長五メートルはあろうかという、分厚い鋼鉄のような甲殻に覆われ、巨大な角を生やした重戦車――『死甲虫機』の群れだった。
その後方には、両腕に巨大なカマキリの刃を持つ『死蟷螂機』が控え、さらに奥には、それらの特徴をすべて継ぎ接ぎにしたような禍々しい巨体、『死蟲将軍機』が鎮座していた。
***
その頃、天魔窟の中枢母巣にあるモニタールーム。
魔人ギアンは、ピエロマスクの奥でサディスティックな笑みを浮かべていた。
「アハハハ! 学ばないなぁ、村人ども。鉄と石で壁を作れば安全だと思った? RTSゲームの基本だよ。固定された陣地は、重装甲の突破力の格好の的だってねぇ!」
ギアンは操作パネルを乱暴に叩いた。
「さあ、見せておくれよ! 君たちの小綺麗な壁が、圧倒的な質量で粉々に砕け散る絶望の瞬間をね!」
***
ドドドドドッ!!
ネクロビートルの群れが、地響きを立ててポポロ村の迎撃陣地へと突入してくる。
「構えろ! 前回のキルゾーンだ、V字塹壕に落ちたところを石で潰すぞ!」
マンミアの号令で、自警団の男たちが塹壕の上から大岩を構える。
しかし――。
「ギチィイイイッ!!」
先頭のネクロビートルが塹壕の斜面に突っ込んだ瞬間、突き立てられていた太い丸太の逆茂木が、マッチ棒のように呆気なくへし折られた。
ビートルたちは塹壕の底に落ちてもダメージを受けた様子はなく、その異常な装甲の厚さで後続の足場となり、文字通り『生きた橋』を形成し始めたのだ。
「馬鹿な……丸太の杭が全く通じないだと!?」
「駄目だ! 落とした岩も甲殻に弾き返されちまう!」
自警団の男たちが悲鳴を上げる。
塹壕を難なく乗り越えた数十頭のネクロビートルが、完成したばかりの鉄筋コンクリート防壁へと一直線に突進してくる。
ドゴォォォォンッ!!
巨大な質量が激突し、コンクリートの防壁が雷に打たれたように激しく震動した。
鉄筋の骨組みがあるおかげで一撃での崩壊は免れたものの、壁の表面にピシリ、と微かな亀裂が入る。ビートルたちは角を突き立て、何度も何度も助走をつけては防壁へ体当たりを繰り返していた。
「ひぃぃっ! か、壁が割れるぞ!」
「このままじゃ、押し潰される!」
「落ち着け!」
トオルが叫んだ。公務員として、幾度となく災害のシミュレーションを行ってきた経験が、彼の頭を冷徹に稼働させていた。
「壁自体は鉄筋で粘っている! だが、同じ箇所に衝撃を受け続ければ『せん断破壊』が起きる! 壁の内側から、丸太でつっかえ棒(斜材)をして衝撃を地面に逃がすんだ!」
トオルは広場に積まれていた丸太を指差した。
「だが、ただ立てかけるだけじゃ駄目だ! 力学的に一番衝撃を分散できる『四十五度』の角度で正確に支えなきゃ、丸太ごとへし折られるぞ!」
「四十五度って言われても、どうやって測るんや!」
駆けつけてきたニャングルが、十露盤を抱えながら叫ぶ。
「これを使います!」
トオルは空中のステータス画面を叩いた。残高は8,215pt。
【水準器(マグネット付き・大型/3pt)を具現化しますか?】
――YES。
トオルの手に、黄色いプラスチック製の細長い定規のような道具が現れた。中央には緑色の液体が入ったカプセルがあり、気泡が浮かんでいる。残高8,212pt。
「『水準器』です! このカプセルの中の気泡が、ちょうど真ん中の線の間に来るように丸太の角度を調整してください! そうすれば、重力が最も均等に分散される完璧な角度になります!」
「気泡を真ん中に……よし、わかった!」
マンミアと獣人の男たちが丸太を壁に押し当て、トオルが水準器を当てて角度を見る。
「もう少し下! ストップ、そこだ! そのまま固定して!」
男たちが丸太の根元に杭を打ち込み、完璧な角度で斜材を固定する。
ズドォォンッ!!
外側からネクロビートルが再び激突したが、今度は防壁がビクともしなかった。四十五度に固定された丸太が、衝撃のエネルギーを全て大地へと逃がしたのだ。
「よしっ! 持ちこたえたぞ!」
「さっすが副村長! わけのわからん筒で完璧な支えを作りやがった!」
防壁の強度が保たれたことに歓声が上がったのも束の間。
敵の指揮官である魔人ギアンは、次なる手を打っていた。
「シャァアアアッ!!」
ネクロビートルの背中を足場にして、巨大なカマキリ型の魔獣――『死蟷螂機』の群れが、防壁の上へと跳躍してきたのだ。
「上だ! 迎撃しろ!」
自警団が槍を突き出すが、ネクロマンティスの両腕の刃は恐ろしいほどの切れ味を持っていた。
シャキンッ! という金属音と共に、太い槍の柄が紙のように両断される。
「うわぁっ!?」
「駄目だ、刃に触れたら腕ごと斬り飛ばされるぞ!」
鋭利な刃を振り回すマンティスを前に、村人たちは防戦一方となった。
「刃物相手なら、これだ!」
トオルは再びスキル画面を開いた。
【耐刃防護手袋(アラミド繊維製・20双セット/5pt)を具現化しますか?】
――YES!
残高8,207pt。トオルの足元に、分厚い特殊なゴムと繊維で編み込まれた手袋の束が現れた。
「みんな、これを両手にはめてくれ!」
「手袋? こんな布切れで、あのバケモノのカマを防げるのかよ!」
「ただの布じゃない! 鉄の五倍の強度を持つ『アラミド繊維』で編まれた、絶対に刃物を通さない特殊な防護手袋だ! 刃を恐れず、直接カマを掴みに行け!」
トオルの言葉を信じ、自警団の獣人たちが手袋を装着する。
「シャァアッ!」
ネクロマンティスが、一人の虎耳の獣人に向かって鋭いカマを振り下ろした。獣人は手袋をはめた両手を突き出し、その凶刃を白羽取りのように直接ガシッと掴んだ。
「お、おおっ!? 斬れない! 全く痛くねぇぞ!」
カマの刃は手袋の繊維にガッチリと食い込んだが、皮膚には一ミリも届いていなかった。
「よぉし、斬れねぇならこっちのもんだ!」
獣人特有の規格外の怪力が爆発する。男は掴んだカマを力任せに引っ張り、ネクロマンティスの体勢を崩させると、そのまま一本背負いの要領で防壁の外へと投げ飛ばした。
「すごい! 刃物さえ封じれば、力は俺たちの方が上だ!」
「オラァッ! かかってこい蟲野郎!」
アラミド繊維のグローブという『絶対に斬られない盾』を手に入れたことで、獣人たちの物理的な暴力が完全に息を吹き返した。次々と飛び込んでくるマンティスを素手で掴み、へし折り、投げ捨てていく。
「トオルの兄ちゃん、やるじゃねえか!」
ヒエンも防護手袋をはめ、掴んだ魔蟲の関節に神火を流し込んで内側から爆破していく。
戦況は再び、ポポロ村の優勢に傾いたかに見えた。
しかし。
その時、森の奥から今までとは比較にならない、鼓膜を破るような悍ましい咆哮が轟いた。
「ギョェエエエエエロッ!!」
防壁を叩いていたネクロビートルたちが、怯えたように道を空ける。
そこから姿を現したのは、複数の死蟲機のパーツを悪魔合体させたような巨大な異形。体長十メートルを超える『死蟲将軍機』だった。
「な、なんだあれは……!」
トオルの全身から血の気が引いた。
ビートルの重装甲、マンティスの凶刃、さらに背中には巨大な酸の噴射器官を備えている。圧倒的な質量の暴力。あれが直接防壁にぶつかれば、水準器で角度を計算した丸太の支えごとなぎ倒されるのは明白だった。
「防壁が破られる……! 私が出る!」
マンミアが、ボロボロになったシールド『アグニ』を構え、防壁の門の前に一人で飛び降りた。
「マンミアさん、駄目だ! 今のあなたじゃ……!」
「私が足止めする! その間に、トオル、何か次の手を打ってくれ!」
マンミアはケンタウロスの四肢を踏み張り、向かってくるネクロジェネラルに対して『チャージタックル』の姿勢を取った。
「ギョェエエッ!」
将軍機が、巨大なカマを振り上げ、マンミアめがけて突進してくる。
「ハァアアアアッ!!」
マンミアもまた、全闘気を解放して正面から激突した。
ドッガァアアアアアンッ!!!
爆発のような衝撃音。
だが、質量の差は残酷だった。
「ぐ、がぁあっ……!!」
マンミアの巨体が、蹄で地面を深く抉りながらズルズルと後退させられる。彼女の渾身のタックルは、将軍機の分厚い装甲に阻まれ、逆にその巨大なカマがマンミアの頭上に振り下ろされようとしていた。
「マンミアッ!!」
キャルルが絶叫する。
圧倒的な力を持つ神話級の暴力の前に、人間の英知を集めた土木インフラと日用品の限界が、ついに試されようとしていた。




