EP 14
契約の罠
難民の受け入れにより、ポポロ村は急速に拡大しつつあった。
ニャングルのゴルド商会を通じた物資の調達は進んでいたが、彼自身は近隣の領主やギルドへの根回しのため、数日間村を空けていた。
その隙を突くように、村長邸に一台の豪奢な馬車が乗り付けてきた。
「ポポロ村の皆様! ムーンキャピタルより、人道支援の物資をお届けに参りました!」
現れたのは、仕立ての良いスーツを着込み、胡散臭い笑みを浮かべた太った商人だった。背後の馬車には、小麦粉の袋や毛布が山積みになっている。
「えっ? ゲル伯爵の領地から? 私たち、伯爵には嫌われてるはずなのに……」
キャルルが兎耳をパタパタと揺らして戸惑う。
「ご安心ください、村長殿。我々は伯爵様とは独立した『友愛商会』の者。難民を抱えて苦しむ村を見過ごせず、特別に物資を『無利子のツケ』で提供しようと参ったのです。ささ、こちらの受領書にサインを」
商人は恭しく、分厚い羊皮紙の束を差し出した。
「わぁ、本当!? ありがとう商人さん! トオル君、これで難民の人たちにもっとお腹いっぱい食べさせてあげられるね!」
純粋な善意の塊であるキャルルが、嬉しそうに羽ペンを握り、サインの欄に名前を書き込もうとした。
「ちょっと待ってください!」
トオルが横から手を伸ばし、キャルルの羽ペンをスッと奪い取った。
「トオル君?」
「キャルルさん、役所の窓口で一番怖いのは『善意の顔をした書類』です。俺が確認するまで、絶対に判やサインをしてはいけません」
元・地方公務員の血が騒いでいた。無利子のツケ? 人道支援? 資本主義において、見返りのない慈善事業など怪しすぎる。
トオルは羊皮紙の束を手に取り、目を凝らした。
(なんだこの契約書は……。文字が小さすぎるし、異世界の古い法律用語や言い回しが多すぎて、素人にはまともに読解できないぞ。でも、この第12項の『債務不履行時の特例』っていう部分、嫌な予感がする)
「おや、副村長殿。疑り深いのは結構ですが、時間をかければ難民の方々が飢えるだけですよ? 我々も慈善事業ですので、今すぐサインいただけないなら他所へ行きますが」
商人が急かすように嫌味を言う。キャルルも不安そうにトオルの袖を引いた。
「トオル君、怪しいの? でも、ご飯は必要だし……」
「朝っぱらから感情論で経済を回そうとするな、単細胞」
不意に、背後から紫煙と共に冷ややかな声が響いた。
振り返ると、そこには白と深緑の樹皮で覆われたスマートな人型の存在が立っていた。頭部は青々とした長ネギの葉の束で、口にはポポロシガーを咥え、片手には湯気の立つコーヒーマグを持っている。
伊達メガネを光らせたその姿は、およそ植物の魔物とは思えない「インテリ職人」の風貌だった。
「ネギオさん!」
キャルルがパッと表情を明るくした。
「ネギオって……あの、寺子屋で子供たちに勉強を教えているという?」
トオルは噂には聞いていた。世界樹の防衛端末が突然変異し、通信教育で経済学や法学の学位を取ったという、ポポロ村で一番の頭脳を持つインテリ奇樹だ。
「貸してみろ、三流公務員」
ネギオはトオルの手から羊皮紙をひったくると、ポポロシガーの煙を細く吐き出しながら、数秒で数十ページをパラパラと読み飛ばした。
「……フン。くだらん。ルナミス帝国商法第4条のグレーゾーンを悪用した、典型的な『サブスクリプションの罠』だな」
「サブスクリプションの罠?」
トオルが尋ねると、ネギオは伊達メガネをクイッと押し上げた。
「この第12項の『債務不履行時の特例』だ。物資は無利子のツケだが、契約期間は『10年間・毎月自動更新』と小さく書いてある。さらに、ポポロ村の収穫物(ポポロシガー等)を『市場価格の10分の1』で独占的に買い上げる特約が紐付いている。サインした瞬間、この村は10年間、タダ同然で特産品を搾取され続ける奴隷農場に落ちるぞ」
「なっ……!?」
キャルルが顔を青ざめさせた。
「そ、そんなの詐欺じゃない! 返して!」
「お待ちを!」商人が顔を真っ赤にして怒鳴った。「これは法的に全く問題のない正当な契約だ! 難癖をつけるなら、帝国法廷で争っても構わんのだぞ!」
異世界の複雑な法体系を盾に取られ、トオルは歯噛みした。
相手は法の抜け穴を知り尽くした悪徳商人だ。ネギオの言う通りだとしても、それを法廷で覆すだけの『理論武装』が必要だ。
(理論武装……そうだ、俺には『知識』のカテゴリが解放されたじゃないか!)
トオルは空中のステータス画面を呼び出した。
現在の残高は5,597pt。知識・事務カテゴリから、迷わず二冊の専門書を選択する。
【『契約法入門』(30pt)を具現化しますか?】
【『複式簿記の教科書』(30pt)を具現化しますか?】
――YES!
残高5,537pt。
トオルの両手に、分厚い現代の専門書がズシリと音を立てて現れた。
「ネギオさん、これを!」
トオルはネギオに二冊の本を手渡した。
「異世界の法とは少し違いますが、近代的な契約と会計の『真理』が載っています。これで、奴の論理を完全に粉砕できませんか!?」
「ほう……?」
ネギオは手渡された本を開いた。
パラパラとページをめくる速度が、次第に異常な速さへと加速していく。頭部の長ネギの葉先が、興奮したようにピコピコと激しく動き始めた。
「……素晴らしい。優越的地位の濫用、錯誤無効の原則、さらには複式簿記による資産と負債の完全な可視化……! 私が独学で辿り着いた仮説が、これほど精緻な論理体系として編纂されているとはな!」
バタンッ! と本を閉じたネギオの伊達メガネの奥で、冷酷な知性の光がギラリと瞬いた。
「さあ、公開処刑の時間だ。三流の詐欺師め」
ネギオは商人の前に歩み寄ると、契約書を突きつけた。
「まず、この契約書の第12項。これは『契約法入門』第9章における『公序良俗違反』および『暴利行為』に完全に抵触する。難民流入という村の窮迫状態につけ込んだ一方的な搾取契約であり、帝国法廷においても『錯誤無効』を主張できる」
「な、何を馬鹿な! 当事者の合意があれば契約は絶対だ!」
「黙れ。さらに『複式簿記の教科書』に基づき、貴様らが提示した『無利子のツケ』という債務をバランスシートに計上してみよう。特産品の買い叩きによる逸失利益を『隠れ負債』として計算した場合、実質的な年利は1,200%を超える。これは立派なヤミ金だ」
ネギオはポポロシガーをふかしながら、商人の顔に紫煙を吹きかけた。
「ゴルド商会のニャングルが戻れば、この不正な帳簿と契約書をルナミス帝国内務省の査察局へ直接持ち込むことになるだろうな。さて、詐欺未遂と脱税のコンボで、貴様らの商会は明日まで存続できるかな?」
「ひっ……!!」
完璧な近代法学と会計理論によるフルボッコの論破。
商人は顔面を蒼白にし、膝をガクガクと震わせた。異世界の曖昧な法律を悪用していた彼にとって、一分の隙もない近代論理は、首元に突きつけられた鋭利な刃そのものだった。
「お、おのれぇええっ! ゲル伯爵様に楯突いて、ただで済むと思うなよ!」
商人は羊皮紙の束をひったくるように奪い返すと、逃げるように馬車へと駆け込んだ。
「ムーンキャピタルでの『公開審査』に貴様らを引っ張り出してやる! 伯爵様の権力で、貴様らの作ったインチキ道具とこの村の違法性を、異端審問で丸裸にしてやるからなっ!」
捨て台詞を吐きながら、馬車は土煙を上げて逃げ去っていった。
ピロンッ♪
【悪徳商人による不当契約を阻止し、村の経済的独立を守り抜きました。】
【法務・経済的防衛の貢献により、貢献度ポイント +300pt を獲得しました。】
【現在の残高:5,837pt】
「はぁ……助かりました、ネギオさん」
トオルが胸を撫で下ろすと、ネギオはコーヒーを一口啜り、伊達メガネを押し上げた。
「礼には及ばん。私自身がこの村の特産品である『ネギ』だからな。自分の資産価値を不当に下げられるのは不愉快なだけだ」
ネギオは手元の二冊の本をポンポンと叩いた。
「しかし副村長、お前の持っているこの本……いや、この『知識』は、下手な魔導兵器よりもよほど国家を揺るがすぞ。法と経済の真理は、既存の支配階級の首を絞める最強の毒だ」
「俺はただ、村人が騙されないようにしたいだけですよ」
「フン。無自覚な破壊者め。だが、悪くない。お前の知識、少しは評価してやろう。今後、書類仕事や面倒な契約交渉があれば、私の寺子屋へ持ってくるがいい」
インテリ奇樹からの、不器用だが確かな協力宣言。
トオルは、村のインフラを物理的にだけでなく、法的・経済的に守る強力な『組織の長』を味方につけたのだ。
「トオル君、ネギオ、本当にごめんなさい! 私、もうちょっとで村を売り飛ばすところだった……」
キャルルが耳をペタンと伏せて泣きそうになっている。
「気にしないでください。キャルルさんの優しさを利用する奴が悪いんです。これからは、俺とネギオさんが契約の盾になりますから」
トオルが慰めるように頭を撫でると、キャルルのルビー色の瞳がパァッと輝いた。
「うんっ! トオル君、やっぱり一生ついていくね♡ 私のすべてをトオル君の口座にサブスクしちゃう!」
「いや、そういう意味の契約じゃないから!」
賑やかな日常が戻る中、トオルは西の空を見つめた。
「公開審査、か……」
ゲル伯爵は、ついに公の場でポポロ村の価値を叩き潰しに来るつもりだ。
だが、トオルには『公共事業』の力と、頼もしい仲間たちがいる。
異世界の旧弊な利権に対し、現代のインフラと知識が真っ向から激突する日が、刻一刻と近づいていた。
読んでいただきありがとうございます。
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