EP 11
金の亡者ニャングル
死蟲軍の襲撃を退け、盛大な宴から数日が過ぎた。
ポポロ村は活気を取り戻していたが、副村長となったトオルには休む暇などなかった。
「……塹壕の土留めはとりあえず崩れていないな。でも、このままじゃ雨季になったら崩落する。本格的な擁壁工事が必要だ」
村の東側防衛線を見回りながら、トオルは防水メモ帳に状況を書き込んでいく。
現在、手持ちの貢献度ポイントは5,200pt。これだけあれば、ある程度の機材や資材を呼び出すことができるが、無計画に使えばすぐに枯渇する。国家予算と同じで、インフラ投資は長期的な視点が必要だ。
「トオルくーん!」
背後から、キャルルがパタパタと兎耳を揺らしながら駆け寄ってきた。
「お疲れ様! 見回りは終わった? 実はね、村にすごいお客さんが来てるんだよ!」
「お客さん? ゲル伯爵の手の者じゃなくてですか?」
「ううん、私の幼馴染! 帝都からわざわざ会いに来てくれたの!」
キャルルに手を引かれて村の広場に戻ると、そこには目を引くほど豪華な装飾が施された馬車が停まっていた。
馬車のそばに立っていたのは、艶やかな黒茶の毛並みを持つ猫耳の青年だった。仕立ての良いドワーフ製ミスリル混紡の高級和装スーツを羽織り、首には金無垢のチェーンを光らせている。
「おっ、遅かったやんけキャルル! ワシを待たせるなんてええ度胸しとるなぁ!」
「ごめんごめん! 紹介するね、こちらがトオル君。うちの優秀な副村長だよ。トオル君、この人はニャングル。大陸最大の『ゴルド商会』で支店長をやってるんだ」
「ゴルド商会……」
トオルでもその名は聞いたことがあった。このマンルシア大陸において、物流と金融のすべてを掌握していると言われるメガコングロマリットだ。
「初めまして、トオルと申します。ポポロ村のインフラ整備を担当しています」
トオルが名刺を差し出すように頭を下げると、ニャングルは値踏みするような鋭い猫の目でトオルを上から下まで舐め回した。
「へぇ、あんたが噂の流れ者か。ヒョロガリで馬力もなさそうやのに、あの死蟲軍の群れを農具と土木で追い返したっちゅうから、どんな化物かと思うたわ」
ニャングルは片手に持った真鍮の羅宇煙管を口にくわえ、もう片方の手で純金メッキの計算珠が光る特注魔導金算盤『十露盤』をチャキチャキと弾いた。
「キャルルが村長に担ぎ上げられて、前村長が莫大な赤字抱えて逃げたと聞いてな。帝都の本店から、わざわざこの限界集落の『ポポロ村支店長』として出向してきたったんや。……ゴホッ、ゲホッ!」
豪語した直後、ニャングルは顔をしかめて激しく咳き込んだ。
よく見れば、彼の顔は少し赤らんでおり、息も荒い。
「ニャングル、顔赤いよ? 熱あるんじゃない?」
「うるさいわ……。道中、ムーンキャピタルのゲル伯爵の領地を通ってきたんやけどな、あのアホ伯爵が『ポポロ村に向かう商人は一切の宿場を使わせん』とかぬかしよって、野宿させられたんや。おかげでこのザマや……ゴホッ!」
ゲル伯爵の経済封鎖は、商隊の足止めにまで及んでいるらしい。
「風邪をこじらせて熱が出ているんですね。少し待ってください」
トオルは空中のステータス画面を素早く操作した。
【解熱鎮痛剤(錠剤タイプ・20錠入り/2pt)を具現化しますか?】
――YES。
残高5,198pt。
トオルの手に、見慣れた銀色のシートに包まれた白い錠剤の束が現れた。
「ニャングルさん、これを飲んでください。水と一緒に、二錠です」
「ああん? なんやこの白い石ころは。怪しい薬を飲ませて、ワシから治療費をぼったくる気か?」
「お金は要りません。ただの鎮痛と解熱のための薬ですから」
ニャングルは怪訝な顔をしながらも、差し出された水と共に錠剤を飲み込んだ。
数分後。
ニャングルの額に浮かんでいた脂汗が引き、荒かった呼吸がスゥッと落ち着いていく。ガンガンと割れるように痛んでいた頭痛も、嘘のように消え去っていた。
「……な、なんやこれ。ポーションか? いや、魔力の波動なんて一切なかったぞ!? なのに、この即効性……!」
ニャングルは驚愕に猫耳をピンと立てた。
「トオル、お前これ、なんぼで仕入れたんや!? 治癒魔法が使える高位神官でもない限り、こんな効き目のある薬、金貨数枚は下らんぞ!」
「いえ、原価で言えば……そうですね、銅貨数枚分(数百円)くらいの価値ですよ。俺の能力で作ったものですから」
トオルが前世の感覚で正直に答えた瞬間。
「…………はぁ!?」
ニャングルの目が極限まで見開かれ、持っていた十露盤を空に向かってシャカシャカシャカシャカッ!! と異常な速度で弾き始めた。
「ど、どどど、銅貨数枚やとぉおおおッ!? アホかお前! こんなもん市場に流したら、医療ギルドとポーション産業が完全に崩壊するやろが!! ワシの頭の算盤の桁がバグるわ!!」
ニャングルはトオルの胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「お前、自分の作ってるモンの価値が分かっとらんやろ! 利益ゼロでこんな特級品をばら撒く気か! 収支バランスが完全に崩壊しとるんじゃボケェ!」
「いや、俺は別に商売でやってるわけじゃ……」
「アホ! 価値あるもんに適正な値段をつけんのは、経済への冒涜や! 貸せ、ワシがこの村の台帳、全部組み直したるわ!」
ニャングルはキセルをガリッと噛みながら、恐ろしいスピードで十露盤を弾き続ける。
完全な拝金主義の顔だ。だが、トオルには彼が本気で怒っている理由が「市場の破壊」だけではないように見えた。彼は、無償で自分を治療してくれたトオルの『打算のなさ』に、商人のプライドを揺さぶられたのだ。
「ええか、トオル。お前が出したその『解熱剤』だけやない。村人から聞いたぞ。臭いを消す『石鹸』、火を使わん『カイロ』、絶対にちぎれん『結束バンド』……。これらは全部、ゲル伯爵の香水利権や既存の物流を根底からひっくり返す『革命的な商材』や」
ニャングルは真剣な顔つきに戻り、トオルを見据えた。
「お前ら、ゲル伯爵に目をつけられとるんやろ。あいつは金と権力に物を言わせて、この村を物理的にも経済的にも干上がらせる気や。だが……お前のその『公共事業』のインフラと、ワシの『ゴルド商会』の物流網が組めば、奴の経済封鎖なんぞ簡単にぶち破れる」
「……独占契約、ということですか?」
「察しがええな。お前の出す資材はゴルド商会が買い上げ、ワシの流通ルートで大陸全土に売り捌く。代わりに、村の財政と物資の調達はワシが完璧に保証したる。どうや、悪い話やないやろ?」
トオルは顎に手を当てて思考した。
ポイントを稼ぐには、村のインフラを整えなければならない。だが、インフラを構築するには人手も、木材や鉄などの基礎資材も、そして何より『金』が必要だ。強力な商会のバックアップは、願ってもない申し出だった。
「分かりました。村の財政と物流、ニャングルさんにお任せします」
「交渉成立や。ま、ワシに任せときぃ!」
ニャングルはニヤリと笑い、キャルルの頭をポンと叩いた。
「キャルル、お前もええ拾いもんしたな。これなら、前村長の赤字もすぐに消し飛ぶで」
「ふふん! 私の目に狂いはないからね!」
キャルルが自慢げに胸を張る。
「……だがな、喜んでばかりもいられへんぞ」
ニャングルが急に声を潜め、村の西側の街道を指差した。
「ゲル伯爵は、ただ物流を止めるだけやない。もっと陰湿な手を打ってきとる」
「陰湿な手……?」
「ああ。奴の領地であるムーンキャピタル周辺から、税を払えんくなった貧民や難民を意図的に追い出し、このポポロ村の方向へ誘導しとるんや」
ニャングルの言葉に、トオルとキャルルは顔を見合わせた。
「ただでさえ物資が滞ってる村に、大量の口減らし(難民)を押し付けて、食糧難で内側から自滅させる気や。今夜には、第一陣がこの村の入り口に辿り着くはずやで」
難民の流入。
前世の公務員時代、災害時に避難所を運営した記憶がトオルの脳裏にフラッシュバックする。
食糧不足、住環境の悪化、そして寒さ。死蟲軍とは違う、静かで冷酷な『命の危機』が、限界集落ポポロ村に迫っていた。
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