EP 10
泥臭い防衛戦
ドドドドドッ……!
大地を揺るがす地鳴りとともに、夜明けの森から黒い濁流が姿を現した。
ギアンがコンティニューコイン(銅貨)を投じて差し向けた、死蟲機の本隊。その数は昨夜の比ではなく、さらに一体一体の装甲が分厚く強化されていた。
「ひぃっ……あ、あんな数が来たら、ひとたまりもねぇぞ!」
鍬やピッケルを構えた村人たちが、思わず後ずさる。
「引くな! 陣地の後ろに待機だ!」
トオルが『土木工学入門書』のページを開いたまま、声を張り上げた。
「奴らは酸を吐くが、射程は限られている。この『V字塹壕』なら、酸が届く前に奴らは底へ滑り落ちるはずだ!」
ネクロアントの群れが、怒濤の勢いで突撃してくる。
しかし、彼らの目の前には、村人たちが一晩かけて掘り抜いた深く巨大な溝が口を開けていた。知能の低い魔蟲たちは、止まることを知らず次々とその溝へと雪崩れ込んでいく。
「ギチチチッ!?」
斜面に突き立てられた鋭い丸太の『逆茂木』に腹を貫かれ、後続の魔蟲が先行する魔蟲の背中に乗り上げ、折り重なるようにしてV字の底へと密集していく。
酸を吐こうにも、上へ向けて吐けば味方の背中に降り注ぐだけ。完全に「キルゾーン」に誘い込まれたのだ。
「今だ! やれっ!」
トオルの合図と共に、マンミアの号令が響く。
「撃てぇえええッ!!」
塹壕の上から、村の男たちが一斉に大岩や丸太を投げ落とした。
獣人特有の凄まじい腕力で投擲された数百キロの岩石が、底で身動きが取れなくなっている魔蟲の群れを次々と物理的に圧殺していく。
グシャァッ! メシャァアアッ! と、甲殻がひしゃげる音が連鎖した。
「すごい……! あれだけの大群が、指一本触れられずに潰れていく!」
毛布にくるまりながら戦況を見ていたキャルルが、ルビー色の瞳を輝かせた。
しかし、戦闘が長引けば前線の村人たちにも疲労が溜まる。酸の飛沫を浴びて軽傷を負う者も出始めた。
「副村長! 腕に酸を食らっちまった!」
「一旦下がれ! 代わりの者と交替だ!」
トオルは空中のステータスウィンドウを叩いた。
残高は210pt。野外カテゴリからアイテムを選択する。
【簡易テント(ワンタッチ式・大型/10pt)を具現化しますか?】
――YES。
残高200pt。トオルの足元に、迷彩柄の収納バッグが現れた。
トオルはバッグを開け、折り畳まれた骨組みを引っ張る。バサッ! という音と共に、数秒で頑丈な魔導結界布を用いた大型のテントが完成した。
「ここは野戦救護所だ! 怪我人は中に入れ! 風を塞げるし、床にはシートが張ってあるから清潔だぞ!」
トオルはテントの中に、あらかじめ出しておいた経口補水液と救急セット(絆創膏やアルコール消毒液)を並べた。
最前線のすぐ後ろに「安全に休める場所」があるというだけで、村人たちの士気は劇的に維持された。傷の手当てを受け、水分を補給した村人たちは「おうっ、もう一丁行ってくるぜ!」と再び岩を担いで塹壕へ向かっていく。
トオル自身は剣を振るうわけでも、魔法を撃つわけでもない。
しかし、彼の指示した土木陣地と後方支援が、村人たちの潜在能力を二百パーセント引き出していた。
やがて――。
最後のネクロアントが丸太の下敷きになり、森からの不気味な足音が完全に途絶えた。
塹壕の底は、死蟲機の残骸で埋め尽くされている。
「お、終わった……?」
「勝った……俺たち、一人の犠牲者も出さずに、あの死蟲軍に勝ったぞぉおおおっ!!」
ワーーーッ!! と、大地を揺るがすような歓声が上がった。
男たちが抱き合い、マンミアがシールドのない腕を突き上げて吠える。
ピロンッ♪
【死蟲軍の侵攻を完全に防ぎ、村人の生命と財産を死守しました。】
【インフラ防衛の多大な貢献により、貢献度ポイント +5,000pt を獲得しました。】
【現在の残高:5,200pt】
「ご、五千ポイント……!」
トオルは思わず声を出した。今まで小銭を数えるように使っていたポイントが、一気に跳ね上がった。これで出せるインフラの幅が劇的に広がる。
安堵のあまり、トオルがその場にへたり込んだ瞬間。
「トオルくぅううんッ!!」
ドフッ!
凄まじい勢いで、キャルルがトオルの胸に飛び込んできた。熱が下がったばかりだというのに、その抱擁の力は肋骨が軋むほど強い。
「あわわ……キャルルさん、苦しい、苦しいです!」
「トオル君のおかげだよ! トオル君がいなかったら、この村は全滅してた! もう、絶対に私のそばから離さないからね! ずっとずっと、一緒に村を大きくしていこうね♡」
耳元で囁かれる言葉の重さに冷や汗を流しつつも、トオルはそっとキャルルの背中に手を回した。
***
その夜、ポポロ村の広場では盛大な勝利の宴が開かれていた。
広場の中央には巨大な土鍋が据えられ、もうもうと湯気を立てている。
「ガハハハ! 今日はワシの特製『大雷神どすこい鍋』を腹いっぱい食うドスよ!」
巨大な木べらをかき回しているのは、ルナミス帝国の下町から出張してきているという元合体魔将、ちゃんこ屋『土雷亭』の親方・ダストンだ。
鍋の中では、ロックバイソンの牛骨とピラダイのアラから取った黄金色のスープが煮えたぎっている。
具材には、分厚い『肉椎茸』、甘みが凝縮された『月見大根』、そして――昼間討伐したばかりのネクロアントの尾肉を豪快に揚げた『ネクロバグ海老天』が山盛りに放り込まれていた。
「さぁ副村長! 遠慮せず食うドス!」
トオルに渡された木椀からは、暴力的なまでの美味そうな香りが立ち上っている。
恐る恐る、ネクロバグの天ぷらを一口かじる。
「……ッ!? なんだこれ!」
サクッとした衣の中から、プリップリの純白の身が弾けた。高級な伊勢海老や車海老を濃縮したような、爆発的な甘みと旨味が口いっぱいに広がる。さらにスープを吸った肉椎茸は、まるで極上の霜降り肉のような脂のサシを放ち、月見大根の甘みがそれを優しく包み込む。
美味すぎる。市役所の冷めたハンバーグ弁当とは次元が違った。
「最高です、親方……!」
「おう! 土の包容力と雷の刺激が効いてるドスからな!」
村人たちが次々と鍋に群がり、笑顔で酒を酌み交わしている。
その光景を見渡しながら、キャルルが木箱の上に立ち、村人たちに向かって宣言した。
「みんな、聞いて! 今回の勝利は、トオル君の知恵と道具があったからこそだよ。私はここに、トオル君を正式にポポロ村の『副村長』に任命します!!」
「おおおおっ!!」
「副村長! 副村長! 万歳!」
拍手喝采の中、トオルは照れくさそうに頭を掻いた。
ハズレ能力だとバカにされていた自分が、この異世界で確かな居場所を見つけたのだ。
***
しかし、その歓喜の宴から遠く離れたムーンキャピタル。
クリスタルの噴水が輝き、同時に下水と香水の悪臭が漂う豪奢な執務室で、ゲル伯爵は手元の報告書を乱暴に床へ叩きつけていた。
「どういうことだ……。死蟲軍の群れが向かったはずのポポロ村が、無傷で宴会を開いているだと!?」
「は、はい……。なんでも、トオルと名乗る流れ者が、見たこともない強力な陣地を一晩で作り上げたらしく……」
香水商のバティストが、震えながら報告する。
「トオル、だと……」
ゲル伯爵の顔が、怒りと苛立ちに歪んだ。
「私の香水利権を潰しただけでなく、物流を止めても干上がらず、あまつさえ死蟲軍すら退けるというのか。あの限界集落の分際で……生意気な!」
彼は窓際へ歩み寄り、ポポロ村のある方角を憎々しげに睨みつけた。
「良いだろう。ならば、ただの嫌がらせでは済まさん。あのような不可解な力を持つ者を放置すれば、いずれ我が領地の経済を脅かす毒となる」
ゲル伯爵は冷酷な笑みを浮かべた。
「あの村の息の根を、経済的にも物理的にも完全に止めてやる。……トオル。貴様のその小賢しい知恵がどこまで通用するか、見せてもらおうか」
ポポロ村の防衛成功は、さらなる強大な敵意を呼び寄せる結果となった。
トオルの『公共事業』が試される本当の戦いは、ここから始まろうとしていた。




