6.初恋
最初の結婚が壊れ、実家に戻った私はぬくぬくと甘やかされていた。
お兄様とラテン語のお勉強、お兄様とお祭り見物、お兄様と遠乗り、お兄様と夜会でダンス…全てお兄様、お兄様、お兄様!まるで子供の頃に戻ったように幸せに満ちていた、一七歳のある日。
お父様が、満面の笑みで私に肖像画を差し出してきた。
「ルクレツィア、縁談だ。 なに心配するな。 今度の相手は、芸事に秀でており大陸一の美男と評判のナポリの王子アルフォンソ・ダラゴーナだ。お前と同い年だし、話も合うだろう。何より、王子とはいえ次男だから、結婚してもお前はこの城に住み続けられるのだ。 どうだ、良い話だろう?」
私は差し出された肖像画を見て、今度は別の意味で息を呑んだ。
(……えっ、ちょっと待って。なんて素敵!こんなに美しい人がこの世にいるなんて!?)
お兄様の全てを焼き尽くすような鋭く苛烈な美しさとは全く違う、温かい陽だまりのような、見ているだけで癒やされる天使様のような美少年。一瞬で心が奪われ、踊りだしそうになるのを、私は理性でどうにか抑え込み、しおらしく微笑んでみせた。
「はい、お父様。政略なのでしょう? ボルジアの娘として、我が家を盛り立てるよう精一杯努力いたしますわ」
模範解答を返しつつ、私はここぞとばかりに「健気な少女」の仮面を被る。こんな素晴らしい美少年との結婚なら、利用できるものは全て利用して、全力で着飾って迎え撃たねばならない。
「でも…どうしましょう? これほど美しい王子様に、私、気に入って頂けるかしら?サンシアお義姉様にお聞きしたのだけれど、衣装やアクセサリーもあちらの国とは大分と違うみたい。王子様は寂しがってしまわれないかしら?」
不安そうに視線を伏せる私を見て、お父様とお兄様の「親バカ・兄バカセンサー」が激しく反応した。
「なにを言う、ルクレツィア。天使の美しさを持つお前に惹かれない男などいるものか! だが、そうだな。 それほど心配なら、あちらの国の流行りの衣装を取り寄せよう。安心しなさい」
「父上が衣装なら、俺は宝飾品を取り寄せよう。思う存分着飾るといい。 ローマの衣装のルクレツィアはもちろんだが、異国風のお前もさぞや美しいだろう。 兄様も着飾ったお前を見てみたい」
「わぁ!お父様、お兄様、ありがとう!私、お二人のためにがんばりますわ!」
私が満開の笑顔を咲かせると、二人はすっかりノックアウトされたように、呆然と私を見つめた。
((あぁ、なんて健気で可愛いんだ、ルクレツィア、俺の(わしの)天使……!))
ふふっ。予算上限なしの最高級ドレスと宝石、ゲットですわ!
――そして迎えた、結婚式。
「はじめまして美しいお姫様。 僕はアルフォンソ。これからよろしくね」
「はじめましてアルフォンソ様。 リュートがお上手だとお聞きしましたの。聴かせて頂けると嬉しいわ」
胸元をぐっと開けて、宝石をまんべんなく散りばめた異国風の豪華なドレスに身を包んだ私を見て、アルフォンソ様は優しく甘く微笑んでくれた。その声も、顔も、仕草も、全てが王子様そのもの。
「あなたは素晴らしい声を持っていると聞いたよ。僕の伴奏で歌って頂けるだろうか?」
「まあ素敵、喜んで! ああ、でもその前に一曲踊って頂けるかしら?皆が私たちのダンスを待っているわ」
私たちは手を取り合い、ダンスフロアの中央へと進み出た。
まるで羽が生えているかのように軽いステップ。初めてなのに息もぴったりで、周囲の貴族たちからは「まるでお二人に羽が生えているようだ」「天使のカップルだ!」と大きな歓声が上がる。
その、きらびやかな歓声の影で。
「ルクレツィア、どこへ行った?あの王子に俺達の絆を見せつけてやらねばならんのに……!」
前回の披露宴の時のように、自分が花婿ポジションを穫るつもりで、血眼で私を探していたお兄様が、人混みの中で取り残されていた。
……ごめんなさいお兄様、今私は王子様と踊るのに忙しいの!
ダンスが終わり、私たちはテラスの特等席へと移動した。
アルフォンソ様は、給仕が持ってきた甘い砂糖菓子を優しくつまむと、私の口元へと運んでくれた。
「僕のお姫様、どうぞこちらを。 ほら、あーんして?」
「まあ、ありがとうございます。私の王子様。 んーー美味しい!」
幼い頃にお兄様があーんしてくれたお菓子も美味しかったけれど、大好きなアルフォンソ様から貰うお菓子は、宇宙一甘くて美味しい。今度は私が、お皿から宝石のような砂糖漬けをつまみ上げる。
「王子様、あなたもどうぞ。 はい、あーん」
「あぁ、本当に美味しいね。 それに、我が国の衣装を着たあなたはとても美しい。 それに」
私の柔らかな金髪がそっと撫でられる。
「ねえ、明日からこの美しい髪を梳いてリボンを飾る特権を僕に頂けませんか?」
「まあ、毎朝?」
「うん、毎朝。 あなたの髪を飾ろうと、ナポリからたくさんリボンを持ってきたんだ。」
「まぁなんてこと!?」
「ダメ?」
「ふふっ、いいえ? なんて嬉しいことでしょう!?ですわ」
「はぁードキドキした!イヤって言われたらどうしようと思った。 じゃあ約束だよ?明日から毎朝だ。 早く明日にならないかな」
「気の早い王子様ね。夜はまだまだ長いのですよ?もっと楽しみましょうよ」
私たちは完全に2人だけの世界に入り込み、見つめ合ってクスクスと笑い合う。
その背後、会場の暗がりから、「ゴゴゴゴゴ……」と地獄の悪魔のようにこちらを睨みつけているお兄様の凄まじい殺気が漂ってきたような気がしたけれど――今の私には、ボルジアの闇なんて、幸せすぎて全く視界に入っていなかった。




