幕間:サンシア王女の恋愛講座
ごきげんよう、私はサンシア・デ・アラゴン十六歳。
スペインの王女で、チェーザレ様の婚約者よ。
結婚前ではあるけれど、花嫁修業という名目でボルジア家に滞在しているの。
彼には、それはそれは可憐で愛らしい妹がいるのよ。名前はルクレツィア。私より一つ年下。
チェーザレ様ったら、私のような絶世の美女がすぐ目の前にいるというのに、顔を合わせれば「ルクレツィア、愛しいルクレツィア」しか口にしないの。……もう、本当に失礼しちゃうわ!
でも、私自身はちっとも気にしていないの。ルクレツィアは本当に可愛いし(ちょっと天然すぎるけれど)、素直に私を慕って甘えてくれる。チェーザレ様があそこまでメロメロになってしまう気持ちも、分からなくはないのよね。
それから、彼女の侍女であるアンジェラ! あの子も最高よ!
ルクレツィアと瓜二つの可憐さでありながら、洞察力が鋭くて……将来、絶対に素晴らしい「悪女」に成長するわ。今から楽しみで仕方ないの!
私たち三人は、毎日一緒に淑女教育を受けて仲良く過ごしているわ。
あ、でもルクレツィアの空き時間は、ほとんどチェーザレ様が独占してしまうの。だから、彼が政務で席を外したわずかな隙を突いて、頻繁に「女子会」を開催しているというわけ。
「サンシアお義姉様! お菓子を食べましょうよ!お兄様がくださったの」
ルクレツィアが嬉しそうにお菓子の皿を差し出す。
((あー……チェーザレ様ね……。本当は妹と二人っきりで食べたかったでしょうに……。今頃、八つ当たりで、家臣たちが怒鳴られているわね。本当にお気の毒様……))
私の心の中の呟きに気づいたのか、隣のアンジェラとバチッと視線が合わさった。うん、彼女もまったく同じことを考えているわね。
「ねえ、お義姉様。次の夜会で着るドレス、どうする? 私たちがどんな装いをするか、きっと、国中の皆さんが期待しているわ」
「そうね、ルクレツィア。私はね、ボルジア家の象徴色で仕立てようと思うの。具体的なデザインはまだ決めていないけれど」
「お義姉様、それ素敵だわ! じゃあ私もそうしようかしら。ボルジアの色は『赤』と『黒』。お義姉様、どちらにするの?」
「私は、断然赤よ! それも深紅に近い艶やかな赤。金糸を贅沢に散りばめれば、情熱的な私にぴったりじゃない?」
「「素敵ーッ!」」
「では、私は黒ね。今まで白や黄色のような淡い色ばかり着ていたから、自分が黒を着るなんてイメージするのが難しいわ」
「あら、だからこそ良いんじゃない! 黒はあなたの金髪と透き通るような白い肌を、この上なく引き立てるわよ。……それに」
「「結婚経験者だから、大人の色気を匂わせれば!」」
アンジェラと声を揃えて言うと、ルクレツィアは頬を赤くして抗議した。
「えーっ! 二人とも酷いわ! 結婚って言っても、淑女教育とカードゲームと甘いお菓子しかなかったもの。ここの暮らしと何ひとつ変わらなかったわ!」
「「でもチェーザレ様がいなかった!」」
「もう! 二人ともおふざけがすぎるわよ! ……でもね、そうなの。お兄様がいなくて、寂しくて寂しくて……」
ぽろりと目尻に涙を浮かべるルクレツィア。
((チェーザレ様も大概だけれど、ルクレツィアも重症ね……))
私とアンジェラは、呆れを含んだ目配せを交わし合った。
「……それで、ルクレツィアのドレスはどんな感じにするの?」
「サンシア様とルクレツィア様、デザインを揃えてお二人で国中を悩殺されてはいかがでしょうか?」
「「まあ、素敵!」」
「それならね、いい案があるのよ」
「「どんな案です?」」
「最近ナポリで流行っている最新の型なんだけれどね……襟ぐりを極限まで広げて、鎖骨と胸元を大胆に誇示するのよ!」
「「きゃー! 刺激的すぎますわ!」」
「そこを品良く魅せるのが、私たち美女の力量というものよ」
「「なるほどなるほど!」」
「いい? 本当にいい女っていうのはね、殿方を『狩る』ものなのよ」
「「狩る……!?」」
「そう。心を『射止める』って言うでしょう? でもね、殿方にそれを悟られては絶対に駄目なの」
「「???」」
「殿方というのはね、『己の力で女性を獲得した』と思い込みたい愚かな生き物なのよ。だから――」
「実際は女が完璧に仕留めているけれど、相手には『自分が狩った』と思わせるわけですね、サンシア様」
「大正解よ、アンジェラ! ……ルクレツィア、分かったかしら?」
「うーん……よく分からないわ、お義姉様。にっこり笑って差し上げたら、皆さん、漏れなく笑顔になって優しく接してくれるものではないのかしら……?」
((この、天然ーーーッ!!))
無意識に全人類を魅了しているルクレツィアに、私とアンジェラは再び深く目配せし合った。
「あ、でも例外が一人だけいたわ!ペザロ伯爵だけは、私が笑いかけても笑ってくれなかったの」
「「ルクレツィア、それはね……!」」
「「…プッあはははは!」」
思わず声が重なり、私とアンジェラは堪えきれず大爆笑した。
「え?なに? 私、何か変なこと言ったかしら……?」
きょとんとしていたルクレツィアも、私たちの様子に釣り込まれて楽しそうに笑い出した。
「何だ何だ、賑やかだな。笑い声が屋敷中に響いているぞ」
重厚な扉が開き、チェーザレ様が部屋に入ってきた。
「ルクレツィア、菓子は食べたか?」
「はい、お兄様!三人で美味しく頂きましたわ。いつもありがとう、お兄様大好き!」
「そうか、俺も大好きだよ、美しいルクレツィア。……兄様は少し時間が空いたんだ。ラテン語を教えてやろうか?」
「嬉しい! あ、でも……」
「チェーザレ様? あなたの『婚約者』である私もここにおりますわよ? 四人でお庭を散歩しましょうよ」
私はわざとらしく上目遣いで、可憐に誘いかけてみた。
「……あ? 俺はルクレツィアに話しているんだが」
氷のように冷たい一言。
「もう! 絶世の美女が直々に誘っているのよ? ルクレツィアは可愛らしいけれど、少しぐらい迷うフリをしてくれたって良いでしょうに!」
「ああ、そうだな。後ろ髪を引かれるようで断腸の思いだが、今の俺にはルクレツィアのラテン語が最優先だ。行こう、ルクレツィア」
「はい、お兄様! ではまた後でね、お義姉様、アンジェラ」
チェーザレ様とルクレツィアは自然に腕を組み、仲睦まじく部屋を去っていった。
……残された部屋で、私とアンジェラは顔を見合わせた。
「……サンシア様、差し出口をお許しいただけますか?」
「何よ。大体想像はつくけれど、言ってみなさいな」
「『狩られるのに気づかせないで狩る』のではなかったでしょうか? ふふっ」
「ふふっ……しょうがないわよ、チェーザレ様だもの。一回彼の頭を分解して中身を見てみたいわね。きっと九割はルクレツィアで埋まっていて、残りのわずか一割が知略謀略よ。……それなのに謀略の天才なんだから、大した男だわ。あんな奴だけど、案外嫌いじゃないのよね。不思議なものだわ」
「本当に。サンシア様ほどの美女にこれでもかと迫られても、一ミリも揺らがないあの精神力というか……なんと言いますか、あのご兄妹は本当に凄まじいですね」
二人の後ろ姿を思い出し、私とアンジェラは再び声を上げて爆笑するのだった。




