55.この世は地獄だった(ジュリアーノ視点)
「お久しぶりです、ジュリアーノ教皇」
ここのところ絶え間ない激痛に苛まれ続けている儂は、静かに話し掛ける声に気付いた。忌々しいほど穏やかな声。裏切り者のジョヴァンニ枢機卿か。
「怖いお顔だ。毒のことで怒っていらっしゃるのですか?私も少しは良心が痛んだのですよ?…今日はね、ちょっとしたご報告をしに参りました。良い方と悪い方、どちらからがよろしいですか?」
「…!」
フェラーラの若造を仕留めたのか!?ええい、勿体ぶらずに早く言え!
「では良い方から。チェーザレ殿が亡くなりました。これは私にとっても良いニュースです。実に喜ばしい。昔の恩があるせいで彼に逆らえず、最近は悩ましい日々でしたが、それも終わりだ。教皇も嬉しいでしょう?」
「ふぅーっ…!」
ボルジアの若造の方か…!儂の敵を取ったのだな!よくやったぞ!
「ああ、いけません。興奮しすぎるとお身体に障ります。悪い方を申し上げましょう。フェラーラ公を取り逃がしました。チェーザレ殿が命がけで守ったせいです。残念でしたね、ジュリアーノ教皇。しかしご安心ください。私があなたの悲願を引き継いで差し上げます。近いうちにフェラーラを攻め落としてみせますよ。教皇から逃亡した重罪人としてね。そして…フェラーラの豊かな富で、あなたの大聖堂建設も完成させるのです。美しい聖堂に世界中が驚嘆し、私を讃えるでしょう。あなたではなく…ね」
「はぁーっはぁ…!」
違う!儂の偉業だ!儂の信仰心を世界中が称賛するのだ!断じてジョヴァンニ、お前ではない!
「…ほう?大した御方だ。息絶え絶えになりながらも未だ現世の栄華を欲するとは…ですが、もう終わりですよ、ジュリアーノ教皇。チェーザレ殿から聞いているでしょう?今日が三ヶ月目ですよ。あなたの命が尽きるときです」
「はぁーっ…!」
まだだ!ボルジアの毒婦!あの娘の泣き顔をまだ見ておらん!殺せ!ボルジアを根絶やしに…!
「素晴らしい妄執だ。敬服いたしますよ、ジュリアーノ教皇。しかし、窓の外の声をお聞きなさい。聞こえるでしょう、民の怨嗟の声が。戦争のために金を奪われ、家族を殺された民達が、あなたを恨む声が。 聖職者達も同じです。この三ヶ月、私以外に人は来なかったでしょう?皆、あなたの死を望んでいる。 唯一の味方だったシスト枢機卿もあなた自身が更迭した。彼は今、辺鄙な田舎で、傷心のあまり寝込んでいます。もう長くはないでしょう。あなたは裸の王様だ」
「…!」
嘘だ!神に選ばれたこの儂を、皆が見捨てる?恨む?そんな馬鹿なことがあるはずがない!
「ふっ。そう、その顔です!あなたの絶望に歪む顔を見られて大満足ですよ。…さて、そろそろ失礼致しますよ。コンクラーベの根回しが大詰めなのです。次の教皇は私ですよ。ああ、楽しみだ」
鼻歌を歌いながらジョヴァンニは去っていった。
神よ、あなたは儂を見捨てたのですか!?儂はあなたに捧げるためにフェラーラを攻めた。重税も課した。民も喜んで協力していたはずだ!それが一つ残らず間違いだったと!?無駄だったと!?いや、そんなはずはない!さっき聞いたのは全てジョヴァンニのでまかせだ…そうだ、そうに違いない。
暫くして従者どもが入ってきた。やけに部屋中を見回している。
(何だ?何を見ている!?)
『あ〜ぁ。貧乏くじだな』
『ああ、全くだ。こんな陰気な部屋に押し込められるなんて…』
『そう言うな。金目の物を頂くチャンスだぞ』
『そうか!教皇印が入ったもの以外なら!』
『どうせ教皇は喋れない。犯人が俺達だとは分からないさ』
『今まで散々酷い目に合わされたんだ。少しぐらい詫びの品を貰っても罰は当たるまい』
『少しと言わずありったけだ』
『そこの羊皮紙に包んで持っていこう』
(…や、やめろ!それは設計図だ!神に捧げる大聖堂の…!儂の宝石を返せ!戻せ!)
『俺の家族は飢えて死にそうだ。こいつのせいで…!』
『お前もか…俺の家族もだ』
『仲間の分も頂戴して暮らしの足しにしよう。これも神のお恵みだ!』
『…おい、見てみろ。教皇が俺達を睨んでるぞ』
『悔しいですか、教皇様?俺は家族を殺されて、もっと悔しかったですよ』
『苦しいですか、教皇様?…もっと苦しんでください』
『俺達の痛みを思い知れ!』
(なん、だと…?神の家の従者でさえ儂を恨んでいる…?)
『いっそのこと、殺してやりたい…!』
『それは駄目だ。いくら憎いからって殺せば、こいつと同じ地獄に堕ちるぞ!』
『そうだ、わざわざお前が手を汚すことはない。そんな手間こそ無駄だ』
「がぁぁぁっ!?」
儂が地獄に…!?神に選ばれたこの儂が…?
そう思った次の瞬間、今までの比ではない痛みが襲ってきた。腕が、足が捻じられる!胴体が、引き千切られる!!身体が熱い…燃える…!
窓の外から、民の声が聞こえる。怨嗟か、歓声か、もう区別もつかない。
神は、どこだ。儂を選んだ神は。
……いない。
儂がこれだけ捧げたのに、神など、どこにもいなかった。
この世は地獄だ。誰もが儂を裏切る、この世は、地獄だ。
暗闇が、やってきた。




