51.まだ見ぬ子(殿下視点)
「おはよう、諸君。いい朝だ。さあ、作戦会議を始めようか」
城の奥深くに隠された暗い書斎に、ファブリツィオ将軍、チェーザレ殿、俺、アレッサンドロ、そしてアンジェラが集った。
「ん?……その娘は誰だ?」
チェーザレ殿が不躾に視線を注ぐと、将軍が胸を張って答えた。
「私の娘だ。名をヴィットリアと言う。フェラーラ公一行全員を無事にお帰しする役目を負ってもらう」
将軍が説明した内容はこうだ。
およそ百名の俺達フェラーラ勢が一斉に山に向かうと目立ちすぎ、芋づる式に捕縛される可能性が高まる。。そこで、峠越えをするのは俺と他四名に絞り、その他は、エルサレムへの巡礼者に紛れて帰還する。以前からヴィットリア殿が計画していた聖地巡りに乗っかる形だ。既に通行証などは手配済みで、増員分は賄賂で押し切るとのこと。
「立案者は私だが、全員連れて行くというのはヴィットリアが言い出したことだ。全く父親としては頼もしいやら心配やら…」
……驚いた。清楚で大人しそうな外見からは想像もつかないほど豪胆な性格だ。
「なかなかいい案だ。よし、採用だ。よくやったな、将軍。急ぎ準備にかかれ、時間がない。明日、夜が明ける前に出発するぞ」
ヴィットリア殿がアンジェラに歩み寄り、そっとその手を取った。
「あなたがアンジェラ様? お綺麗な方ね。あなたには私の侍女になっていただこうかしら、それとも修道女? どちらが良いかしら」
「はじめまして、ヴィットリア様。ルクレツィア様からお噂はかねがねお伺いしておりましたわ。よろしくお願い申し上げます。……修道女の方が、雰囲気が大きく変わって露見し辛いかもしれませんわね」
「賛成! 妖艶なアンジェラちゃんもええけど、修道女の清廉なアンジェラちゃんも見てみたい!」
「……っ! アレッサンドロ様、無事に帰れたらどんな装いでもして差し上げますから、他国の要人の前で恥ずかしいことを仰らないでくださいませ!……ヴィットリア様、お旅の支度をお手伝いいたしますわ」
「助かるわ、アンジェラ様。では、こちらへ」
女性たちが華やかに部屋を出ていった。
昨日の苦虫顔から一転、へらっと鼻の下を伸ばして手を振るアレッサンドロを見て、将軍が声を潜めた。
「……もしかして、アンジェラ殿に想いを寄せているというのは……」
「ご明察だ」
そこに冷めた声が鋭く響く。
「何をひそひそと話している。作戦の詳細を頭に叩き込むぞ。イージーミスで死にたくはないだろう?」……
準備は整った。
夕食後、俺はチェーザレ殿と差し向かいで少し酒を飲むことにした。これから過酷な旅を共にするのだ、少しでも親交を深めておきたかった。
「チェーザレ殿、この度は世話をかける。改めて、明日からよろしく頼む」
「ああ」
「……」
「……」
「……美味い酒だな」
「ああ」
「……」
(……何なんだ、この男は……!?)
いかにもつまらなさそうに酒をちびりちびりと舐める姿に、内心頭を抱えた。ダメだ、これでは親交を深めるどころか、気まずいだけで時間の無駄だ……。
そう諦めかけた時、チェーザレ殿がつまらなさそうに口を開いた。
「おい、アンジェラ。ここへ来て座れ。お前も酒が好きだろう?」
「えっ……はい。では、ご一緒させていただきますわ」
「さあ飲め。……アンジェラ、最近、妹はどうだ?」
「はい。昔と変わらずお元気でいらっしゃいますわ」
チェーザレ殿がすべてを見透かすような目でニヤリと笑った。
「嘘を吐くな。昔と変わったところがあるだろう?」
「……ええ、まあ……」
しばらくアンジェラは黙っていたが、意を決したようにきっぱりと言い放った。
「ルクレツィア様は、完全にボルジアの血に目覚められましたわ」
「そうだろうな。……妹は、それに怯えてはいないか?」
「いいえ、まったく。むしろ以前より生き生きとしていらっしゃいますわ。ひと皮剥けたと言いますか、美しさにも一段と磨きがかかっていらっしゃいます」
「そうか……怯えてはいないか。……良かった」
チェーザレ殿がホッとしたように、噛みしめるように呟いた。
「……あいつには、悪いことをしたと思っている。俺の都合でボルジアに縛り付け、挙句の果てに最愛の夫、ナポリの王子を殺そうとした。あいつは……俺と父上の身勝手な野心の最大の被害者だからな」
「ルクレツィア様は、そんなこと微塵も思っていらっしゃいません。ロドリーゴ前教皇がお亡くなりになった時も、チェーザレ様が病に倒れられた時も……どんなに嘆き悲しみ、心を痛められていたことか。変わらずチェーザレ様を大切に思っていらっしゃいます。サンシア様のことだって、お子のことだってご自分のことのように喜んでいらっしゃいますわ」
そうだ! その話題があった!
「子は生まれたのか? 順調なら、この春に生まれたはずだが……どうだったのだ?」
「無事に生まれた。……可愛いお姫様だそうだ。髪は俺の色、瞳はサンシアの色、そして笑顔はルクレツィアにそっくりだそうだ」
「そうか! ルクレツィアに似ているならさぞ可愛いだろうな。生まれてもう二ヶ月か三ヶ月くらいか? これからますます可愛くなるぞ」
俺は、まだ授かってもいない未来の我が子を想像し、思わず頬が緩んだ。
「おい、ニヤけるな」
「っ!……コホン、いや、それで名前は?」
「……まだ無い。サンシアから頼まれているんだが、これというものが思いつかん」
「心ゆくまで悩まれるとよろしいわ。お子が大きくなった時に『お父様がこんなに悩んでくださったのよ』とお話ししてあげてくださいませ」
「ああ、良い笑い話になるだろうな。……そうだ、これ」
チェーザレ殿が懐から小さなペンダントを取り出した。
「中に娘の髪が入っている。娘からの初めての贈り物だ。……見せてやろうか?」
「まあ、素敵……!」
そこには、まだ赤子らしい柔らかで細いオレンジ色の髪が一房、大切に納められていた。
「艶があって、美しいお色ですわ。将来、大層な美人になられるでしょうね! 楽しみですわ」
「そうだな。……まだ会っていないのか?」
「ああ。生まれる前にナヴァラ、ナポリと転戦していたからな。……貴公ともな」
「……ああ、そうだな」
戦争の影がよぎり、一瞬空気が重くなる。
「…貴公を無事にフェラーラへ送り届けたら、スペインに戻れる。その時に会えるだろう」
……この男が、こんな表情をするのだな。
我が子を愛おしむ、ひとりの父親の顔。ルクレツィアが病から回復した時とはまた違う、どこまでも静かで優しい光を湛えている。
(……これなら、義兄として上手く付き合っていけるかもしれないな)
心からそう思えた。
「楽しみだな」
「ああ、楽しみだ。……そろそろ休むとしよう。明日から強行軍だ。泣くなよ?」
「泣かん!…それでは、明日からよろしく頼む」
「任せろ。俺が必ず貴公を守り抜いてやる」
俺は、あれほど嫌な奴だと思っていた義兄と固く手を握り合った。
ルクレツィア、待っていてくれ。
必ず君の元へ無事に帰り着いてみせる。そして君に、自慢のお兄様の話を、たっぷり聞かせてやるからな。




