46.怪しい打診
休戦交渉が終盤に差し掛かるにつれ、状況は刻一刻と変化してきた。
「教皇国から和睦の打診だ。ローマに来いと……匂わないか、アレッサンドロ?」
「はい、殿下。ガストン様の戦死で我が方の士気が落ち、フランス軍がイタリアから撤退した今、教皇国は好機とばかりに一気に攻め立てるのが定石かと。……公妃殿下はどうお考えでしょうか?」
「そうね……。私の放った謀略が上手く行った、と見ることもできますけれど……。ジョヴァンニ枢機卿は、わざわざジュリアーノ教皇の体調が悪いことを吹聴していましたわ。これは間違いなく、殿下を誘い出すための奸計だと思います」
「やはり、君もそう思うか。休戦交渉の場でも強硬にフェラーラの譲渡を求めていた教皇側が、急に和睦を持ちかけてくるなど急展開すぎる」
「ですが……一旦その罠に乗らなければ、事態は動きません」
「……けれど、それでは殿下の身に危険が……」
行ってほしくない、けれど行かなければフェラーラの未来は開けない。
二つの思いが胸の中でせめぎ合い、場に重苦しい静寂が落ちる。
「心配するな、俺は行く。万に一つの和平の可能性でもあるなら賭けてみたいんだ。このまま戦争が長引けば、領土が荒れ、民が傷つく。民を守る為の戦争だが、金で済むならそれでいい」
「……では、アンジェラもお連れくださいませ。この子は教皇国内部の情勢や人間関係に通じておりますから、必ずやお役に立ちますわ」
「それは心強いが……彼女まで危険に晒すことになるぞ?」
「私なら大丈夫ですわ、殿下! 先日の『ゲーム』での私の活躍をご覧になったでしょう? まったく心配ございませんわ。ねえ、ルクレツィア様?」
「ええ。アンジェラ、殿下をしっかりお願いね。でも慢心せず、くれぐれも気をつけるのよ」
「公妃殿下、僕が殿下もアンジェラちゃんも絶対にお守りします。ご安心ください」
ふっと殿下が目元を緩め、アレッサンドロを覗き込んだ。
「アレッサンドロ、お前……最近方言を使わなくなったな」
「はい……アンジェラちゃんが『こっちの話し方の方が格好いい』って言うもんで……仕方なく、ですわ」
「ちょっ! アレッサンドロ様、お二人の前でそんなこと仰らなくてもいいでしょう!?」
「あらあら、仲がよろしくて何よりだわ」
「違います、ルクレツィア様! 違いますから!」
「照れんでもええやん、アンジェラちゃん」
「だからっ!」
束の間の穏やかな掛け合いに、心がじんわりと温かくなる。
戦火の絶えないこの時代に、こんな平和な時間がずっと続けばいいのに——そう強く願わずにはいられない。
翌朝から、収集した情報の精査を始める。
今回の和睦の打診は、裏でスペインからの強い勧奨があったらしい。イタリア諸国や教皇国内部からも「これ以上の武力行使は避けるべきだ」という声が上がっているという。ここまでは想定通りだ。夜会で私が撒き散らした毒とはったりが、着実に機能している。
問題は、ジュリアーノ教皇の本心がどこにあるか、だ。……やはり、彼はフェラーラを諦めていない。
「決まりだな。これは完全な罠だ」
「はい。ジュリアーノ教皇は病床にありながらも、新たな大聖堂の莫大な建築費に、フェラーラの税収を充当しようと計画しているようです」
「取らぬ狸の皮算用、だな。聖職者とは名ばかりの強欲さだ」
「同じ批判の声が周辺諸国やローマ内部からも上がっております。我らにとっては追い風かと」
アンジェラの目が煌めいた。なにか閃いたのね。
「けれど……ローマへ赴けば、殿下の御身が危険に晒されることに変わりはありませんわ。殿下、先の戦争で捕虜になさったローマ兵たちをお連れになってはいかがでしょう?」
「ん? ああ、そうだな。……だが、なぜ捕虜を連れていくんだ?返還要求もないのに」
「あの中に、ルクレツィア様の古い知人がおられますの」
「ええ、武闘派貴族のファブリツィオおじさまね」
「ルクレツィア様は貴族だけでなく一般の捕虜たちまでも牢に入れず、賓客として手厚く扱われましたでしょう? 時には昔話をしにお部屋に通われて」
「ええ。いざという時に味方になってくだされば良いな、と思ってのことよ」
「それが今なのですわ。捕虜の無条件返還という形で、真摯に和睦を望むフェラーラの姿勢を示すのです」
「……それを騙し討ちにしようとする教皇の悪辣さを、引き立たせるためか?」
「それだけではありませんわ。ファブリツィオおじさまは、まるで騎士道精神が服を着て歩いているようなお方。もし教皇が卑劣な真似をなさろうとすれば、義憤に駆られて必ずや殿下に力を貸してくださいますわ。手厚く手当てされた兵たちも、同じように動いてくれるはずです」
「……これもすべて公妃殿下の謀略だったということですか。『一般兵を牢に入れず自由にさせてあげて』とアンジェラちゃんが頼み込んできた時、おかしいと思ったんですよねぇ」
「ええ。使えるものは何でも無駄なく使い切らなければ、勿体ないでしょう?」
殿下とアレッサンドロが顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。
「……君が敵でなくて本当に良かった。心底そう思うよ」
「あら、ふふっ。私たちなんて、ただの可憐なボルジアの小娘ですわよ」
執務室の空気が一気に緩む。
「ハハッ。頼もしい小娘たちだ。 では……行ってくるとするか」
「ええ。くれぐれもお気をつけて」
殿下たちがローマへと出発された。
さあ、当面力を入れるべきは慈善活動ね。
貧しい人々や病人に手を差し伸べ、忠実なる神の僕であることを世に示し、教皇の悪辣さと強欲さを際立たせるの。民を救うことができ、さらに政治的優位も立てられる……一挙両得だわ。
(ジュリアーノ教皇……これでもまだ、あなたはフェラーラを力でねじ伏せられるとお思いかしら?)




