45.踊れ
「さすが大国の将軍様ですわ! なんてお強いのでしょう!」
「まあ、知りませんでしたわ! そんなドラマチックな事がございましたの?」
「あら……なんて素敵な殿方。あなた様はどちらの国の御方? ぜひお近づきになりたいわ」
「まあ、なんて美しい詩なのでしょう! あなた様のあふれるセンスには感動いたしましたわ」
「そうでしたの……それはさぞやお辛かったでしょうね……」
眩いばかりの燭台の光と極上のワイン、そして絢爛たる音楽が流れる大広間。
私とアンジェラは華やかな夜会の人混みの中、蝶のようにひらひらと舞い踊っていた。
狙うは、交渉団のトップである自尊心の高い貴族たちと、それに随行している血気盛んな若い官僚や将校たちだ。
給仕やメイドたちには、事前に「とにかく惜しみなく酒を勧めなさい」と徹底的に指示を出してある。
最初はフェラーラへの警戒心から硬くなっていた男たちも、サンシアお義姉様から伝授された「笑顔の大盤振る舞い」にかかれば、陥落も時間の問題だろう。
——今宵使うのは三つの笑顔。
一つ、可憐で無防備な『無垢』。
二つ、男の自尊心をくすぐり惑わす『艶容』。
三つ、傷ついた心を優しく包み込む『慈愛』。
この場では、政治家としての「無敵の笑顔」は基本的には使わない。
彼らには、私たちのことを「世間知らずで可憐なボルジアの小娘」だと高を括らせておかなければならないのだから。小娘相手なら、男という生き物は容易く口が軽くなる。そして、世間知らずの小娘がふと漏らした「真実」だからこそ、彼らにとって圧倒的な重みを増すのだ。
(さあ……自称賢者、自称仕事ができる優秀な男たち。私とアンジェラの掌の上で、満足ゆくまで踊りなさい)
「……私は個人的にはね、もう貴国を攻め立てたくはないのですがねぇ」
グラスを片手につぶやいた若手将校に、私は『無垢』の微笑みを向けた。
(あら、そう。ということは……あなたのお国は、近々またここを攻めようと画策しているのね?)
「このまま公妃殿下の元に留まりたいなぁ。ローマの上司には無理難題ばかり押し付けられて、全くやってられませんよ」
こちらには『慈愛』。
(まあ、可哀想に。後でたっぷり賄賂を贈って差し上げますから、私のために便宜を図ってちょうだいね)
「それにしてもルクレツィア公妃。戦時だというのに、なんとも豪奢で素晴らしい夜会ですな」
話しかけてきたのは、使節団の長を務める老練な外交官だ。
来た——! 政治用の『無敵の笑顔』の出番だ。
「ええ、そうでしょう? これも偏に、民が健気に励んで農作物が豊潤に実り、市場が実によく回っているおかげですの。芸術家の皆様もこうして集ってくださいますし……本当に感謝しておりますのよ」
(ほら……自称賢者の外交官様。自国へ持ち帰って喧伝なさるといいわ。『フェラーラは今なお国力が豊かであり、戦費の欠乏など微塵も苦にしていない』とね)
「ここにいらっしゃったか、ルクレツィア公妃。一言感謝申し上げたく、探しておった」
彼はローマ貴族で、今回フェラーラの捕虜になってしまったファブリツィオ将軍だ。瞬時に『無垢』の仮面を被る。
「ああ、ファブリツィオおじさま!もうお怪我はよろしいのね、良かった。楽しんでらっしゃる?」
「ああ、ありがとう。私のことだけでなく、部下たちにまで手厚いもてなし、感謝している」
「まあ、おじさまったら水臭いわ。私はおじさまに育てて頂いたも同然でしょう?昔の恩をお返ししただけだわ。お嬢さんはお元気?おじさまが兄に剣術指南をしてくださってるすぐ側で、よく一緒に遊んだわ。七歳の頃だったかしら」
「ああ、元気にしているよ。君のお父上とは政治的立場の違いで疎遠になってしまったが…娘は今回の戦争のことを嘆いていた。君と敵になるだなんて、と。しかし、君が私達を助けてくれるとは夢にも思わなかったよ」
私はプッと頬を膨らませて幼女のように怒った振りをして見せた。
「おじさまはもちろん、部下の方たちとも昔馴染ですもの。夫が戦争しているからと言って、私まで敵になったわけではなくてよ?…なにかご不便はないかしら?一般兵の方たちへの治療は足りていて?」
「ああ、充分すぎるぐらいだ。一般兵など、地下牢に押し込められ、死を待つだけの境遇でもおかしくないのに。ローマへ帰ってもこれほどの扱いはされないだろう」
「まあ!それは良かったわ。でも、ジュリアーノ教皇はおじさま達の返還を求めてこないの。どうしてかしら?」
おじさまの顔が曇った。ご心配でしょう?教皇に見捨てられたのだもの。
「……それは」
「もしかして、フェラーラを攻め落とすことだけで頭が一杯なのかしら?いいえ、そんなことはないわね。だって、甥御様のシスト枢機卿様、と仰ったかしら。ローマ貴族の領地を取り上げて、その方にお与えになったのでしょう?お身内には心配りされているのだもの」
「……そんなことは」
信じたくない!葛藤が手に取るように伝わってくる。けれど一度生まれた猜疑心は、心にこびりついて根を張り、残り続けるのだ。
「それならそれで、私は良いわ。久しぶりにおじさまと話せて嬉しいもの。ゆっくり傷を癒してくださいな」
「ありがたい。お言葉に甘えるとするか。しかし、残してきた領地が気になるのも本音でね」
ご心配でしょうね、教皇はこれ幸いと、おじさまの領地を乗っ取ろうとしているわよ。『慈愛』の仮面に取り替えた。
「そうよね…早くお帰りになれるよう、私も尽力するわ。それまではゆっくりしていらしてね。明日、一緒に庭をお散歩しましょう?お嬢さんの近況もお聞きしたいわ」
「ああ、それではまた明日」
「ごきげんよう、ファブリツィオおじさま」
「ルクレツィア公妃、お久しぶりですね。……お元気そうで何よりだ」
背後から掛けられた落ち着いた声に振り返ると、そこには優雅に聖職者の衣を纏った小柄な男が立っていた。
「まあ、ジョヴァンニ枢機卿様……! 本当にお久しぶりですわ。最後にお会いしたのは……」
「ええ、もう十五年も前のことです。私がピサの大学でチェーザレ殿と知り合った十五歳、あなたはまだ十歳だった。あの折は、本当にお世話になりました」
「そうでしたかしら?兄のお友達が遊びに来て、私とも遊んでくれた、そんな風じゃなかったかしら?」
「いいえ。当時は実家(メディチ家)が没落し、食うや食わずの惨めな毎日でしてね。ボルジア家でいただいた温かい食事や、あなたとの何気ない会話で……私は忘れかけていた『人としての尊厳』を思い出せたのです。あの日々は、実に有意義だった」
「そうでしたの……そこまで深くお考えだったとは、存じ上げませんでしたわ」
鉄壁の無垢な笑顔の裏で私は思いを馳せる。そうね、あなたはあの屈辱を経て極端なまでの実家至上主義になったのよね。人の尊厳…言い得て妙だわ。
「無邪気で可愛らしかったあなたとお話しした時間は、今でも私の宝物ですよ。……とは言え、チェーザレ殿に露骨に邪魔されて、あまり長くはお話しできませんでしたがね」
ジョヴァンニ枢機卿はどこか遠くを見るような目をして、苦笑を漏らした。
「ふふっ、そうでしたわね。今となっては良い思い出ですわ」
「ええ。……ですが実は最近、またチェーザレ殿にお世話になっているのですよ」
ガストン様を殺し、我がフェラーラの敵となったお兄様——チクッ、と胸の奥が痛んだ。 嫌なところを突いてくる。一体どういう思惑でこの話を持ち出してきたのかしら?
「そうですの?兄は、元気にしておりますの?」
「ええ、往年の恐るべき才能をいかんなく発揮されていますよ。……それでは、私はこれで。早々に帰らねばならないのが残念です。ジュリアーノ教皇のご体調が思わしくないのでね。…ああ、最後にもう一つ」
「ええ、なんでしょう?」
「有能な秘書を迎えたのです。アルフォンソ枢機卿といってね、ナポリの王子だったが、王家がスペインに追われて後ろ盾を失った。これ以上の昇進は望めないどころか非常に危うい立場になってしまって。保護を兼ねて、私の仕事を手伝ってもらっています。確か、あなたの前のご主人でしょう?」
なんなの?お兄様どころかアルフォンソ様のことまで話題に出すなんて、どういうつもりかしら?訝しがりながらも、涼しい顔で返す。
「新婚の頃に出奔してずっと行方が知れませんでしたのに。聖職者になられたのね。あの方は芸事や外国語に精通されていますから、お仕事もさぞ捗ることでしょうね」
「ええ、非常に助かっていますよ。では今度こそ、本当に失礼します」
「ええ、ごきげんよう」
立ち去る彼の後ろ姿を見送りながら、思考を巡らせる。
おそらく、ジョヴァンニ枢機卿は私を揺さぶって本音を引き出したかったのだろうけれど、お生憎様。私は何も教えてあげないわ。 でも、あの自信に満ちた口ぶり……お兄様と裏で協力関係を結んでいると匂わせたのだろうか。アルフォンソ様とも。単なる同盟国、同僚に留まらないほどに? まあいいわ、この情報は、頭の隅に置いておきましょう。
さて、感傷に浸っている暇はないわ。
あとは、スペインの最有力者を見つけ出して、ボルジアの毒を味わっていただきましょう。
『フランスを追い出したとしても……もしフェラーラが教皇国に完全に飲み込まれてしまったら、さぞや貴国のイタリア侵略の野望に水を差すことでしょうね?』……とね。
フェラーラの城で、美しいボルジアの毒が華麗に花ひらいていく。




