44.開幕
「お帰りなさいませ! 敵を打ち破ったと聞きましたわ! 本当によろしゅうございました……! 今宵は戦勝祝いの大夜会を開きましょう!」
無事に勝利を収めて帰国された殿下の姿を目にし、私は胸を躍らせて手を取り、そう伝えた。
……けれど、出迎えた将校たちの顔がどこまでも暗いのは何故?
「アレッサンドロも無事でいらしたのね、よかったわ。……ところで、ガストン様はどちらに?」
「ルクレツィア……落ち着いて聞いてくれ。……ガストン殿は、戦死された」
「え……?」
「我が国を……君を守るために敵の残党を殲滅しようとして……チェーザレ殿の手にかかったそうだ。アレッサンドロが最期を看取った。最後まで、君のことを気にかけておられたそうだ」
「申し訳ありません……っ! 私が援護についていながら……! 本当に一瞬のことでした。いつの間にかチェーザレ様が横におられて、あ!と思った時にはもう、ガストン様は槍に貫かれ落馬されていました……! ですが、決して狙い澄まされたものではなかったのです! チェーザレ様は撤退の途中で、偶然ガストン様と遭遇して……それで……!」
(え……? 何を言っているの……?)
だってガストン様はまだ二十歳でお若くて、誰よりも強くて、不敗の神童よ……。
それに、お兄様……? なぜここで、私を愛してくれたあのお兄様の名前が出てくるの……?
何故……何故、何故、何故——!?
突如、全身から力が抜け落ちた。視界が激しく旋回する。
「大丈夫か、ルクレツィア! しっかりするんだ!」
目を覚ますと、そこは見慣れた自身の寝室のベッドの上だった。
視線を上げると、青ざめた顔で私の手を強く握り、心配そうに見守る殿下の姿があった。
「……気がついたか。君は急に倒れて気を失ったんだ」
「……本当なのですか? あんなにも純粋で素晴らしい青年を……兄が殺めたというのは……? ガストン様は、私を守ると仰ったわ。この命に懸けて守り抜くと……ねえ、嘘でしょう? お兄様だって……私が理不尽な目に遭ったら、いつでも世界を相手に仕返ししてやるって仰っていたわ……そんな二人が何故……!?」
「嘘だと言って」と叫びたかった。さっきのは質の悪い冗談だったのだと。
だが、私の願いとは裏腹に、殿下は静かに視線を落とし、握りしめた私の手を見つめながら低く淡々と告げられた。
「……これが戦争だ。俺だって同じだ。万一、イッポーリトやイザベラが積極的な教皇派につけば、血を分けた兄弟三人が殺し合うことになる。……どんなに理不尽で残酷でも、飲み込むしかないんだ」
殿下が顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見据えた。
「君の気持ちは痛いほど分かる。……だが、俺たちは生きていかなければならない。フェラーラの民を命懸けで守らねばならないんだ。そのために、常に次の一手を予想し、対策を立て、それを迅速に実践する。……できるか?」
——そうだった。
私は、フェラーラの公妃なのだ。
私事で泣き濡れ、動揺している場合ではない。立ち上がらなければならない。この足で立ち続けなければならないのだ。
私は小さく息を吸い込み、固く口元を引き結ぶと、努めて静かに微笑んでみせた。
かつてボルジアの館で身につけた、いかなる動揺も悟らせない、外交用の「無敵の笑顔」だ。
「できるかできないか、ではありませんわ。……やるのです」
「……そうだ。その意気だ。これからアレッサンドロと今後の対策について話し合う。君も来るか?」
「ええ、もちろんですわ。外交や情報戦なら私にお任せください。至急、対策を立てましょう」
殿下の執務室に、殿下、私、アレッサンドロ、アンジェラが揃った。
「……ジュリアーノ教皇はこれからどう動くだろうか。アレッサンドロ、何か情報は入っているか?」
「現時点ではまだ明確な情報は掴めておりません。ですが、先の敗北を受けて、次はさらなる大軍による本格的な武力行使を視野に入れていると思われます」
「なら、私の仕事は、その武力行使をできるだけ引き延ばすか、阻止することですわね」
「どうやってだ?」
「まずはお友達に手紙を書きます。昔からの情に訴えますわ。『教皇の暴走と武力行使を引き止めてほしい』と。それが叶わぬなら……いざ戦争になった際も、兵を出すのを遅らせるなり、前線で手加減するようお願いするのです」
「……そんな融通の利く友人が、各国にいるのか?」
「あら、申し上げていませんでしたかしら? 私、フェラーラに嫁いでくる前の二年間、教皇国の外交を担当しておりましたのよ。もちろん父の最終決済は必要でしたが。教皇国内はもちろん、諸外国……例えばフランス宮廷にも多くの友人知人がおりますの。今もお手紙で頻繁にやり取りをしておりますわ」
殿下とアレッサンドロの目が、お皿のように丸くなった。同時に、殿下の口元に苦々しさが漂う。
「……男か?」
「男性が多いですわね。まあ、心から気を許せる種類の友人ではありませんけれど。……それと平行して、夜会を開きましょう。それも、極めて大がかりで豪勢なものを頻繁に」
「夜会……? この戦時に?」
「ええ。これから形式的なものとはいえ、各国との休戦交渉や外交戦が続きますでしょう? 難しい会議や交渉ですもの、皆様のお疲れを優しく癒やして差し上げるのです。昨日までの敵味方など関係なく、美味しいお酒と料理で飲み明かしますの」
「……そこで敵国の使節を懐柔するわけか」
「それだけでなく、酒の席で機密情報を引き出します。ここは私とアンジェラにお任せくださいませ。優秀な詩人たちに敵の自尊心を煽らせ、たくさん飲ませて良い気分にさせますの。教皇国にいた頃も、よくお遊びでやっておりましたわ」
「……遊び……」
「ええ、あの頃のはただの暇つぶしのお遊び。……今回は真剣にやりますわ。ねえ、アンジェラ?」
「ええ! 懐かしいですね。殿方を手のひらで思いのままに操るゲーム……またできるなんて、今から楽しみでなりませんわ!」
アンジェラが楽しそうに追従すると、殿下とアレッサンドロの丸くなった目が、さらに倍ほどに大きくなった。開いた口が塞がらない様子だ。
こうした驚く顔を見るにつけ、つくづく自分の育った環境が特殊すぎたのだと痛感する。
知略と謀略、そして洗練された毒の香り漂うボルジア家。
実家はもう事実上解体してしまったけれど……そこで私が培った術は、確かに今も私の中にある。
「夜会を豪華に飾り、それを頻繁に行うことで、『フェラーラは先日の戦争など痛くも痒くもない。戦費にも余力があり、まだまだ戦える』と諸外国に見せかけるのです」
殿下とアレッサンドロが目を輝かせ、身を乗り出した。
「なるほど……! 教皇国は今、戦費の調達に四苦八苦しているからな。フェラーラに底知れぬ余力があると誤認すれば、次の攻撃を躊躇するかもしれん!」
「そうですね! 流石ボルジア家!殿下、我々も負けてられまへんな!」
「よし、俺はその間に出島要塞の補強と大砲の更なる増産を進める。それと軽騎兵の銃撃訓練だ。これからの戦いは大砲と銃が主役になる」
「では、私は銃を買い付けに行って参ります!」
「あっ、殿下。お預けした私の宝石は、もう使ってしまわれましたか? まだ残っていれば、一旦お返しいただきたいのです。豪華な夜会には最高級の宝石が必須ですわ」
ふっと唇の端を上げて微笑む。
さあ——悪名高きボルジア劇場の、開幕よ。




