4.望まない婚約
私が十三歳になった年。教皇となったお父様の飽くなき権力欲のために、私は政略結婚を命じられた。
お父様は教皇の豪華な執務室で、「我が愛しの天使を、政治の道具として他国へ嫁がせねばならぬとは……!ああ神よ、罪深い私をお赦しください!」とボロボロ泣きながら、私に婚約者の肖像画を差し出してきた。
それを受け取った私は、一瞬、白目を剥きそうになった。
そこに描かれていたのは、お父様と同じ……いや、下手をすればお父様より年上に見える、優しそう…というよりは気弱な印象の強い、髪の毛のいささか心許ないおじさまだったからだ。
(……いや、おじ様っていうか、おじい様の一歩手前じゃない!?)
お父ちゃま、お兄ちゃまにただ無邪気に愛し愛されていた、輝かしい5歳の黄金時代は、もう完全に終わってしまったのだと、私はこの時本当の意味で理解した。
「ルクレツィア、相手はミラノ公国の縁者で、ペザロ伯爵という。年は離れているが優しい男だと聞いている。結婚後、お前には不便な思いは一切させないと確約させたし、お前が完全に大人になるまでは白い結婚を貫かせる。チェーザレから引き離すことになり、気の毒に思うが、これも家のためだ。よろしく頼むぞ」
「はい。お父様、お兄様と遠く離れてしまうのは寂しくてたまりませんが…家のために…承知しました」
そう答えるしかなかった。もう子供じゃないんだもの…。
婚礼を明日に控えた夜。宮廷の廊下は、いつも以上に張り詰めた空気に包まれていた。
留学から戻り、いまや教皇庁の軍を率いる最高司令官となったお兄様が、カツカツと硬い乗馬ブーツの音を響かせて歩いている。
「お兄様…」
(駄目よ、ルクレツィア。今お兄様に優しくされたら泣いてしまう…他国の貴族たちに見られたら、お父様にご迷惑がかかるわ…今は駄目)
黒い甲冑を身にまとい、周囲を射殺さんばかりの冷酷な覇気を放ち、家臣たちから「ボルジアの死神」と恐れられているお兄様をそっと見送った。
その夜、お兄様の私室に、いつものようにこっそりと忍び込んだ。
「ルクレツィア、来てくれたのか!…どうした?辛いのか?」
お兄様は私を見るなり、その冷酷な死神の仮面をガラガラと崩し、痛いほどの力で私をその広い胸に抱きしめた。もう子供ではないけれど、お兄様の腕の中にいる時だけは、あの頃の小さな私に戻ってもいいよね…?
「あんなおじさまと結婚なんて嫌だわ、お兄様……お兄様と離れたくない。行きたくないの…」
初めて漏らした、少女としての本音の弱音。堪えていた涙がポロっと溢れる。私の背中に回されたお兄様の手が、ミシミシと音を立てるほど強く握りしめられる。
私を見つめる彼の黒い瞳の奥には、十歳の再会の時と同じかそれ以上に激しい熱を帯びた光が狂おしく燃えていた。
「そう言うな、ルクレツィア」
お兄ちゃまは私の頬を大きな手で包み込み、自分自身に言い聞かせるように、低く、熱い声で囁いた。
「俺がもっと力をつけて、お前を絶対に助け出してやる。待ってろ」
その言葉は、世界を滅ぼしかねないほどの怒りと決意に満ちていた。
お兄様の言葉はとても心強くて、私は「うん」と深く頷いた。お兄様は有言実行の男だ。きっと、この理不尽な結婚から私を救ってくれる。
だけど、私は彼の腕の中で、静かに自分の爪を手のひらにくい込ませていた。
(お兄様、ありがとう。でも、私だってただお兄様に守られるだけの可哀想なお姫様ではいないわ)
五歳の頃、私は「笑顔の天使」になると決めた。
十三歳になった今、自慢の笑顔を「運命と戦う武器」へと進化させる時だ。
明日から始まる、望まない結婚生活。お父様もお兄様もいない異国ミラノ。寂しくて不安でたまらないけど…自分の足で立ち上がらなきゃいけない。絶対に負けないわ――!




