35.不穏な手紙
私室で過ごす夜の定例となっている政策論議の最中、控えめなノックの音が響いた。
「殿下、ルクレツィア様、失礼いたします。サンシア様からお手紙が届きました」
侍女のアンジェラが、一通の文を捧げ持つようにして入ってくる。
「まあ、サンシアお義姉様から!? すぐに読みたいわ! 殿下、よろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。俺は席を外そうか?」
「いえ、退屈でなければご一緒していただきたいわ。スペインやフランスの情勢について触れられているかもしれませんし」
「そうだな。では、読んでもらえるか」
嬉しさに胸を躍らせながら封を切り、手紙を広げる。
だが、そこに綴られていた内容に目を通すうち、私の笑顔は少しずつ曇っていった。
手紙には、次のような事柄が記されていた。
妊娠したこと。順調にいけば出産は来年の春になる見込みであること。
スペイン国王からの特赦によりチェーザレお兄様が釈放され、同時にナヴァラ王国攻略のために出兵したこと。
現在身重であるサンシアお義姉様は軍に同行できず、少なくともお兄様の帰還まではモタ城に滞在すること。
おそらく出産もモタ城で行うことになるだろうということ。
毎日口喧嘩をする相手もおらず退屈極まりないが、愛する凛々しい夫ならば必ず勝利して無事に戻ってくると信じていること。
一見すると、おめでたい知らせと夫の無事を祈る妻の言葉に見える。
……けれど、何かがおかしい。
いつものお義姉様らしい奔放さや情熱的な表現とは程遠い、どこかしかめつらしく、堅苦しい字体とよそよそしい言い回し。文面から伝わってくる冷ややかな印象に、胸の奥がざらりと逆立つような感覚を覚えた。
「妊娠だなんて……おめでたいわ! 私もついに叔母さんになるのね。あのお二人の子なら、絶対に可愛らしいわ! ……けれど、お兄様がスペイン軍として戦っておられるということは……」
「ああ……今後の情勢によっては、俺たちフェラーラの敵となる可能性もあるな。 戦国の世とはいえ、義理の兄と戦うのは嫌なものだ。そうならんことを祈るばかりだが」
殿下が静かに腕を組み、眉をひそめる。
「……それにしても、やっぱりなんだか様子が変だわ。お義姉様はこんな堅苦しい言い方をなさる方じゃないのよ。 それに、モタ城といえば要塞であり、貴族の罪人を収容する監獄でしょう? 王女であり、しかも妊婦である方が長期滞在するような城じゃないわ。いくら庶子だからって、あまりにも酷い扱いだわ……近くに王家の華やかな別荘があるというのに。 ねえ、アンジェラ。あなたはどう思う?」
問いかけると、アンジェラは真剣な面持ちでうなずいた。
「……左様ですね。サンシア様はいつも、ルクレツィア様へのお手紙を『親愛なるルクレツィア』や『大好きなルクレツィア』といった親密な言葉で書き出されます。 ですが今回は『高潔なるフェラーラ公子妃殿下』と始まっております。……とてもサンシア様ご自身のお気持ちで書かれた文章とは思えません。非常に気になりますわ。 ルクレツィア様、チェーザレ様の元家臣の方々に頼み、向こうの詳しい様子を探ってもらいましょう。殿下、よろしいでしょうか?」
「うん、俺からも頼む。 ついでにスペインの内部事情や動きも探らせてくれ。……アレッサンドロを動かそう。あいつはチェーザレ殿のナヴァラ出兵をいち早く知っていた。向こうに確かな伝手があるのかもしれん」
「ありがとうございます、殿下。 では、私はさっそくアレッサンドロ様と詳細を打ち合わせてまいります」
「アンジェラ、よろしくね。現地へ向かう方には、くれぐれもご自身の安全に気を配るよう伝えて頂戴ね」
「かしこまりました。では、失礼いたします」
アンジェラが静かに部屋を退出すると、重苦しい沈黙が室内に落ちた。私は堪えきれず、胸中の恐ろしい懸念を言葉にした。
「……殿下。サンシアお義姉様は……自由を奪われ、軟禁されているのではなくて? もしや、お兄様に忠誠を強いるための人質に……!?」
「その可能性はきわめて高いな。あの手紙も、検閲の目をかいくぐれないと承知の上で、我々に異変を知らせるために書いたのかもしれん」
「……そんな、お義姉様が……! 来年の春にご出産ということは、今はまだ妊娠二、三ヶ月のとても不安定な時期でしょう? そんな大切な時期に、監獄に軟禁されるなんて……!」
「ルクレツィア、落ち着け。しっかりするんだ。いま我々にできるのは、確実な情報収集だ。アレッサンドロたちの報告を待とう」
殿下は私の肩にそっと手を置き、力強く言って聞かせてくださった。
窓の外ではしんしんと夜が更けていく。
忍び寄る不穏な影と遠く離れた家族への不安を胸に抱えたまま、私たちはただ静かにその夜を明かすのだった。




