34.ジュリアーノ教皇の陰謀(ジュリアーノ視点)
同じ頃、ローマの教皇執務室。
豪奢な室内には、張り詰めた重苦しい空気が漂っていた。
「教皇猊下! ヴェネチア攻略の戦費……特に傭兵隊への給料と食料調達の資金が底を突きかけております! どういたしましょうか……!?」
頭を下げて震える部下に対し、儂は新しく建てる大聖堂の設計図から視線を外さずに答えた。
「神の御業を知らしめる聖戦の為だ。直轄領の皆様から寸志を頂け」
「し、しかし!相次ぐ増税で民は疲弊し…不平不満が高まった結果、先般もボルジアが謀反を起こしたばかりです!?餓死寸前の民に寸志など、到底頼めません! これ以上は、民に死ねと命じるのと同義!」
「徳を積めば天国に誘われる。民たちは自ら地獄に堕ちたいと言っておるとでも?」
「い、いえ、そうではなく…ただ民衆が飢えて死に絶えれば、教皇国の威信に関わるかもと…!」
儂は設計図から目を上げ、目の前の部下を見据えた。
「死に絶えたならば、神の教えに殉じ天に召されたということ。民たちもさぞや喜ぶことであろう。神の代理人たるこの儂が、異民族からイタリアを救い出すため、全イタリア統一に腐心しておるのだ。お前たちはただ教え導き、その重要性を民たちに理解させれば良い。イタリア全土が教皇国になれば、暮らしも楽になる、それまでの苦難を皆で耐え忍ぼう、とでも言えば良い。何も難しくはなかろう?」
「しかし!」
「くどい!まだ言うか!」
怒号が執務室に響き渡る。
激昂する儂の背後から、すっと黒い影のような静けさで若者が寄り添ってきた。
「まあまあ、叔父上。そんなに若い者を責めるものではありませんよ。……君、もう下がって良いよ。後の報告は僕が引き継ぐから」
「……おお、シスト枢機卿か。相変わらず気配を消すのが上手いな」
儂の甥であり、優秀な右腕でもあるシストは、下がりゆく側近の後ろ姿を冷ややかな目で見送った。
「叔父上、冗談はさておき……先ほどの者は使えませんから更迭しましょう。 それと寸志という名の増税の件は、僕から直接指示を出しておきます。ワインの関税は先月上げましたので、次はパンか塩の価格統制で値を釣り上げましょうか。免罪符販売も良いですね。そうだ!家庭に一枚ではなく、一人につき一枚を買わせれば、より儲けられます。ああ、亡くなった先祖の魂も救済しなければいけませんから、その分も上乗せして販売しましょう。 民衆は生かさず殺さず。ギリギリまで搾り切れば、文句を言う元気も無くなるでしょう。なぁに、免罪符一枚で魂が救われるのです。安いものでしょう」
「うむ、任せたぞ。……ところで忌々しいフェラーラは? あのジュリオという男は上手くやったのか?」
「残念ながらジュリオは失敗し、既に逃亡した模様です」
「チッ……逃げ足だけは早い奴だ。……まあ良い。それで、今年のフェラーラの収穫はどうなのだ?」
「新しく開拓した農地にて、亜麻と小麦が今までになく上質、かつ大豊作だとのことです。塩の品質も折り紙付きです」
その報告を聞いた瞬間、儂の頭の中で点と点が繋がった!
「それだ!フェラーラを攻め落とせ! これで兵士の食料と衣服の問題は一気に解決する!」
「ええ。しかも公子自慢の大砲隊と、あのボルジア娘が持ち込んだ豊富な資金も手に入ります。加えて、ボルジア娘は、干拓地から上がってくるモッツァレラチーズや小麦で大儲けし、破竹の勢いで個人資産を増やしております。あそこを教皇直轄領に組み込んで絞り尽くせば、ローマの食料庫……それどころか、金庫となりましょう。金の卵を生む鶏が沢山ぶら下がっている、膨大な金庫にね」
「ふはは! もともとフェラーラはフランスにへつらう裏切り者どもだ。神の代理人への不忠を、身をもって償わせろ! ……フランスとスペインの動向はどうなっている?」
「依然としてナポリの領有を巡り争っております。現在はスペインが優勢です。さらにスペインは、フランスに寝返ろうとしたナヴァラ王国へ攻め込んでおります。スペイン軍の総大将を務めているのは……チェーザレ・ボルジアです」
「……チッ、あの死に損ないめが……! 戦況はどうなのだ?」
「ナヴァラが劣勢です。フランスからの援軍も間に合いそうにありません」
「ふん……腐ってもボルジアというところか」
「叔父上、フランスとの同盟は継続でしょうか? ヴェネチアに続き、フランス同盟国フェラーラを攻めるとなると、流石に黙っていないでしょう。援軍のみならず、国際政治の場で吊るし上げられる可能性も考えられます」
「フランスはイタリア北部で力を持ち過ぎた。追い出す潮時だろう。フランスとの同盟は破棄だ。スペインと新たに同盟を結ぶ。ヴェネチアとフェラーラの攻略中に背後から撃たれては敵わん。 スペインがイタリア南部で調子に乗り始めたら、改めて同盟相手を考え直す。ああ、それとな…」
「もちろん、周辺諸国にも通達を出しておきます。フェラーラに与する者には容赦しない…とね。手配にかかります」
「うむ、上手くやれよ。フェラーラ攻略には儂が自ら出陣する」
音も無く去っていくシストの後ろ姿を見送りながら、儂はステンドグラスから差し込む光を見上げた。
(神よ……ご覧になっておられますか!? この儂が、必ずやイタリア統一を成し遂げ、神の御威光を世界中に輝かせて見せますぞ! そのためには資金だ……資金など、どれだけあっても足りぬ!)
脳裏に浮かぶのは、神を讃える壮大な大聖堂、そしてそこを埋め尽くす名画や巨大な彫刻群。
(全世界が驚愕するような、永遠の都を創り上げてやる! それを見れば、民衆の些末な犠牲など一瞬で報われるであろう! ハーッハッハッハ!!)
狂気にも似た野望の笑い声が、静かな教皇執務室にいつまでも響き渡っていた。




