29.束の間の休息
フェラーラ宮廷の大広間は、色とりどりの装飾と人々の歓声、そして華やかな音楽に包まれていた。今は、イザベラ様とマントヴァ公国フランチェスコ公爵との、盛大な結婚式の真っ最中。
会場では、すっかり表舞台から退いていた公爵であるお義父様が、愛娘の晴れ姿を前に涙をぬぐっていた。
「わしの可愛い大玉娘ちゃん……幸せになるんだよ……」
「ええ、幸せになりますわ! 私の力でマントヴァを更に盛りたてて、愛するフェラーラを牽引してみせますわ! だからお父様、ずっとお元気で、私の勇姿を見守っていてね!」
涙ぐみながら抱きしめるお義父様に、イザベラ様は胸を張って頼もしく微笑んだ。そこへ、可憐なドレスに身を包んだ私がそっと歩み寄る。
「イザベラ様、おめでとうございます。マントヴァはフェラーラからも近うございますから、いつでもお立ち寄りくださいね。殿下も私も、楽しみにお待ちしておりますわ」
イザベラ様は顎を上げて、扇子を優雅に揺らした。
「言われなくてもそうするわよ! ところで、私の結婚衣装はどう? あんたの時よりも豪華でしょう?」
(ふん、相変わらずの女狐ね。お父様とお兄様の洗脳もいつか解いてやるわ!見てなさいよ!)
(あら、今日はイザベラ様が話してくださったわ! 嬉しい!)
私はパッと表情を明るくして、イザベラ様の衣装を心から称賛した。
「ええ、本当に素敵! 私の時と比べるなんてとんでもないわ! 袖に縫い付けられた宝石たちが煌めいて、まるでイザベラ様ご自身が光り輝いているかのよう! それに……イザベラ様が発明されたその大きなヘッドドレスも本当に素敵! マントヴァの公妃にふさわしい威厳に満ち溢れていらっしゃるわ!」
「ふふん、そうでしょう? このヘッドドレスはね、『バルゾ(躍進)』と命名したのよ! 常に皆のトップにいる私にぴったりな帽子でしょう? 羨ましい? 真似してもいいのよ?」
誇らしげに顎を上げるイザベラ様に、私は(きゃっ、ついにお揃いファッションのお誘いだわ!嬉しい!)と胸を躍らせた。
「イザベラ様、ぜひ――」
「やあ、某の花嫁殿。ここにいたの……か……」
そこへ声をかけてきたのは、新郎であるマントヴァ公フランチェスコ。しかし、彼の視線はイザベラ様を通り越し、私の上でピタリと止まった。その目が、驚きと感嘆で丸く見開かれる。
「これはこれは……お美しいルクレツィア殿! お初にお目にかかります、某はフランチェスコでござる。どうぞお見知りおきを!」
「ええ、フランチェスコ公。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
「ルクレツィア様はどんなものがお好みかな? お近づきの印に、何か記念となるものをお送りしたい!」
イザベラ様をそっちのけにして、フランチェスコ公は、目を輝かせて身を乗り出してきた。駄目ですわよ、親戚付き合いよりも、今は花嫁をご優先なさいませ。
「宝石かな? それとも……金のブレスレットはいかがですかな!? いや、指輪が良いな!」
「まあ、ありがとうございます。ですが、指輪はさすがに……。私、指輪は『真実の愛』とだけ交わすと決めておりますの」
「なんと! 義兄上が羨ましい! しかし、某たちも義理とはいえ姉弟。何か贈らせて頂きたい!」
(ちょっ……! 来て早々、なに女狐に誑かされてんのよ!)
あら、イザベラ様の額に青筋が…これはいけないわ!
「ええ、お気持ちだけ頂戴しておきますわ。ぜひ、花嫁のイザベラ様に素晴らしい品をお贈りくださいませね」
(キーッ! なんでこの女に譲られなきゃいけないのよ!)
微笑む私に、何故かイザベラ様の青筋が本数を増している。困ったわ…
「ここにいたか、ルクレツィア」
そこへ、低い厳かな声とともにアルフォンソ殿下が割って入ってきた。殿下はフランチェスコ公を牽制するように私の腰を抱いて引き寄せた。
「フランチェスコ殿、我が妃には俺から宝石でもなんでも贈る。要らぬ気遣いだ」
「まあ、殿下。ありがとうございます。……でも、本当に今は、宝石は要らないのです」
私がそっと囁くと、殿下はあからさまにショックを受けたように肩を落とした。
(せっかく贈ろうと思ったのに……)がっかりする殿下の顔がおかしくて、私は慌てて小首を傾げ、上目遣いに殿下を見つめた。
「私、殿下のお部屋を飾る絵が欲しいですわ! 殿下のお部屋は少し殺風景ですもの。一緒にどんな絵が良いか、考えましょう? ねえ、よろしいでしょう、殿下?」
じっと殿下の瞳を見つめていると、殿下が急にそわそわし始めた。
「……っ! あ、ああ、いいな。共に考えよう……!」
顔をほんのり赤くして頷く殿下。あら、またお熱かしら?祝宴の最中に心配だわ。なんて思っていると、フランチェスコ公のもとへ、イザベラ様が痺れを切らして踏み込んできた。
「行きますわよ、フランチェスコ様! 向こうにいる従兄弟にも挨拶しなきゃいけないんだから!」
イザベラ様はフランチェスコ公の腕を強引に掴むと、ずんずんと引きずり去っていった。その嵐のような後ろ姿を見送りながら、私はふふっと微笑んだ。
「お二人とも、本当に仲がお宜しいことですわね。微笑ましいわ。ねえ、アンジェラもそう思うでしょう?」
(……そういうところですわよ、ルクレツィア様。でも、フランチェスコ公は少し危険ね。ただでさえプライドの高いイザベラ様が、これ以上ルクレツィア様を妬んで意地悪をしてきたら困るもの。ルクレツィア様が余計なトラブルに巻き込まれないよう、しっかり気を配っておかなきゃ……!)
祝宴の喧騒の中、新しい風波の予感を察しながらも、アンジェラは主人の笑顔を守るべく密かに決意を新たにするのだった。




