18.戦友との契約
一年に及ぶ二重生活の緊張と疲弊の中、私の心は千々に乱れていた。
(いっそのこと、殿下に打ち明けてしまおうか……? もし許していただけたら、アルフォンソ様は国の庇護を受け、安全が確保される。でも許されなければ……きっと殺されてしまう。やはり、お別れしなくてはいけないのかしら……だけど…もう離れたくない!)
答えの出ない暗闇の中でもがいていたある日の夜。いつもの政策論議が一段落した時、殿下がふと思いついたように仰った。
「ルクレツィア、観劇に行かないか?」
「あら、突然ですわね、殿下」
「たまには仕事抜きで過ごすのはどうか、と思ってな。俺は分からんが、女性は観劇したいものなのだろう?」
「ふふっ……あら殿下、もしかして『真実の愛』のお相手もお好きですの?」
「ああ、演劇には目がなかったな」
(……過去形?)
引っかかりを覚えつつも、私は穏やかに問いかけた。
「いつも、お二人でどんな演目をご覧になりますの?」
「彼女は特に喜劇を好んでいた」
「……あの、殿下? 失礼ですが、その方は今……?」
「ああ、言ってなかったな。彼女は亡くなった。この機会に話しておこう」
殿下は静かに目を伏せ、淡々と教えてくださった。
彼女は先妻で、ミラノの公女アンナ。気が強く男勝りで、最初は殿下のことを嫌っていたという。殿下は頑張って頑張って、なんとか彼女の心を掴もうとした。
「何に喜ぶのか分からなくてな、苦労したよ。男装ばかりするから馬が好きかと思えば、遠乗りは駄目。宝石を贈っても気に入らない。……やっと愛の詩と喜劇が好きだと分かって、小躍りしたものだ」
不器用な男が必死に恋をした日々。やっと心が通じ合い、これからという矢先――流行病であっけなく彼女は逝ってしまった。ちょうど御子を授かったかもしれないというタイミングで、お腹の子を守るために強い薬の服用を拒否したのだという。
語り終えた時、心なしか殿下の瞳が薄く潤んだ気がした。
「俺はもう絶対にアンナとは会えない、語り合えない。だから、戦友の君には少しでも人生を楽しんでほしいし……真実の愛と愛し合えるなら、応援もしたいのだ」
(やはりご存知なのだわ! 知っていて、今まで黙認してくださっていた……?)
息をのむ私に、殿下はまっすぐな視線を向けた。
「だが、俺は君を手放せない。君以上の妃は望めないからな。戦友という点では、君はアンナの比にならない逸材だ。悪いが、フェラーラの為、愛はなくても俺の横に立っていてほしい」
「畏まりました、殿下。最初の夜にお話したとおり……いえ、それ以上に『戦友』としてお役に立ってみせますわ」
「うん、よろしく頼む。……それでだ。君の真実の愛は、アロンゾではないか?」
ドキン、と心臓が跳ね上がった。
(……! 全てご存知だったのね……! 噂には聞いていたけれど、フェラーラのスパイ網は桁外れだわ……!)
「その顔、図星だな? なに、特段調べたわけではない。あの詩人を見た時の君は尋常ではなかったからな。半分当てずっぽうだ。他には誰も気付いていないから安心しろ」
(えっ……それって……殿下は私のこと、滅茶苦茶見てるってことよね……!?)
驚きに目を見張る私に、殿下は口元をニヤリと歪めた。
「君は完璧に隠しているつもりだろうが、俺には手に取るように分かる。戦友を舐めるなよ?」
(はぁ……もう隠しきれない。仕方ないわ。全力で殿下を口説き落として、アルフォンソ様を守るのよ……!)
覚悟を決めた私は、深く一礼して真実を白状した。
「殿下……。お察しのとおり、アロンゾが私の真実の愛です。暗殺されかけ、必死で逃がした私の前夫、ナポリの王子アルフォンソなのです。ずっと消息を掴めなかったのですが……」
「だが、顔を隠していただろう? 何故分かった?」
「歌った詩が……全て私と交わしたものだからです。それに、顔をいくら隠しても、リュートの弾き癖は誤魔化せません……! 殿下、どうかお願いです。彼を殺さないで……! 私はどうなっても構いませんから……どうか、どうか彼だけは……!」
床に膝をつかんばかりに乞う私を見下ろし、殿下は呆れたように肩をすくめた。
「何故そうなる? 応援すると言ったろう? 安心しろ、守ってやる」
「……えっ……あ、あ、ありがとうございます、殿下……!」(た、助かった……!)
安堵で崩れそうになる私を制するように、殿下は人差し指を立てた。
「だが、条件がある。フェラーラと君が安全であることだ。公子の身分はまだまだ不安定だ。未だに君を失脚させて別の妃を娶らせようとする輩もいる。アロンゾは格好の弱み。彼のことが敵に漏れたら君も俺も終わりだ。その気配が少しでもあれば、今度こそ彼の命の保証はできない。……それまでは、俺が彼のパトロンとなり守ってやろう。どうだ? 最後までやり通せるか?」
その力強い言葉に、胸の奥から熱いエネルギーが沸き上がってくるのを感じた。
「……殿下! やり通してみせます! フェラーラと殿下を危機になんて、絶対に晒させませんわ!」
「よし、元気が出てきたな。では契約成立だ。頑張れよ」
「はい! ご期待に沿ってみせますわ!」
「うん、良い顔だ、ルクレツィア」
私は久しぶりに満面の笑みをにぱっと咲かせ、頼もしい戦友の手を力強く握り返したのだった。




