16.…巡り合えた
(息ができない……! アルフォンソ様、あなたなのね! 生きて……生きていてくれたのね。ああ、神様、ありがとうございます……!)
激しく打つ胸を必死で押し殺す私のもとへ、仮面の詩人が静かに一礼を捧げた。
「公子殿下、公子妃殿下。この度はお招きいただき、誠にありがとうございます」
「……」
(声が出ない……! 喉が引きつり、言葉が掠れて出てこない……!)
声を出そうと唇を震わせる私を、隣に座る殿下が微笑ましく見やった。
「うん。招きに応じてくれて感謝する、仮面の詩人よ。我が妃は今の一声で、既にお前の虜になったようだ。……続いて一遍、歌ってくれるか」
――ポロン。
詩人が再び繊細な手つきでリュートを爪弾く。
「君の笑顔は、日光にきらめく金。
君の涙は、月光で編んだ真珠。
忘れるなんて、できそうにない。
あなたという名の迷路から、
僕はもう、抜け出せない。
届かないと分かっていても、
今なお、あなたの残像を抱きしめている。
僕の悲しみが、あなたの明日を曇らせてしまうなら、
このまま静かに、思い出の底へ消えてしまおう。
夜が明ける頃には、
僕はきっと、綺麗な幻になる。
最後に残るのは、
日光にきらめく金と、月光の真珠だけ」
流麗で切ない歌声がサロンの隅々にまで染み渡り、一瞬の静寂の後、雷鳴のような拍手喝采が巻き起こった。
「素晴らしいわ!」
「なんて切ない愛の歌なのでしょう!」
「さすが噂になるだけあるな!」
(皆が彼を惜しみなく賞賛している……私も何か言わなくては。言葉を贈らなければ……! ああ、けれど胸が破裂しそうで、本当に声が出ないわ……!)
「うん、実に素晴らしい! 我が妃は感動のあまり言葉も出ないようだ。さすがだな。次は、そうだな……愛の歌も良いが、俺のような軍人に向けた、武勇を讃える詩も詠ってくれないか?」
「お褒めにあずかり、ありがとうございます。ですが、ご容赦ください。今日の私は、愛の詩しか詠えないようです」
「ハハハッ! そうか! ここに居並ぶ貴婦人たちの美しさにのぼせたか? いいぞ、思いのまま歌うが良い!」
殿下の快活な笑い声に応え、詩人は再び弦に手を掛けた。
――ポロン。
「見上げる空は裂かれ、無情に僕たちの距離を離す。
手を伸ばしても掴めるのは、冷たい夜風と、消えない面影だけ。
目を閉じれば鮮やかに蘇る。
あなたの瞳は私たちの未来を映すサファイア、
声は夜露を震わす銀の鈴。
あの輝きも、あの愛おしい響きも、今は届かない、遠い世界の向こう側。
国境が、運命が、この世界が僕たちを引き裂き、引き離そうとも、
僕の心に流れるあなたの記憶は、誰も奪えない。
たとえこの身が擦り切れようと、
僕の愛は、あなたという光へ手を伸ばし続ける」
――その後の記憶は、おぼろげにしか残っていない。
誰かに話しかけられ、何かを答えた。そんな気はする。
気がつけば、私は自室のソファに腰掛け、心配そうに私を見つめる殿下と二人きりになっていた。
「ルクレツィア、今日はよくやった。皆、大層喜んで帰って行ったぞ。大成功だ」
「……ああ、終わったのですね。……上手くいきましたの? 皆様はもうお帰りに? 詩人アロンゾは……?」
「ああ、皆帰った。アロンゾも城を辞したぞ。……なんだか様子が変だ。どうした?」
まっすぐに見つめてくる殿下の瞳に、冷や汗が背中を伝う。
「殿下……。申し訳ありません。少し疲れたようです……今は…休ませて頂いてよろしいでしょうか?」
(今は駄目。取り乱したまま話しては駄目……! 冷静になって考えないと。せっかくアルフォンソ様と奇跡的に巡り会えたのに、ここで台無しにする訳にはいかないわ……)
一切の余裕を失った私を見て、殿下は静かに息を吐き、そっと立ち上がった。
「分かった。話す気になったらでいい。よく休め」
背を向け、静かに部屋を出ていく殿下。
(……殿下には、もう勘づかれているかもしれない。私のあの取り乱し方はあまりにも異常だった。……でも、絶対に前回の轍を踏む訳にはいかない! あの時と同じ失敗をして、彼を再び死の危険に晒すことだけは絶対に……! 考えて、考えるのよルクレツィア……!)
冷たくなった自分の手先を固く握りしめ、私は暗闇の中で懸命に思考を巡らせ始めた。




