15.真実の愛
視察に忙しく立ち回るなか、ローマのお父様から待ちかねていた返信が届いた。
『愛しいルクレツィアへ
恙無く過ごしているようで安心した。そちらの宮廷でも楽しくやっているようだな。さすがは我が娘だ、わしも鼻が高い。
上納金の件だが、永久に完全免除は難しい。お前も知っているとおり、上納金は信仰の証。わしの娘が全く納めないのは、教会内や他国への示しがつかんし、わしやチェーザレの立場もない。そこでだ。今後五十年、上納金を今までの百分の一、金貨百枚に免ずるというのはどうだろうか?完全免除の代わりには相当足りないが、お前への追加持参金として金貨十万枚を送る。加えて、お前個人の領地としてフェラーラの南に隣接するチェントを与えよう。チェントの税収を合わせれば、お前の希望通りの額になるはずだ。上手く使い、フェラーラでの暮らしをより快適にするのだぞ。落ち着いたら父に顔を見せに来ておくれ。
追伸
チェーザレに芸術論議のことを伝えたら、さすが俺の可愛い妹だ!よくやった!と自慢しておったわ。それを言うなら、わしの自慢の娘だと言い返し、二人して大笑いだ。ここにいなくても、お前はわしらに笑顔をもたらしてくれる。お前がいた頃のローマが懐かしい。
お前を信頼する父より』
(あらあらまあまあ、想定より良い条件が戻ってきたわ。ローマでは政治を何より最優先にしていたのに、嘘みたい。ともあれお父様、本当にありがとう。 チェントがあれば軍事面でもフェラーラに貢献できるかもしれないわ。ここで生き残れる可能性が更に高くなる。 でも追加持参金はどうしようかしら。殿下に伝えたら、不測の事態が起こったときに取り上げられるかも……。杞憂かもしれないけれど、私一人の裁量で動かせる現金はあったほうがいいわ。宝石は換金する手間がかかるしね)
手紙をそっと引出しの奥に入れ、私は執務室で待つ殿下のもとへ向かった。
「殿下、父から上納金を五十年の間、年間金貨百枚にする旨、返答がございました。力及ばず…永久免除が叶わず申し訳ございません……」
「ルクレツィア、よくやった!金貨百枚なんぞ、ただ同然ではないか!」
予想以上の成果に、殿下は大口を開けて喜んでくれた。
「殿下、もう一つお土産がございます。チェントが私の領土になります。税収で更に国庫を潤わせることができますわ」
「……なんと!破格の待遇だ!君は義父上に愛されているんだな」
「ええ、本当に。今頃になって父の愛が身に沁みますわ。それと、殿下。チェントが手に入れば、税収だけではなく、戦争を減らすことも可能では?軍事は殿下のご専門ですし、素人考えでお恥ずかしいのですが……少し思いつきましたの」
「何だ?言ってみろ」
私は地図を広げ、指先で境界線をなぞった。
「フェラーラの北、東、西は大きな川で囲まれていますでしょう?南のチェントの南端にも大きな川が。ここに見張り台を兼ねた出島の要塞を作り、防衛の要としてはいかがでしょう? 最初はフェラーラ全体を大きな土塀で囲い、要塞化したら?とも考えたのですが、工事の費用と期間がかかりすぎます。出島ならすぐに完成しますし、それで足らない部分だけ土塀を作れば費用も浮きます。 それに防衛設備を見せつけることで、他国が攻めるにも躊躇するのではないかと」
殿下は目を見開いたまま、地図と私の顔を何度も往復した。
「な、何だと!?」
「やはりおかしな考えでしょうか?女だてらに申し訳ありません」
「違うのだ!国全体の要塞化は父上とも話し合ったことがあるが、君が言うとおり費用面で頓挫したのだ。出島とは上手く考えたな。さすがボルジアの軍神チェーザレ殿の妹だ」
(あら、お兄様が『死神』から『軍神』に昇格したわ。良うございましたね、お兄様)
心の中でくすりと笑いながら、私は真顔を取り戻して助言を続けた。
「殿下、ありがとうございます。お義父上には、殿下のお考えとしてご進言なさいませ」
「何故だ?君の名前を出したほうが良いだろう?」
「イメージ戦略ですわ。私は悪名高きボルジアの娘。今はまだ慈善と芸術に熱心な奥方に徹した方が得ですもの。この上、軍事まで口を出せば、またボルジアの名がひょっこり顔を出しますわ。ふふっ計算高いでしょう?」
「ああ、だが嫌いじゃない。君が戦友になってくれて良かったと、今では思っているんだ」
殿下は実に頼もしい笑顔でそう言って頷いた。
「そういえば、先日話した詩人だが、日程が決まった。2週間後だ。主だった貴族を呼んで詩の会を開こうと思う。 準備も含めて、頼めるか?」
「はい、殿下。お任せください。 ところでその詩人とはどんな方ですの?」
「名はアロンゾ。甘い声で切なく愛を詠うそうだ。なんでも、いつも仮面で目元を隠し、経歴も不明だが、澄んだ青い目と優雅な風情で『仮面の詩人』と呼ばれているそうだ」
「まあ、それは楽しみですわね。私、切ない愛の物語が大好きですのよ」
私がくすりと微笑むと、殿下は懐かしむように遠くを見つめ、口元をゆるめた。
「お前もか?……俺の『真実の愛』も大好きだったな」
「あら、殿下。いつもお二人で愛について語り合われる、とか?」
「ハッ、俺にそんな芸当ができると思うか?」
殿下は自嘲ぎみに鼻で笑ったが、その瞳には愛おしい思い出を反芻するような柔らかさがあった。
「だが、彼女が愛の詩を朗読していてな……。それを隣で静かに聞いている時間が好きだったのだ」
無骨な大男が見せた一瞬の隙。その不器用で一途な恋心に、私の胸も温かくなる。
「素敵ですわね。いつか、殿下の『真実の愛』のお話をもっと詳しくお聞きできればと思います。……でも今は、お客様をお迎えする準備に取り掛かりますわ。殿下は出島要塞の進言をご準備遊ばせ」
「ああ、頼んだぞ、戦友」
互いに深く頷き合い、私たちは固い絆を確かめ合った。
そして――運命の日が来た。
豪奢な装飾が施されたサロンには、フェラーラの主だった貴族たちが一堂に会し、華やかな熱気に包まれていた。中央に立った殿下が、朗々と声を響かせる。
「皆、よく来てくれた! 今日、この佳き日に、街で最も誉れ高き詩人を我が宮殿に迎えることができたのは、無上の喜びだ。――それでは仮面の詩人アロンゾ、お前の音楽と言葉で我らを楽しませよ!」
殿下の豪快な合図とともに、優美なマスカレードマスクで目元を隠した一人の男が、ゆっくりと静かに姿を現した。
抱えたリュートに手を掛け、物悲しい調子で弦を爪弾く。
――ポロン。
たった一音で、サロンを満たしていたざわめきが、しん、と静まり返った。
「たとえ世界が二人を分かつとも……」
(……え? この詩は……この独特な奏で方は……まさか……?)
「私の魂は……」
(詩人アロンゾ……と言ったわよね? 仮面から覗く、あの澄んだ青い目……まさか、まさか……!?)
「あなたの影を追い続ける」
時が止まった。
息をすることすら忘れ、私は立ち尽くした。
痛々しいほど激しく鼓動する胸を必死で手で押さえつけながら、私は目の前に立つ男を見つめ続ける。
(生きて……生きていてくれたの……!?)




