13.未来の開拓
初夜の翌日から、それはもう、目の回るような忙しい日々が始まった。
まずは何よりも先に、この国の絶対権力者である公爵殿下へのご挨拶だ。
緊張の面持ちで玉座の前に並んだ私たちだったが、隣に立つ公子殿下が、突然熱弁を振るい始めたのだ。
「父上! 毒婦という噂は全くの誤解でした! 私は、これほど民に誠実で、国家の行く末を案じる才女に会ったことがありません。……おそらく、以降の人生でも出会うことはないでしょう!」
大真面目な顔で「我が妻の素晴らしさ」を演説しだした殿下を見て、私はお腹を抱えて吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
(真実の愛は一体どこへお出かけですの、殿下?昨夜、ビジネスパートナーの誓いをしたばかりなのに。フェラーラのルクレツィアファン第一号になって頂けたようね)
挨拶が終われば、次はフェラーラ貴族たちから山のように届いた招待状の仕訳だ。この国のパワーバランスや派閥は、ローマにいる頃から大体把握していた。誰の誘いを受け、誰を後回しにするかの判断は自分でできる。……けれど、なにせ数が多すぎる!
そして、最も喫緊の課題は「福祉問題」だった。
(ハッタリで大風呂敷を広げてしまったわ。具体案をすぐ出さないと。愚図愚図していたら、元の『ボルジアの毒婦』に逆戻りだわ。ここには、何かあればすぐに処理してくれる、頼れるお兄様もお父様もいないのよ。私の手で、この未来を切り拓かないと!)
「殿下、現状をより深く把握するために、フェラーラの街を視察したいのです。お許しをいただけますでしょうか?」
「良いだろう。どこを見るつもりだ?」
「教会と孤児院、それに――スラム街です」
「……はっ!? ス、スラムだと!?」
殿下は椅子から飛び上がらんばかりに驚愕した。
「ええ。若くない女性が生活苦から娼婦になる場合、大抵は高級娼婦ではなく、スラムの安宿へと堕ちていくはず。彼女たちがどのような境遇に置かれ、どのくらいの数がいるのか。それをこの目で正確に把握したいのです」
「いかん! か弱い女性がスラムなどと……危険すぎる! 許可できん!」
『か弱い女性』を心配して声を荒らげる殿下に、私はふっと不敵な笑みを向けた。
「お言葉ですが殿下。私はローマで兄に同行し、ありとあらゆる治安の悪い場所を視察してまいりました。特に危険な目にあったこともございませんし、注意すべき点も心得ておりますわ」
「だ、だが路地が狭く、スラムに馬車は入れない。どうやって行くつもりだ?」
「馬で。馬すら入れない場所は、徒歩で進むまでですわ」
「……それが、ローマの日常だったのか……?」
「ええ。と言っても、毎日ではございませんのよ? 淑女らしく、屋敷でお菓子を摘んでお喋りする日も、たまにはございましたわ」
殿下は呆然とし、開いた口が塞がらない様子だった。
(規格外すぎる……! 淑女がスラムに徒歩で乗り込むなど、そんな話聞いたことがないぞ……!)
「……駄目だ! どうしてもと言うなら、俺も同行する! あっ――(言ってしまった!)」
自分で口走ってハッと口を塞ぐ殿下に、私はチャンスとばかりに満面の笑みを咲かせ畳み掛ける。
「まあ殿下、それは心強うございますわ! では、いつがご都合よろしくて? 街の視察は一日では到底回りきれませんし、民との対話も必要です。殿下の空いていらっしゃる日程を、全て私にお知らせくださる? ……でも、ご無理はなさらないでね? 最低限の護衛を連れていきますし、私は独りでも一向に構いませんから」
私がこれほど頻繁に街へ出たがっているのには、もう一つ、誰にも言えない本当の理由があった。
(愛するアルフォンソ様が生きていれば、計画通り、このフェラーラにいる可能性が最も高いわ。新しく嫁いできたボルジアの娘が、頻繁に街に出て民を救っていると評判になれば、あの方の耳に必ず届くはず……。そうすれば、私に会いに来てくださるかもしれない。ふふっ、これぞ一石二鳥ね!)
「分かった……。分かったから、独りで行くのは極力避けてくれ。日程は後で知らせる」
私の熱意に押し切られ、殿下はため息をつきながらも嬉しそうに頷いた。これで最終関門の、第二段階もクリアだ。
そして最後は、フェラーラの国家予算を大逆転させるための「ローマへの上納金免除」のお願い。私は机に向かい、家族の心理を完璧に突いた手紙を書き上げた。
『親愛なるお父様
ルクレツィアはフェラーラで息災に過ごしております。ここの方たちは皆さん親切にしてくださいます。
ですが、フェラーラの財政は思いの外、窮しており……哀れな娘のため、教会への上納金を永久免除して頂けないでしょうか? もし叶えてくだされば、ここでの私の待遇もより良くなることでしょう。無理なお願いであることは承知しておりますが、愛する娘のためと、ご理解くださると幸いです。
蛇足ですが、ずっと以前にお兄様と議論し尽くした「絵画と彫刻どちらが優れているか」の論争を、初日にこちらの貴族に吹っ掛けられましたの。お兄様のお陰で上手く切り抜けられましたわ。ぜひ、お兄様にお礼を申し上げてくださいませ。
愛を込めて ルクレツィアより』
手紙に封蝋を押し、私は窓の外の青空を見つめた。
(さあ、今私にできることは全てやったわ。この手紙を読んだお父様とお兄様が、一体どんな反応をするかしら? 鬼が出るかしら、それとも蛇? ――どちらにしても、楽しみだわ!)




