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10.新天地へ

「ルクレツィア、非常に残念だが、アルフォンソ殿との結婚は本日をもって解消とする。この一年捜索したが手がかりすら掴めん。ナポリからも婚姻解消の了承を得た。 辛いだろうが、彼のことはもう忘れて生きていくのだ」


アルフォンソ様が失踪して、一年。お父様が沈痛な面持ちで私にそう告げた。


「可哀想なルクレツィア、この父ができることは何でもしてやる。我儘でも何でもいい。何か希望はあるか?」


「……いいえお父様。今は何も要りません……もう少し時間が必要なようです……」


私はしおらしく俯き、悲劇のヒロインを演じる。


「そうか……チェーザレも心配していた。あいつは最初アルフォンソ殿を気に入らず、色々画策していたようだが……今はアルフォンソ殿の捜索に駆けずり回っている。お前を大事に想っているからだ。お前は独りではない。わしもチェーザレもお前を愛している。もっと頼れ」


「ありがとうございます、お父様。心強うございます」


お父様の言葉を聞きながら、私の確信は深まっていく。


(お兄様もお父様も、今回の失踪には本当に関与していないのね……。遺体も痕跡も見つからないってことは、やはりアルフォンソ様は生きて逃げ延びたんだわ。お父様は心底心配してくれている。いっそ、お父様だけにフェラーラにいるかも、と打ち明けてみようかしら…いえ駄目よ。信用しきってはいけないわ、ルクレツィア。お二人とも、私への愛以上に『権力』が大切なのだから)


心の中で自分を叱咤しつつ、私はポエジーリングにそっと触れた。


(どこにいるの、アルフォンソ様。どうか生きていて……)


――その後、社交界に復帰した私に注がれる視線は、以前と一変していた。


「あの方よ」

「まあ、あの噂の?」

「そうそう、ルクレツィア様」

「あの方に関わる男性は必ず不幸になるそうね?」

「おきれいな方なのにお可哀想ね」


クスクス、ひそひそ。以前は好意的だった視線が、今は痛い。けれど、それもしょうがない。最初の夫が失脚し、次が失踪。それだけではない。アルフォンソ様が行方不明になった後、傷心の私に言い寄ってきた男性貴族たちが、不審な事故での怪我や醜聞による失脚で、軒並み社交界から姿を消したのだから。


(おそらく、全部お兄様の仕業ね……。怖すぎるわ)


そんな私の背後から、むせ返るほどに甘い声がかけられる。


「ルクレツィア、楽しんでるか?」


「お兄様、ごきげんよう。それなりに楽しんでいますわ。強いて言えば、ダンスのお相手が見つかりませんの。つまらないわ」


「俺がいるじゃないか。さあ、昔のように兄様と踊ろう」


「でも……」


「『でも』は無しだ、ルクレツィア」


お兄様は私の腰を強引に抱き寄せると、その黒い瞳で私をじっと見据えた。


「俺の天使に他の男が触れるのは許さない。――天使が、俺以外の男に心を移すのもだ。分かるか、ルクレツィア?」


その瞬間、私の背筋に極限の悪寒が走った。


(……え? まさかそれって……お相手の男性だけじゃなく、他の殿方に心を移した『私自身』も対象ってこと!? ……殺される。ここにいたらいつか、お兄様に殺されるわ! アルフォンソ様と再び出会うためにも、私はなんとしても生き延びなきゃ!)


「ええ、愛しいお兄様。お優しく美しいお兄様に守られて、ルクレツィアは幸せですわ」


顔を引きつらせるのを必死で堪え、私は満面の笑みでお兄ちゃまの首に手を回した。


「そうだ、それで良い。俺に全て任せておけ」


私たちはダンスフロアへと滑り出す。狂気を秘めたお兄様と、必死の私。周囲の貴族たちは何も知らず、ただ「神々のダンスだ」「なんて美しいお二人……」と感嘆の声を漏らしていた。


(どうしよう?どうしたらいい? お兄様の側にいればまた、周りの殿方に害が及ぶ……それどころか、私自身が殺されてしまうかもしれない。国外脱出……は結婚しかないけれど、ローマより弱い国じゃ駄目。ペザロ伯爵と同じ結果になるのが目に見えてる。嫁ぐなら、フェラーラぐらい大国でないと!)


チャンスは、アルフォンソ様の失踪から丸二年が経ったある日、突然やってきた。


「ルクレツィア、新しい縁談がある。かの軍事大国フェラーラ公国の公子アルフォンソ・デステだ。……だが、受ける場合、お前はローマを離れて嫁ぐことになる。断ろうと思うが良いな?」


お父様の言葉に、隣にいたお兄様がすぐに口を挟む。


「そうですね、父上。ルクレツィアを俺達から引き離すのは可哀想だ。それにナポリの王子と同じ名前の男など、験が悪い。 お前はもうしばらく、俺のそばに――」


「いいえ、お父様。お受けしとうございます」


私の毅然とした態度に、二人が同時に目を見開いた。


「アルフォンソ様がいなくなり早二年。ですが、未だ傷心が癒えません。ローマにはあの方の思い出が満ちていて、ここにいるのは辛いのです……。 もし、フェラーラに嫁げないのなら、私は修道院に入り、終生、外に出ないつもりです」


「しかし……!」


「お兄様」


私は席を立ち、お兄様の前に進み出て、その手をそっと握った。


「私をフェラーラに出してくだされば、きっとお兄様のお役に立てます。私はもう立派な大人のボルジアです。軍事大国フェラーラの宮廷を、私の、ボルジアの虜にしてみせますわ。……お兄様のために」


修道院に引きこもるか、それとも他国にスパイとして乗り込むか。お兄様の脳内で、私を完全に失う恐怖と、ボルジアとしての政治的野心が天秤にかけられ――そして、私の演技が勝利した。


「……よく言った、愛しい娘よ! ならば縁談を進めよう。お前が不自由しないよう、持参金に糸目はつけん。なーに、あちらは名門だが戦争続きで資金も無かろう。お前がより有利に振る舞えるよう活用すると良い」


「ありがとうございます、お父様。お二人の深い愛が、心に染みます」


お父様が感動で涙を浮かべる中、お兄様は「俺のためにフェラーラを虜にする」と私の言葉を都合よく脳内変換し、満足そうに私を見つめていた。


こうして私は、国家予算の何倍もの持参金をひっさげ、お父様お兄様との円満決別に成功した。


目指すは軍事大国フェラーラ。お兄様の魔の手が届かないその場所で、私は愛するアルフォンソ様を必ず見つけ出してみせる。ボルジアの毒婦と呼ばれたって構わない、私の本当の戦いは、ここから始まるのよ!

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