華子の人生
もう70歳になった谷川雄一。
その隣には事実婚の妻である華子が居る。
二人は昭和に出逢い、平成を経て、令和の今、共に生きている。
末子の雄二朗はグループホームに入居し、そこから働きに行っている。
第三セクターの特例子会社として設立された会社である。
そこで働き、日々の生活はグループホームである。
華子は誰よりも多く雄二朗に会いに行っている。
それを雄一も子ども達も喜んでいる。
雄一とは結婚式も挙げていないし、籍も入れていない。
一緒に住む最初の日、華子は子ども達に言った。
「貴方達のお母さんは、ただ一人。
谷川愛子さんだけです。
だから、これからも『お母さん』と貴方達が呼ぶのは愛子さん。
私のことは……今まで通り、華ちゃんと呼んでね。」
「華ちゃん………!」
「華ちゃん……って……いいの?」
「華ちゃん! 華ちゃんは華ちゃん!」
「そうよ。雄二朗君、華ちゃんは華ちゃんよね。」
「華子………本当にそれでいいのかい?」
「だって、私は華ちゃんですからね。」
◇◇◇◇
あれから月日が流れた。
今も子ども達は華子のことを「華ちゃん」と呼んでいる。
そして、孫達も「華ちゃん」と呼んでいる。
孫達から「華ちゃん」と呼ばれた時の華子の笑みが「世界一美しい」と雄一は思っている。
「華子…………何をしている?」
「アルバムを見ていたの。」
「それは………僕と愛子の結婚式の………。」
「ええ、幸せそうだわ。」
「うん、幸せだった。」
「この幸せが永遠に続くはずだったのに………どうして……。」
「華子………。」
「もう、年だから……最期をどう迎えるか考えなくっちゃ、ね。」
「最期か………そうだな。
出来れば、僕の最期は華子に看取って貰いたいな。
先に逝くなよ。」
「ふふふ……それは分からないわ。
だって………それは、神様の領域ですもの。」
「それは、そうだよ。
でもな……僕は、もう妻を看取りたくないんだ。」
「そうね……辛かったのよね。」
「うん、忘れられないんだ。」
「そうよね…………。」
「華子、傍に居てくれよ。これから先も……ずっとだぞ。」
「はい。
あ…………雄一さん、お願いがあるんですけど……。」
「何だ?」
「誠さん、お具合が悪いそうなの。
お見舞いに行こうと思ってるわ。
行ってもいいかしら?」
「何処へ?」
「入院していらっしゃるの。」
「病院へか?」
「ええ。」
「それは個室?」
「さぁ? そこまでは行ってみないと分からないわ。」
「個室は……嫌だな。」
「どうしてですの?」
「二人っきりになるじゃないか。」
「こんな年寄りが二人っきりになっても問題などありませんわ。」
「年寄り!」
「ええ、もう60の坂を越えたおばあちゃんですわ。」
「まぁ、確かにお祖父ちゃんとお祖母ちゃんだけどな。
それでも、二人っきりは駄目だ!」
「誠さんにはお子さんも居らっしゃいませんし、奥様も……。
だから、お見舞いに行かせて下さいまし。
お寂しいと思いますのよ。」
「華子……君の夫は誰なんだ?」
「夫?」
「そうだ、夫は誰だって聞いている。」
「谷川雄一さんです。」
「だったら! 僕の気持ちを考えて!
元夫に二人っきりで会うことを許す夫が居ると思う?」
「お見舞いですのに?」
「氏郷と一緒に行って!」
「お兄様と? それなら、雄一さん、ご一緒に………。」
「僕は………会いたくないから行きたくない。
どうしても見舞いに行きたいなら、氏郷と一緒に行ってくれ。
氏郷には僕から話しておくから、いいね。」
「はい、お兄様と伺います。」
「絶対だよ。」
「はい。」
雄一は愛子との結婚生活の時に見せなかった顔を華子に見せている。
それを氏郷は不思議な思いで見ている。
「雄一がこんなに妬くとは思わなかったなぁ。」
「そんなことないぞ! 君だって嫌なはずだ。」
「病院だろう?
看護師さんも居るし、誰か他の見舞いも受けているかもしれない。
それに、そんなに気になるなら一緒に行けばいいんだ。」
「嫌だ! 見たくない。」
「君ね………愛ちゃんの時、そんなだったか?」
「愛子の時? 分からない。」
「愛ちゃんは仕事で男性社員と二人で営業とか行ってたかもしれないじゃないか。
その時は妬いたのか?」
「分からないなぁ………覚えてないよ。」
「妬いてなかったら………。
愛ちゃんを信頼してたけど、華子は信頼していないってことだな。」
「馬鹿言うな! 華子を信頼していないはず無いじゃないか。」
「そうかぁ………何と言っても、うちの華子だからな。」
「どういう意味だ。」
「頼りないってことだよ。」
「そんなことはない。華ちゃんはしっかりしている。」
「じゃあ、愛ちゃんと同じじゃないか?」
「兎に角、行ってくれよ。頼む。」
「行くよ。父から行くように言われてるからな。」
「そうか! お義父さんが…………。」
「何と言っても父のお気に入りの大崎誠さんだからな。」
「そんなに……? 今も?」
「父や母の具合が悪い時など、直ぐに見舞ってくれてるんだ。
それに、何かにつけて、色々して下さってる。
僕も感謝してるんだ。」
「僕………頑張らないといけないな。」
「?…………じゃあ、僕が雄一の代わりに華子を見張るよ。」
「見張る、って………頼む。」
雄一は華子を心から愛しているが、華子はそれを神様からの贈り物だと思っている。
そして、今も「夢ではないだろうか?」とも思っている。
雄一と氏郷が70歳になった頃、雄一の父は亡くなっており、母は介護が必要だった。
華子が嫁として雄一の母の介護を担った。
勿論、子である雄一と共に………。
氏郷と華子の両親は、90歳を過ぎても矍鑠としており、二人で出掛けることも多く、老後を夫婦で楽しんでいる。
雄一の前妻・愛子の両親は、共に80代で鬼籍に入った。
大崎誠の両親は、父が80代で、母は90歳で鬼籍に入った。
そして、雄一と華子の二人は共に白髪の生えるまで仲良く暮らした。
雄一が望むとおりに先に亡くなったのは雄一だった。
雄一を看取った後の華子は、大崎誠と茶飲み友達として、たまに会うようになった。
大崎誠の最期を看取ったのも華子だった。
大崎誠から「最期の願い」と言われ「傍に居て欲しい」と懇願されたからだ。
華子は一番最後にこの世を去った。
やり直しの人生を三度歩んだ華子。
その三度の中で一番長い時を過ごし、その人生を終えた。
華子は、その命が潰える少し前に呟いた。
「色々あったわ。
哀しい事、寂しい事、嬉しい事……。
色々なことが………罪も犯したわ。
愚かしい私が犯した罪。
私の罪……犯した罪は……どんなに悔やんでも……反省しても……。
消えはしないの。
償っても、償っても……消えないの。
それが罪に対する罰なのだわ。」
「華ちゃん?」
「雄一さん……愛子さん………。
お兄様……。」
「華ちゃん?」
「誠さん………和宏さん……孝三郎さん……。」
「華ちゃん?」 ⦅誰? 誠さん以外の人、知らないわ。⦆
「あぁ………さっちゃん?」
「華ちゃん!」
「もう! 心配させないでよね。」
「……ごめんなさい。」
「………ありがとう。」
「どういたしまして。長年の友達じゃないの。」
「………ありがとう………。」
「何が?」
「………友達になってくれて、ありがとう。」
「華ちゃん………お礼を言うのは、こっちだよ。
長生きしたわね。私達。」
「……う………ん。」
「華ちゃん? 寝たの? 帰るわね。」
友達の幸代が帰り、病室に一人になってから華子の容態が急変した。
三度も人生を歩んだ華子が、その命を終えた瞬間。
その時の華子は笑みを湛えているように見えた。
そして、時間を遡った人生のやり直しは、もう起きなかった。




