雄一との永遠の別れ
雄一が50歳を過ぎたある日、身体に異変が起きた。
毎年、雄一は欠かさず受けていた検診があった。
それは胃がん検診だった。
雄一の父親が胃がんにより48歳で亡くなったからだ。
注意して早期発見をしていた雄一。
早期発見をするのは、妻の私の為ではなかった。
母親の為に受けていた。
母親を泣かせたくなかったからだ。
「親より先に死ぬのは親不孝」という言葉があるからだ。
定期的に胃がん検診を受けていたのに……雄一は末期の胃がんになってしまった。
定期的に受けていたのに……見つからなかった。
4型進行胃がんと言う病名でステージ4。
余命1年という診断だった。
腫瘤や潰瘍が見られる一般的な胃がんでは、内視鏡検査やX線検査で病変を確認することが出来るのに、雄一が罹った4型進行胃がんは肉眼で確認できる所見がほとんど見られないため、内視鏡などの検査で見つけることは困難であり、これが検診で発見できなかった理由であると聞いた。
私は医師からの説明を受けた後、立ち上がることさえ出来なかった。
そのまま倒れてしまった。
気が付くと、私は病院の外来のベッドで横になっていた。
傍には雄一が居た。
「大丈夫か?」
「………あなた………。」
私は泣いてしまって言葉すら出なかった。
雄一は私に「母に電話を架けて来るから、このまま待ってて。」と言って出て行った。
私は⦅もしかしたら、榊原愛子に電話するの?⦆と疑い、起き上がって雄一の後を追い掛けた。
雄一は本当に母親に電話を架けていた。
「母さん……母さん、ごめん………。」
「うん、余命宣告受けた……1年………親不孝でごめん。」
何度も「ごめん。」を繰り返していた。
私は嫉妬に駆られて疑ったことを恥じた。
雄一に近づけなかった。
電話を終えた雄一が振り返った。
私が居ることに驚いていた。
涙で頬を濡らしている雄一を私は初めて見た。
雄一は泣いている私に近づいて「大丈夫だよ。」と言った。
余命宣告を受けた雄一が私の肩を抱き歩いて車に乗った。
最後の日が刻一刻と近づく。
私は雄一を失いたくなかった。
別れを受け入れられない。
雄一とは本当の夫婦になれないまま最後の日を迎えるのだと思うと、私は悲しかった。
雄一の子を産みたかった。
雄一が終末期緩和ケア病棟に入院した時、雄一の身体は痩せ細ってしまっていた。
兄は私が居ない間に雄一と彼女を会わせた。
「雄一……連れて来たよ。」
「雄一さん!」
「愛子?………愛子!」
二人は言葉を交わす前に抱き合っていた。
二人がどんな話をしたのか私は分からない。
雄一の病室の前で兄が立っていた。
私は兄に「入らないの?}と聞くと、兄は「今、榊原愛子さんと会ってる。」と言い、私を病室へ入れないように、雄一の病室から遠ざける為に緩和ケア病棟の外へ連れ出した。
兄に腕を引っ張られた私は抵抗したが、その抵抗も空しく病棟の外へ、病院内の庭園へ連れて行かれた。
「お兄様! どうして、あの人を連れて来たの!」
「最後だ。雄一のことも考えてやれ。
君は自分の気持ちだけを雄一に押し付けた。
榊原愛子さんにも押し付けた。
二人を不幸にしたのは、華子、君だ。
雄一の人生の最後に愛する女性に会わせてやれ。
婚約を解消してから一度も会っていない。
華子への夫婦として雄一は……華子の傍に居続けた。
頼む、華子。
少しは雄一のことを思い遣ってくれないか。
最期なんだ……もう生きては会えないんだから……。」
私は兄の前で泣いた。
声を出して泣いた。
兄の手を振り切って私は、雄一の病室へ向かった。
泣いている声が聞こえた。
「雄一さん………。」
「愛子………愛子………ごめん………。」
「ううん、謝らないで………あなたとの日々は私の宝物よ。
大切な青春の………あなたを愛した日々……幸せだったわ。
雄一さん…………雄一さん……ありがとう。」
「愛子……愛子…………愛してる。今も……ずっと……君だけを……。」
もう聞きたくなかった。
こんなにも無防備で弱々しい姿を曝け出した雄一。
私は初めて知った。
榊原愛子の前では素顔で居られるのだ。雄一は………。
その時、兄の手が私の肩を捕らえた。
そして、私に小さな声で「外で待って居よう。いいね。」と言った。
私は兄に付いて病室から離れた。
「お兄様………家まで送って下さい。」
「帰るのか?」
「………ええ………。」
「分かった。」
その日、兄の車に乗って私は家に帰った。
雄一の部屋に入って、雄一のベッドで私は泣いた。
その日から雄一の最期の日まで私は雄一のベッドで寝た。
私の部屋のベッドでは寝なかった。
雄一の最期の日。
私に病棟から電話が架かって来た。
それは早朝だった。
「急変されました。
直ぐにお越し下さい。」
兄に電話してから、私は急いで病棟へ行った。
間に合わなかった。
私が到着してから後に、雄一の母親が入って来た。
兄が両親と雄一の母親に連絡をしてくれていた。
泣き崩れて立ち上がれない雄一の母親。
兄が雄一の母親の身体を支えた。
雄一の母親の小さな声が病室に居る人全てに届いた。
「親より先に死んで………この……親不孝者……。
どうして……親より先に……逝ったの………雄一………。」
雄一の母親の嗚咽は続いた。
病室の外で榊原愛子が泣いていたことを私は知らなかった。
兄が榊原愛子に伝えていたのだった。
私達が病室を出る時には愛子は、病院の外で泣いて雄一が病院を出るのを見送ったそうだ。
◇◇◇◇
雄一の通夜、告別式を経ても、私は泣いてばかりで何も出来なかった。
全て両親と兄夫婦が私の代わりにしてくれた。
司法書士に委ねてくれたのも両親と兄だった。
納骨は雄一の実家のお墓。
雄一の最後の願いだった。
「父と同じ墓に入らせてくれないか。
母が気兼ねなく墓参り出来る。
頼む。
僕が君に頼んだことは今まで無かったと思う。
これだけはお願いだ。
僕の願いを叶えてくれ。」
私は雄一が私の両親や兄夫婦の前での遺言と思える言葉を守った。
納骨の翌日、榊原愛子が雄一の母親と墓参りしていた。
雄一の母親にとって息子の嫁は榊原愛子だったのだと私は思う。
私自身が最期の日を迎える前になって、やっと分かったことだった。
雄一は死んでから愛子に会えるようになったのだ。
二人がお墓で何を話しているのか……それは二人にしか分からない。
私が実家のお墓に入ることを選んだのは、雄一と愛子の逢瀬を見たくなかったからかもしれない。
◇◇◇◇
そして………私は最期の日を迎えた。
雄一は私を迎えに来てはくれなかった。
死んでから私は漸く雄一の哀しい心を知った。
最期の瞬間、私は願った。
⦅もう一度、やり直せるなら……雄一の人生に邪魔をしないわ。
別の人生を私は生きたい。
もう愛されない人生は……嫌………嫌よ。⦆




