最初の人生の美穂子
美穂子は見たくもないものを次々に見せられて幼子のように声を上げて泣いている。
「もう嫌っ! 見たくない!」と泣きながら叫び続けている。
「其方は見なければならぬ。
其方の過ちを知る為に、此度こそは見せる。」
「嫌…………もう見たくない。」
「其方がしてきたことを見れば良い。」
泣いても避けんでも閉じた美穂子の眼に湖面に映し出された光景が見えた。
「最初の其方の姿じゃ。」
「覚えているから見なくてもいいわ。」
「見よ。」
「止めてよっ!」
◇◇◇◇
美穂子は中条昭と二人でホテルに居る。
中条昭がベッドから起き出て服を着始めた。
美穂子は「もう帰るの?」と哀しく聞いた。
昭は美穂子の言葉に何も返さず、「また連絡する。」とだけ言って部屋を出て行った。
美穂子は泣いた。
何時からだろうか……昭を愛し始めたのは………。
初めは亡き父親を知っている人の一人だった。
ただそれだけだったのに、何時しか心の奥深くに昭への想いが募っていった。
「父親はこんな感じなのかな?」と父親を慕う気持ちだったように思う。
それが恋慕の情になったのは何時か思い出せない。
昭の家を見に言ったことも一度では無かった。
今日も、ホテルを出て行った昭の後を美穂子は追い駆けた。
昭の後姿を見つけてからは、気付かれないように少し離れて追っている。
家に着いた昭は玄関を出て来た妻に、美穂子には見せない笑みを見せていた。
「ただいま。」
「お帰りなさい。」
二人が家の中に入った。
それを見ただけで美穂子は泣き崩れた。
何度見ても同じ姿を見る。
そして、美穂子は泣き崩れて、何処をどう帰って来たのか分からなかった。
何度もそれを繰り返していた。
その日も、頭の中は空っぽのように何も考えられずに涙だけが流れていた。
車のクラクションを聞いたような気がする。
そして、気が付くと病院のベッドの上だった。
「気が付きましたか?
頭が痛いとかありませんか?」
「……………いえ。」
「先生を呼んできますね。
それから……ご家族がいらっしゃらないと聞いています。」
「あ………はい。
あの……誰から聞いたんですか?」
「中井さんからです。
ご近所の方ですよね。」
「はい、そうです。」
「あの、中井のおじさんですか? おばさん?」
「お二人です。」
「お礼、言わなくっちゃ……。
あの、後で電話を架けてもいいですか?」
「それも併せて、先ずは先生に見て頂きましょうね。」
「あ……はい。」
声が聞こえて来た。
「思い出したか?」
「覚えてるわ。私を庇って……良太が死んだのよ。」
「そうだ。中井良太の運命が其方の交通事故で変わってしまったのじゃ。
だから、余は中井良太に人生をやり直させた。
そして、中井良太の人生に関わる人たちが全てやり直したのじゃ。」
「でも、私は悪くないわ。
勝手に良太が飛び込んできたのよ。」
「其方を愛していたからじゃ。
その良太の死を其方は今のように罵倒した。
覚えておるか?」
「罵倒? してないわよ。」
湖面に中井良太の葬儀が映し出された。
中井良太の家族だけではなく、勤務先の社長も社員達も、近所の人達も泣いている。
その葬儀に美穂子は参列しなかった。
美穂子の怪我は掠り傷程度だったので、直ぐに退院した。
退院した美穂子に昭から連絡があった。
電話で昭の声を聞いただけで、良太の葬儀には行かなかった。
昭に会いに行ったのだ。
そして、香典さえも用意しなかった。
中井良太と美穂子は同じ会社に勤めていた。
勤務先の社員たちは美穂子に言った。
「なんで昨日良太の葬儀に来なかったんだ?」
「用事があったから………。」
「行きにくいのは分かるけど、せめて香典くらい誰かに頼めたでしょう?」
「香典? しなきゃダメ?」
「美穂ちゃん……それは、ないだろう。」
「そうよ、酷いわ。」
「助けて貰ったのに、香典も用意する気が無かったのかよ。」
「なんで? 助けてくれって言ったこと無いわ。」
「美穂ちゃん…………。」
「勝手に助けて、勝手に死んだのよ。違う?」
「なんてことを………。」
「良太が勝手に飛び出したこと、私、責任ないわよ。」
「…………良太の気持ちを………。」
「気持ち? 知らないわよ。
今日も私、忙しいので! 帰ります。」
「相手にするな! こんな情が無い人間!」
「もう何も無いよね。
帰るわ。さようなら。」
「なんて娘だ…………。」
美穂子に凛として涼しげな声が言う。
「其方はこの後も中井家には行かなかった。
そうじゃな。」
「行かなかったわ。」
「其方は中井良太の家族に何と言ったか覚えておるか?」
「覚えてるわよ。
第一……会いに行かなかったもの、一度もね。」
「会いに行かなかっただけではなかろう。」
「どうだったかしら。」
「中井良太の母が頭を下げて、其方に墓前に来て欲しいと頼んだ。
その時に其方は言ったよのう。
『勝手に死んだ。』『私には関係ない。』
そう言って、其方は中条昭が待つホテルへ急いだ。
別れ話が待っていたホテルへ………。」
「そうよ!」
「その後、其方は荒れた。
荒れて、酔った身体で、あろうことか中井良太の家に向かった。
中井良太の両親は喜んで招き入れた。
其方が『死にたかった私を生かしたあんたが憎い!』と言った。
そんなことを言った其方を中井良太の母は抱き締めて慰めた。
その良太の母を、其方は叩き突き飛ばした。
其方は其方の心しか見えなんだ。」
「それの何処が過ちだと言うの!」
「過ちであるぞ。己の心しか見ようとせぬのは……。」
美穂子には何が過ちかが理解出来ない様子で憤っている。




