中条昭と妻・光子
美穂子の眼に尚も湖面に映し出された光景が見えた。
それは美穂子が死んだ今も愛している中条昭だった。
その向かいに座っているのが中条昭の妻・光子だ。
「あんた、これに署名してくれるわよね。」
「何だ! なんで離婚届………何故だっ!」
「外に女を作って子どもを産ませて離婚にならないって思ってたの?」
「そ………知ってたのか? お前………。」
「知ってたわ。それも藤井さんのお嬢さんに手を出した。
息子と同じ年頃の娘に!
あんた! 手を出したのよね。」
「光子………もう終わったんだ。」
「終わった? あんた……どんな終わり方をしたのよ。
まさか…………あんた、捨てたの?」
「…………俺は……お前だけだ。」
「子を産ませたのに、何を言ってるの?
寝言は寝てから言ってよね。」
「好きになった訳じゃない。」
「じゃあ、何で手を出したのよっ!」
「それは………だな………会社の経営権を藤井美穂子に……戻したかったからだ。
子どもを……宗助の血を引く子どもを大崎工業の社長にしたかったんだ。」
「何? それ?」
「ほんとだぞ。本当にそう願って……ただけなんだ。」
「あんた、秀吉にでもなったつもり?」
「秀吉?」
「まるで清須会議よね。
織田信長の長男の息子を後継者に!って言って、大人ばかりの所に幼い子を連れ
て来た秀吉。
秀吉の真似?」
「それは、だな………そんなつもりじゃなかったんだ。」
「どんなつもりでも、あんたは私を裏切ったのよ。」
「光子!」
「結婚した時、あんた言ったわよね。」
「み……みつこ……。」
「忘れたとは言わせないわ。」
「それは………。」
「『お前が俺にとって最初で最後の女だ。』
そう言ったわよね。」
「………言った。」
「『お前だけだ。』って言ったわよね。」
「………言った。」
「それなのに……あんたは外に女を作って子どもを産ませた。」
「だから、それは」
「弁解しないで! 作ったでしょう。
あんたは妻を蔑ろにしたのよ。」
「俺は! お前を社長夫人にしたかったんだ。」
「社長夫人~! 誰が頼んだのよ!
私はね、工場長の奥さん程度が良かったのよ。
それが専務夫人とかに成っちゃって……嫌で仕方なかったわ。」
「嘘だろう………。」
「本音よ。誰がこんな下町で育った人間なのに……お上品に育ってないの。
だ・か・ら! 無理っ!」
「本当なのか?」
「こんなこと嘘だと思う?」
「そうだな………そうだ、お前は余り欲が無かった。」
「………あんたが会長? 信じられないわ。
分不相応よ! あんたには………。
息子を社長にしたのも間違いだわ。」
「そうだな………だから辞めさせられた。」
「そうなの?」
「そうだ………だから、お前まで失いたくない。」
「勝手ね。」
「そうだ、俺は勝手だ。
頼む、傍に居てくれ。」
「藤井さんのお嬢さん、亡くなったのよね。」
「うん。」
「あんたとの間の子も………。」
「うん。」
「罪深い男だね、あんた…………。」
「うん。」
「これ、書いておいてよね。」
「離婚したくない!」
「兎に角、書いておいて。
出すかどうかは、これからの……あんたを見てから決めるわ。」
「光子!」
「何位泣いてるのよ。泣きたいのは、あんたじゃないわ。」
「うん……そうだな………。」
「罪深い事、忘れないでよね。償わなくっちゃいけないってことも……。」
「分かった。傍に居てくれ。俺を……お前が正してくれ。」
「………………私……泣いてなかったと思う?」
「……………ごめん。」
「社長に成ったり、会長に成ったりして……離婚の話を出せなかったじゃないの。
早く出したかったのに………。」
「うん…………本当にごめん。」
「お墓参りに行こう。中井さんのお墓に……謝ろう。二人で………。」
「光子…………ありがとう。」
「可哀想なことしたわよね。あんた………幼い子まで連れて逝かせたのは………。
あんたよ………。」
「うん…………。」
「可哀想な……ことに………追い詰めたのは、あんたよ。」
「…………うん。」
「明日、行こう。」
「…………うん、光子、ありがとう。」
「もう……こんなこと御免だわ。」
「もう絶対に……お前を傷つけない。」
「その言葉、忘れないで。」
「……うん、忘れない。」
中条昭は妻の光子と中井家の墓前に手を合わせて謝罪をした。
美穂子は幼い子のように大声で泣き続けた。
愛した男性にとって大切な女性は妻だと見せつけられた湖面に映し出された光景だった。




