大崎工業の行方
凛とした涼しげな声が美穂子に話し掛けた。
「まだ終わってはおらぬ。」
「もう、いいわ。」
「何故………。」
「だって、面白くないから……。
あの女がいい思いをするのは、絶対に見たくない。」
「皆が其方と同じではない。
人の数だけ人生があるのじゃ。
見て見よ。」
「何よ……。」
美穂子が湖面を覗き込むと、そこに大崎誠の姿が見えた。
高嶋華子と出逢ったのだ。
「華子………元気だったか?」
「ええ………大崎さんもお元気で居らっしゃいましたか?」
「大崎さん……か………。」
「どうか、なさいました?」
「否、何でも無い。」
「また、ご一緒にお仕事をされていると父から聞きました。」
「うん、父と一緒に仕事をしている。」
「新しく会社を立ち上げられて……流石は大崎様だと父は申しておりました。」
「そうか……お義父さんから聞いたんだね。」
「はい。」
「あ…………済まない。
お義父さんと呼んで……もう、そんな風に呼べない立場なのに……済まない。」
「いいえ、父は……今も大崎さんのことを大切に思い案じております。」
「あんなことをした僕のことを?」
「………気に入っているのでございます。
父は大崎さんのことを………。
あの時は、色々ありましたけれども、今、お元気でお暮しなら……。
良かったと思っております。」
「華子! 僕は………僕は……離婚したくなかった。」
「……………でも………典子さんのことを愛して」
「愛したことは無い! 一瞬でも……なかった。
罪悪感……だったんだ。」
「罪悪感?」
「うん、罪悪感と……それから…………。
償わねばならないという責任感で僕は雁字搦めになっていた。
だから、中井典子さんとは結婚していない。
信じては貰えないだろうけど……本当に男女の仲になったことは無い。
彼女は本当の自分を見つけて、もう結婚したよ。
僕は見守る兄・中井良太さんの代わりを担っただけ……それだけだ。
………僕は、君から別れ話が出た時、もう無理なんだと諦めた。
君を放っておいて、中井家のことばかりを気に掛けていた。
仕事のことも、そうだ。
退職を決めた時、僕は……君に、妻に相談すらしなかった。
酷い夫だった。
本当に済まなかった。」
「あなた………。」
「華子、今、君は幸せか?」
「ええ、幸せですわ。」
「そうか。」
「あなたは? 今、幸せ?」
「健康だから、幸せかな?
父が立ち上げた会社も何とか経営出来ているし……。
僕も今度は会社の立ち上げから働いている。
だから、今度は自信を持てた。」
「良かったわ、本当に良かったわ。」
「あれからの大崎工業のことは聞いた?」
「ええ、それとなく………兄から………。」
「そうか………。
あれから、大崎工業の経営を担った中条さんは父と同じことをした。
御子息を後継者にしたんだ。
中条さんの御子息は、全く学ぶ機会も得られないまま社長になった。
中条さん自らは会長職に就いた。
傍に居て指導しながら……そう思っていたんだろうね。
だが………仕事をしながら学ぶのは時間が掛かりすぎたんだ。
その結果、株主総会で追われたんだ。僕の父のように………。」
「そうでしたか……そこまでは兄から聞いておりませんでした。
中条昭さんが取締役を退いたとしか聞いておりませんでした。
………あなたは……大丈夫?」
「何が?」
「その話を聞いて、辛くなった?」
「華子………ありがとう……ありがとう……華子……。
僕は大丈夫だよ。」
「そう、良かったわ。
…………ところで………。
あなた……今日は偶然ではありませんわね。」
「ふっ…………バレたか………そうだよ。
僕が氏郷君に頼んだんだ。」
「まぁ………。」
「………僕は年下の氏郷君をお義兄さんと呼ばなくて良くなった。
離婚したから……。」
「そうね、本当にそうだわ。」
「華子、また会えるかい?」
「ええ、また、いつか、そんな日が来れば嬉しいわ。」
「きっと、会おう。」
「ええ………あなた、身体を大切にしてね。」
「うん。」
「無理はしないで。」
「うん………華子も………。」
「ありがとう。」
湖面に映し出された大崎誠の言葉に美穂子は驚いた。
そして叫んでいた。泣くように………。
「なんでよっ! なんで……昭さんが失脚しないといけないの!」
「已むを得ぬであろう。
結局は己のことしか考えておらなんだからのう。
上に立つ者の器では無かったのじゃ。
其方との間に産まれた子が居なくとも、息子は居たからのう。
元々、其方の息子を社長にする気が無かったやもしれん。」
「それは……学が亡くなったから仕方なくよ。
昭さんは! 昭さんは私の学を社長にするためにしてくれたことよ。」
「其方という人間は、愚かな………。」
「何ですってぇ―――っ!」
「誠に眼を開けて見よ。湖面を見よ。
あの人間が其方を大切にしたかどうかを見よ。」
「…………………昭さん……私には昭さんしか……居ないのよ。」
◇◇◇◇
湖面に映し出された中条昭は焦燥している様子だ。
息子を前にして言葉も無くしている。
「父さん……ごめん。俺は……無理だった。」
「……………もう、いい。
疲れただろう……早く休みなさい。」
「……うん、父さん。」
「うん?」
「……ありがとう。最後まで俺の味方をしてくれて……。」
「何を言う。当然だ! お前は俺のたった一人の息子だからな。」
「けど……本当は……本当は…………。
あの女が産んだ子を社長の座に据え置くつもりだったんだろう?
あの子が死んだから……俺にしたんだろう。」
「それは違うぞ。
最初からお前を社長にしたくて大崎孝之と誠を追い出した。
あれは、そのために利用した女が産んだ子というだけだ。」
「そうなんだ。」
「母さんに辛い想いをさせた。」
「うん、寝たり起きたりになったから……あれから……。」
「仕事も、取締役という役職も、全て失くした。
でもな、俺にとっては、お前と母さんが居ればいい。」
「父さん………。」
「俺も直ぐに帰るから、帰ったら母さんの傍に居てくれ。頼む。」
「うん! 分かった。」
「俺と母さんにとって、お前は……やっと授かった我が子。
無理をさせて済まなかった。」
「ううん、俺が頼りなかったから…………父さん、ごめんな。」
「お前が……俺に謝ることなど何一つ無い。」
「……うん。」
「母さんを頼む。傍に居てやってくれ。」
「うん、帰るよ。」
美穂子の泣き声が響き渡った。
「嘘よぉ―――っ!
………お願い、昭さん。嘘って言って……お願いだから………。
うわぁぁぁぁぁ。」
それは、哀れなほどに………。




