中井典子
泣き喚きながら、美穂子は学のことを聞かなかった。
「其方、子どものことが気にならないのか?」
「もう死んだんでしょう。」
「………何度繰り返しても、愛する男の子であるのにも関わらず……。
気にしたことが其方は無いな。一度として……。」
「何よっ! 私と同じなんでしょう。生きていたら気になる。
でも、殺されたんじゃ………気にしても仕方ないわよ。」
「子どもは、もう既に他の人間の元に産まれておる。」
「えっ?」
「今度こそは、其方の子として生まれ出でることは無い。」
「それって、やり直してるの?」
「そうじゃ。」
「じゃあ! 私ももう一度やり直させてよっ!」
「其方、頼む言葉を全く知らぬのじゃな。」
「あ………やり直させて下さい。お願いします。」
「………何度も同じことを言う。」
「えっ?」
「忘れたか……其方は何度も同じことを言って、また同じ人生を歩んだ。」
「そうなの? じゃあ、私が頼んだからやり直せたの?」
「それは違う。」
「じゃあ、なんで?」
「余がやり直させたかったのは、其方ではない。
中井良太である。」
「良太!」
「あのような最後を迎えさせたくなかった。
だが、余は間違っていた。
中井良太を同じ親の元に産まれさせた。
同じ親の元に産まさせた故に同じ人生を歩んだのじゃ。
今度は中井良太と中井学を別の親の元に産まれさせた。
其方とは巡り逢わぬ人生を歩むであろう。」
「私と学を殺したのに!」
「其方が良太を人殺しにさせたのじゃ。」
「私が? 変なこと言わないでよ。」
「其方が中条昭と深い仲にならなければ、良太は別の人生を歩めたであろう。
全ては其方が中井良太に無理心中への道を作ったのじゃ。」
「そんな………私のせいだと言うの?」
「其方と中条昭じゃ。」
「私と昭さん…………何も悪い事してないわ。」
「そう思うのであれば、そう思っておれば良い。」
「………そうだ! 大崎誠は、どうしてるの?
あの女………高嶋華子は離婚されたんでしょう。
嬉しい………面白いじゃないの。」
「見てみるか? 大崎誠の今までを……。」
「ええ、見てやるわ。」
美穂子は涙を拭い、湖面を覗き見た。
湖面には大崎華子の前に、一人の若い女性の姿が見えた。
女性は中井良太の妹・中井典子だ。
「お願いします。
誠さんと離婚して下さい。」
「…………あの……何があったのか分からないのですが……。」
「ずっと、帰ってませんよね。誠さん。」
「ええ、帰っていません。」
「ずっと私と一緒に居ます。」
「中井さんと…………?」
「ええ、うちの家のこと凄く気に掛けてくれて……私の就職もコネで入れてくれま
した。
誠さんがしてくれたんです。
だから………私……好きになりました。
他の誰よりも私は誠さんを愛しています。
だから、離婚して下さい。お願いします。」
⦅必死になって……この子……。私もそうだったわ。最初の人生で……。⦆
「お願いします。私、もう誠さんが居ない人生は考えられないんです。」
「…………離婚は夫婦で話し合って決めるものです。」
「してくれないんですかっ!
愛されていないのに……縋りつくんですか?
大崎工業の御曹司の妻の座が、そんなに大切ですか?
お見合いですよね。恋愛じゃない。」
「もう一度、説明しますね。
離婚の話は私が誠さんと……夫と話しあって決めるものです。
私が誠さんと話し合わずに、勝手に離婚出来ません。
夫婦で話し合う時間を下さい。」
「離婚の話をしてくれるのですか?」
「はい。」
理解出来たのか定かではないが、典子は誠の家を後にした。
典子が誠に話をした。
「奥さんに会って来た。」「離婚して欲しいと頼んだ。」「奥さんは話し合う、と言った。」と、典子は誠に話した。
誠は驚いた。
離婚など考えても居なかったからだ。
典子の自分への想いには気付いていたが、気付いていない振りをしていた。
その結果、典子は勝手に妻に離婚の話をしに行ったのだ。
慌てて誠は家に帰った。
退職したことも妻に話していなかった。
全て事後報告になるが、華子は理解してくれると思っていた。
大慌てで玄関を開けて家に入った。
「華子! 華子! 居るか? 華子!」
「お帰りなさい、誠さん。」
「華子!」
華子を2ヶ月ぶりで誠は抱き締めた。
妻に会うのが2ヶ月ぶりだと、誠は分かっていなかった。
「あなた……お久し振りですわね。」
「久し振り?」
「ええ、2ヶ月以上も会えなかったわ。夫婦なのに……。」
「2ヶ月! そうか、そんなに経ってたんだな。」
「あなた、お夕飯は? 終えられてますか?」
「否、まだだ。」
「有り合わせですが、用意しますわ。」
「頼む。」
誠は2ヶ月ぶりで妻の手料理を食べた。
夕食を終えた後で、華子は紅茶を用意した。
リビングのテーブルに紅茶を置いた。
以前と変わらぬ妻の様子に誠は安堵した。
「急にお帰りになられたのは、中井典子さんとのことですか?」
「あぁ………華子。
あの娘が言ったことは気にしないでくれ。」
「離婚のこと……気にしないで、って?」
「僕は離婚する気は全くないんだ。」
「でも、帰って来てくれないわ。あなた………。」
「それは、色々あるんだ。
中井さんの奥さんの具合が悪くて、何とか専門医に見て貰おうと探している。
他にも中井さんの再就職も探しているんだ。
家も別の所に住んだ方が良いと思ってね。
その算段もしている。
全て終わったら、僕は家に戻るから……。」
「会社は? 退職を考えているの? 前のままなの?」
「うん、僕では大崎工業を発展させられないと思うんだ。
維持するのも困難かもしれない。
それに、あんなことがあったんだ。
僕は償えない。」
「償うなら、退職しては無理なのでは?」
「経済的にはそうだが……心は……会社の後継者は誰か他に適任者がいると思う。
僕は中井さんのことで目処が立ったら退職したいと思っている。
退職の前に再就職先を探さないといけないが……付いて来てほしい。」
「本気?」
「うん、本気だ。」
「………あなた………。」
「うん?」
「典子さん、思い詰めていらっしゃるわ。」
「……そう……か………。
でも、目処が立ったら、もう離れるから安心してくれないか。」
「あなた、毎日、何処で過ごされていましたの?」
「何処で………。」
「ええ、一日もお帰りはなく……会社から何処にお帰りになってらっしゃったの?
この家には帰りたくなかったの?」
「馬鹿なっ! 帰りたくないなど思ったことは無い。
信じてくれないか……信じられないかもしれないが………。
………僕は中井家で過ごす時間は多かったけれども、泊まっていない。
本当だ。泊まっていない。」
「………………あなた、何故、電話の一本も下さらなかったの?
毎日、電話して欲しいなど言わないわ。
でも、今週は家に帰られないなら、そう教えて欲しかった。」
「済まない、本当に済まない。
気付くと、いつも午後9時を過ぎていて……。」
「会社が忙しいのは知っています。
会社を出てから、何処へ行かれてたの? 毎日……。」
「知人を巡っていた。
中井さんの再就職が困難で……それと、奥さんの病院を……。
大学や高校の時の友人、知人に連絡を取り、話をしていた。」
「そう………私は何も知らせて貰ってない妻なのね。」
「華子………。」
「………典子さんは……典子さんは、あなたの毎日の行動を御存知だったの?
あなたは伝えていらしたの?」
「………済まない。典子さん個人ではなく、中井さんに伝えていた。」
「典子さんは御存知だったのね。妻が知らないことを………。」
「典子ちゃんだけに言ったんじゃない!」
「典子ちゃん………そんな風に呼んでらっしゃるのね。」
「華子、僕を信じて付いて来てくれ!」
「……そうよね、お見合いで結婚しただけですものね。」
「えっ?」
「恋愛じゃないわ。私達、恋愛結婚じゃないわ。」
「見合いは出逢いの一つだよ。」
「愛して愛されて結婚した訳じゃないわ。」
「華子、見合いでも僕らは同じ時間を共有して生きて来た。」
「過去は……でも、今は共有してくれていないわ。」
「それは、僕が悪い。本当に済まなかった。」
「このまま……夫婦で居られるかしら?」
「どういう意味だ!」
「典子さんのこと、愛し始めていらっしゃる。」
「華子………。」
「気付かない振りをしているご自分に気付いてないのですか?」
「そんな……そんなことは、ないよ。」
「ご自分のお気持ちに蓋をなさらないで……。」
「華子………。」
「離婚しましょう。」
「華子!」
「あなたが気付いたら……直ぐにでも……。
典子さんを待たせたらいけないわ。」
「華子……。」
「今日は、どうなさいますの?
中井さんのお宅へ行かれますの?」
「行かない! ここが僕の家だ!」
それから、二人は何度も話し合った。
その都度、典子が入って来た。
典子の情熱に引き摺られるように誠は華子と離婚した。
誠と華子には無かった恋愛という情熱に………。




