中井良太
父が興信所に依頼して分かった事実は、中井美穂子の父親の会社を誠の父が盗ったのではないかということだった。
登記などが何時、どんな風に移転したのか定かではない。
それは大崎誠の父でなければ分からぬこと。
父から見れば「藤井宗助は技術者として優れているが、経営者としては疑問符が付く。」そうで、「大崎孝之は技術者ではなく経営者だ。」ということだ。
だから、有限会社だった藤井製作所を東証一部上場の企業に成長させることが出来た。
大崎孝之が藤井宗助の会社を奪ったのが事実だという証拠は無い。
よしんば、事実であったとしても、藤井宗助の経営力で果たして東証一部上場の企業まで発展させることが出来たかと問われれば、父は迷うことなく「否!」と言うだろう。
中井美穂子に誠はどう対処するのかが不明だ。
ただ華子と離婚はしないと明言した。
誠が退院し高嶋家にやって来て中井美穂子のことを話したその日、誠は高嶋の家に泊まった。
泊まるように父も母も用意していた。
退院してい自宅に帰らず高嶋家に来た誠を自宅へ帰すのは忍びないと思ったのだ。
身体のことを考えれば当然だ。
誠と華子は部屋を別にした。
誠は不服そうだったが、華子が拒んだ。
華子の心は揺れているように思った。
元々、父が決めた縁談であり、心を占めていたのは谷川雄一だった。
今の華子の心の中に居るのは大崎誠であって欲しいと、僕は思っている。
だからこそ、華子は同じ部屋を拒んだのだと僕は思いたい。
誠の身体のことを考えて、否、違う。
誠の身体のことは当然考え、尚も華子の心の中に嫉妬が僅かでも芽生えていれば同じ部屋では過ごせない――そうであって欲しいと僕は願った。
◇◇◇◇
父は中井良太を料亭に招いた。
興信所は依頼があって調査していることを明かす。
父の会社、そして父の名で調査をしたのだ。
聞かれた誰もが「中井良太を大きな会社が調査している。それは良太が引き抜かれるからだ。」と喜んだという。
それで、「中井良太はとても優しく、いい子だ。」と誰もが言い、聞いてもいないことまで答えたという。
良太が勤めている会社は町の工場だ。
零細企業である。
妻の美穂子の父の会社と同じ有限会社。
株式会社で東証一部上場の会社が調査しているということは、良太の周囲に人から見れば「喜ぶべきこと」だ。
だから、良太を父の会社名で呼び出すと、良太は「美穂子のこと」とは無関係だと思ったようだ。
周囲から「履歴書を持参して!」と言われ、「良かったねぇ~。」と涙声で言われた良太は心から喜んだ。
それを会って直ぐに履歴書を出しながら涙声で話す良太を前にして、父は言葉を失くした。
同席すると言った僕は隣の部屋に待機していた。
その部屋には母も、誠も、華子も居て、父から声が掛かるのを待っていた。
「本当にありがとうございます。
俺、あ………済みません。
僕の履歴書です。」
「履歴書……持参されたのですね。」
「はい! 父も、母も、妻も……隣近所のおじさんも、おばさんも……。
親戚も……凄く喜んでくれて………。
本当に……本当にありがとうございます。
これで、家族の暮らしが楽になります。」
「……………中井良太さん。」
「はい。」
「申し訳ない。」
「は?」
「今日は君の就職の話では無いのだ。」
「就職の話ではない………?」
「………君の就職の話で呼んだのではないのだよ。」
「でも、俺のこと………興信所に調べさせたんですよね。」
「はい、そうです。私が調査を依頼しましたが、それは就職ではありません。」
「じゃあ…………じゃあ、なんで……なんでですか?」
「君の家族のことで調べました。」
「俺の家族? 何も悪い事はしていません!
親父もお袋も……親戚も……何も悪い事はしていません。
貧しいけれども真面目に生きて来ました。
何も悪い事はしていません。」
「そうです。何も悪い事はしておられません。」
「だったら、何故なんですか!」
「君の細君のことなんですが、ね。」
「美穂子………美穂子は何も関係ないですよね。」
「否、それが私の娘と少し関係があるのです。」
「お…じょうさん……と?」
「そうです。私の娘は大崎誠の妻なんです。」
「大崎誠!」
「知っていますよね、あの交通事故……。
玉突き事故で婿が乗って居た車を運転していたのが、中井美穂子さんでした。」
「……はい………申し訳ありませんでした。」
「医療費については、幸いにして保険が下りたと聞きました。」
「はい、車は会社の車でして……社長に頼んで借りていたようです。」
「そうですか……借りた車だったのですね。」
「はい。」
「借りたのは、君ですか?」
「あ………いいえ、美穂子です。」
「美穂子さんが……そうですか。」
「あの………俺、謝ります。」
「謝って頂きたくて来て頂いたわけではありません。
教えて頂きたくて来て頂いたのです。」
「教える? 俺が?……ですか?」
「はい、教えて頂きたいのです。
この場に私の婿・大崎誠と娘の華子を呼んでも宜しいでしょうか?」
「えっ?」
「酷いことをしていると理解しています。
ただ、あの事故は娘夫婦の仲を裂く可能性があるのです。
どうか親心をお許し頂きたい。」
「夫婦の仲を裂く………。」
「はい、大崎のご両親が行っていることを承知しています。
そのことにつきまして、誠は中井良太さんに謝罪したいと申しております。
それもあり、同席をお許し願いたいのでございます。
どうか、同席をお許し下さい。」
「………そうですよね。
あの事故……俺もショックで……奥さんもショックだった……ですよね。
………いいです。同席で………。」
中井良太の許可を得た父が華子と誠を呼んだ。
中井良太の話をが終わるのを、僕は母と二人で隣の部屋で待った。
僕は襖に耳を当てて話を聞こうとした。
すると、母が僕の耳元で「恥ずかしい事をなさらないで下さいまし、氏郷さん。」と言った。
僕は「はい、お母様。」と返事して母の前に座った。
僕は話が聞きたくて仕方なかった。
母も同じだろうと思ったが、母は夫である父に絶大な信頼を寄せている。
こんな場面でも、それは変わらない強い夫婦の絆を僕は感じた。




