家庭
川口孝三郎に誘われて休日に外出するようになってから、矢沢和宏を思い出すことが多くなった。
私は自己分析をしている。
今、分かることは【罪悪感】を抱いたまま時間だけが過ぎ去ったという事実だ。
今思うと、大した問題では無かった。
それなのに、酷いことをした。
今の和宏の幸せを祈った。
川口孝三郎には離婚相手との間に娘が一人居る。
離婚理由を私は敢えて聞いていない。
友達なら離婚理由など関係ないからだ。
◇◇◇◇
幸代から電話が架かって来た。
公衆電話からだった。
「華ちゃん、私。」
「さっちゃん、どうしたの?」
「主人に……主人に子どもが居たの。」
「え………………。」
「浮気相手との子を認知してるの。」
「………………………。」
「………私の結婚てなんだったんだろう。」
「さっちゃん………。」
「こんな目に遭っても離婚すら出来ないなんて………。」
「出来ないの?」
「だって、産んだ子を置いて行かないといけないのよ。
私が産んで育てているのに………置いて行かないといけないの。」
「どうして? 連れて出たらいいじゃないの。」
「無理よ。私、何処にも就職しなかったから………。」
「あ…………お金……。」
「うん、働いてないから無いのよ。お金………。
就職しないと、子どもに食べさせることさえ叶わない。」
「さっちゃん………私の家は?」
「えっ?」
「狭いけど、私と一緒にお子さんを育てるのは、どうかしら?」
「そんな……華ちゃんに苦労掛けることなんて出来ないわ。」
電話の向こうの幸代は泣いていた。
公衆電話ボックスの中で泣いていた。
愛した夫では無くても、苦しいのだと私は思った。
夫への想いでは無いのかもしれない。
子どもの親権を取れない可能性が高いと幸代が思っているからだ。
幸代を助けたかった。
兄に相談など出来ない。
相談出来る相手は、孝三郎しか居なかった。
離婚歴がある孝三郎に相談することに決めた。
◇◇◇◇
孝三郎に電話をすると、直ぐに会って貰えた。
「無理言って、本当に済みません。」
「そんな他人行儀なこと言わんといてぇや。」
「……他人……ですもの。」
「ええええええ………つれないなぁ……。」
「あの、相談なんですけれども………。」
「うん、友人の旦那さんが浮気して、子が出来たんやな。」
「ええ、そうなの。
離婚して親権って彼女が取れるかしら?」
「取れるんとちゃうかな?」
「本当?」
「うちの奥さん……専業主婦やったけど、親権取れたからな。
あ! 俺は浮気してませんから!」
「親権、取れるのね。」
「おいっ! 俺のこと気にならへんのか?」
「さっちゃん、無理だと思ってるわ。」
「おお~~い、聞いてはりますか?」
「えっ? 何?」
「そやから、俺は浮気してません!って言うてんけど、聞いてた?」
「聞いてましたよ。不貞行為はしてなかったのでしょう。」
「そや!」
「不貞行為をしてなかった孝三郎さんが、どうして親権を取れなかったのかし
ら?」
「それはやな………なんでやろ?」
「分からないのね。
だったら、さっちゃんの場合がどうなるのか……全く分からないわ。
さっちゃん………離婚出来ないって思ってるし………。」
「おお~~い、俺のこと気にならへんのか?」
「今はそれどころじゃないの。」
「俺のこと……それどころやないって……ショックや。」
「孝三郎さんは、親権を取りたくなかったの?」
「俺? 自信が無かったんや。一人で子育ては……。
そやかて、奥さんが専業主婦で家事も育児も全部してくれてはったさかい。
俺は……自信なかったよってにな。
その友人の場合は、どないなん?
旦那さんの気持ちが俺と同じやったら、意外と簡単やと思うで。」
「………どうかしら?
彼女、お見合いで結婚して、男の子を最低二人産まないといけなかったの。
婚家と自分の養父母の為に………。」
「え………………なんや、それっ!」
「だから、無理なんじゃないかと思ったの。」
「それは……難しいことになるやろな。
けど、まるで戦前の日本やん。
戦争が終わって『最早、戦後ではない。』って言うた掃除大臣もおったよな。
俺らが産まれた頃に………。
そやのに……昔の日本みたいな家やな。」
「そうなの! だから、家を出られたら、さっちゃんにとって幸せな日々を送れる
のじゃないかしら?」
「それは、どないやろ?」
「えっ? どうして、そう思うの?」
「それは、その……君は、さっちゃんとかいう友人やないやろ。
本人の気持ちは本人でないと分からへんやん。
君……その子の気持ち、決めつけてないか?
揺れてるかもしれんし、見合いでも情が湧いてるかもしれん。
兎に角、その子が『助けて!』って言うまでは見守った方がエエと思うけどな。
離婚って結婚より大変やからな。」
「………そうね。」
私は何もしなかった。
ただ見守るのみ、話を聞くのみ、にした。
そのまま時間が過ぎていった。
◇◇◇◇
保育所で私は雄一の子どもの「いちご組」を担当した。
その日々で、雄一の子どもの様子が気になった。
健常児でないのではないだろうか――との思いが強くなった。
私は隣の「りんご組」の担任にも、そして所長と副所長にも様子を見て貰った。
「発達が……定型ではないように思いますね。」
「ご両親様にお話しする必要があると思います。」
「そうですね。」
「その上で、出来るだけ早く児童相談所で検査を受けられることをお勧めしたいと
思っております。」
「お願い出来ますか? 高嶋先生。
勿論、所長の私も同席させて頂きます。」
「はい、そのように進めさせて頂きます。
あの……所長先生。」
「何でしょう。」
「加配は可能でしょうか?」
「支援する必要があると認められる療育手帳が発行されたら加配します。」
「分かりました。」
「加配の件もあります。児童相談所へ行って頂くようにお話ししましょう。」
「はい。」
私は、連絡帳に記すだけではなく、電話を架けた。




