最高の笑顔
あれから随分時が過ぎ去った。
私は工場で働きながら、保母の資格を取った。
工場への転職の時から私は、何かの資格取得を目指していた。
父の庇護下から出たことで、「資格」の有無で、女性が一人で生きられるかどうかも変わるのだと思い知らされた。
何の資格を取得しようかと考えていた時に、義姉が「もう一度働きたい。」と言った。
義姉の「子ども達が小学校へ入学したら働くことを再開出来る。」と義姉は言った。
⦅では、乳幼児の場合は?⦆と考えて、私は保母の資格を得ることを決めた。
なるべく給与を無駄に使わないようにして、学ぶための資金にした。
そして、保母試験に合格した。
母が幼い頃から私に学ばせてくれたピアノが役に立った。
保母になるにはオルガンを弾かねばならないからだ。
私は母に心から感謝した。
そして、28歳の今、私は保母として保育所で働いている。
その保育所に忘れられない姿を見つけた。
入所式でその姿を見つけた私は、一瞬動けなくなった。
それは谷川雄一と愛子夫妻だった。
二人が手を取って幼い男の子を連れている。
目の前に3人が進んできた時、私は我に返った。
「御入所、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「ありがとうご………あれっ? 君は氏郷の妹さんだよね。」
「あ………はい、そうです。」
「まぁ、氏郷さんの妹さんなの?」
「うん、そうだよ。」
「じゃあ、華子さん……?」
「はい、華子です。」
「あの、ここの先生?」
「はい、保母です。」
「高嶋家のご令嬢が?」
「あなた………。」
「あ……驚いたんだよ。短大在学中から見合いしてたから……。
まさか働いているとは………。」
「あなた! 失礼だわ。
ごめんなさい、華子さん。」
「いいえ、どうかお気になさらずに……。
それよりも、今日は御入所おめでとうございます。
式が始まる時間もございますので、あちらからお入り下さい。」
「あ……そうだった。行こう。」
「ええ、華子さん、これからよろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
「華子さん、終わったら少し話さないか? 氏郷のこととか………。」
「ええ、私も華子さんとお話ししたいです。
お忙しいでしょうけれども、お時間を頂戴出来れば……。」
「はい、承知致しました。
では、先ずはあちらへ……どうぞお進み下さい。」
私は視線を次に親子に向けた。
全ての親子が最高の笑顔だった。
雄一も愛子も……そして二人の子どもも……。
入所式が終わってから、雄一と愛子夫妻が少しだけ話し掛けて来た。
聞くと、入所した子は4人目の子だそうだ。
雄一は私との前の人生で子どもを授かることさえ嫌がっていた。
それが、愛する女性との間では4人も子どもが授かり、二人の笑顔は最高に輝いていた。
私は良かったと思った。
もう心は痛いと悲鳴を上げるようなことは無くなっていた。
長い一方的な想いを、時が薄めてくれたのだ。
◇◇◇◇
今の私はアパートに住んでいる。
アパートに帰ると、電話が鳴った。
「もしもし。」
「俺……終わった?」
「うん、終わったわ。」
「そうか、お疲れさん。」
「ありがとう。」
「今度会えるのは、来週の日曜日やな。」
「うん。」
「長いなぁ~。」
「そう?」
「華ちゃん、つれないなぁ……俺、寂しいわ。」
「あのね、疲れてるから……もうお風呂に入って休みたいの。
だから、電話を切ります。」
「ええ―――っ! もう切るのか? ホンマにつれないなぁ……。
けど、しんどいんやったら、しゃーないわ。
俺、我慢する。」
「我慢して下さいまし。お休みなさい。」
「つれない……寂しい……。」
「お休みなさい。」
「はぁ…………分かった! 寂しいけど……お休み。
ええ夢見ぃや。」
「ありがとう。切ります。」
「え」
電話を切った私の頬が緩んだ。
そのまま浴室へ行き、ゆっくり入浴した。
そして、ベッドに倒れ込むように横になった。
疲れたけれども、最高の笑顔を一杯見られたことが嬉しかった。
雄一と愛子の幸せな笑顔を見られたことが、本当に嬉しかった。




