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第9話 犯人探し


 私たちは、そのまま小型魔獣の厩舎へ向かった。

 昨日来た時と同じように、土と藁の匂いがする。


 アルが扉を開けると、中にいた小型魔獣たちが一斉にこちらを見た。

 元気な子たちは、こちらを見て耳を動かしたり、尻尾を揺らしたりしている。


 昨日より、少しだけ警戒が薄い気がした。


「ぴぃ」


 鳥型の魔獣が、小さく鳴く。

 私は思わず目を細めた。


 可愛い。


 だが、奥の方にいる何匹かは、まだ身体を縮こまらせていた。

 脚に傷がある子。羽を痛めている子。


 首や脚に、粗悪な紐を巻かれていた子。

 その姿を見ると、胸の奥に静かな怒りが戻ってくる。


「まずは治療だな」

「ああ」


 アルはすぐに頷いた。

 昨日と同じように、彼は傷ついた魔獣の前にしゃがむ。


 私はその隣で、魔獣たちにゆっくりと魔力を流した。

 強すぎないように。怯えさせないように。


 細く、柔らかく、包み込むように。


「怖くないぞ」


 私は檻の中の兎型の魔獣に声をかける。

 兎型の魔獣は、はじめびくりと身体を震わせた。


 だが、私の魔力に触れると、少しずつ耳を下げた。


「きゅ……」


 か細く鳴き、こちらを見上げる。


「いい子だ」


 私はそっと頭を撫でる。

 柔らかい。温かい。


 そして、震えている。

 この震えを与えた者がいる。


 そう思うだけで、腹立たしかった。


 アルの手元では、淡い白い光が広がっていた。

 傷ついた脚に手をかざすと、赤く腫れていた部分がゆっくりと落ち着いていく。


 治癒魔法、私には使えないものだ。

 だからこそ、アルの魔法は少し眩しく見える。


「見事だな」

「……急に褒めるな」

「本当のことだ。お前の魔法は優しい」


 アルは手を止めかけた。

 そして、すぐに視線を逸らす。


「魔獣が怯えるだろう。手を止めるな」

「お前が変なことを言うからだ」

「褒めただけだが」

「……まあいい」


 耳が少し赤いな、やはりアルも可愛い。

 だが今は、それより魔獣たちだ。


 アルが治療している間、私は傷ついた子たちの様子を見る。

 どの子も、傷の位置が似ていた。


 脚、羽、首元。

 逃げようとしたところを掴まれたか、押さえつけられた時についた傷だろう。


 そして、粗悪な紐。


 私は昨日外したものを拾い、指先で術式をなぞった。

 術式が浅く、雑だ。魔獣の負担など考えていない。


 だが、どれも同じ癖がある。


「アル」

「なんだ」

「この紐に刻まれている術式、どれも同じものだ」


 アルがこちらを見る。


「わかるのか?」

「ああ」

「術式の解析もできるのか」

「作るよりも壊すほうが得意だがな」


 私は紐を持ち上げる。


「構造を知らなければ、綺麗に壊せない。雑に壊せば、魔獣の方に負担がかかるかもしれないからな」

「……すごいな」


 アルが小さく言った。

 私は少し首を傾げる。


「そうか?」

「そうだ。術式を見ただけで中身を読んで、しかも壊せる者は多くない」

「まあ、それくらいできなければ困ったからな」

「困った?」

「気にするな」


 私は紐から指を離した。

 前世ではその程度のことをできなければ、魔王の座から落ちていただろう。


 だが言い方をしくじったな。

 実際、彼は少し困ったような顔をしただけだった。


「……まあ、お前なら何でもありそうだな」

「わかってきたな」

「わかりたくはなかったが」


 アルはため息をつく。


 その横で、小さな狼型の魔獣が鼻をひくつかせた。

 そして突然、びくりと身体を縮める。


「くぅ……」


 低く怯えた声。

 私はすぐにその子の前にしゃがむ。


「どうした」


 狼型の魔獣は、私の手元ではなく、厩舎の入口の方を見ていた。

 だが、そこには誰もいない。


 私は周囲を見回す。

 空気に、かすかな匂いが残っていた。


 甘い。

 花のような、油のような匂い。


「……香水か?」

「何か匂うのか?」


 アルが尋ねる。


「ああ。かなり薄いが、甘い匂いが残っている。香水……いや、整髪料かもしれない」

「よく気づいたな」

「私は女性だからな」


 私がそう答えると、アルは微妙な顔をした。


「それは理由になるのか?」

「なるだろう。こういう匂いは、男よりは気づきやすい」


 それに、私は前世の魔王のころから女性だからな。

 一応、身なりに気を遣っていたほうだ。


 魔王がダサかったり臭かったりしたら、威厳がないからな。


 私は狼型の魔獣に手を伸ばす。

 その子はまだ震えていた。


「その匂いが怖いのか?」

「くぅ……」


 小さく鳴く。

 肯定しているように聞こえた。


 私は奥の方にいた子鹿型の魔獣も見る。

 子鹿型の魔獣も、同じように入口の方を警戒していた。


 匂いだ。

 この子たちは、その匂いを覚えている。


「犯人は、香水か整髪料を使っている可能性があるな」

「女子生徒か、身だしなみに特に気を遣う男子生徒か」

「どちらもあり得るな」


 私は頷く。


 その時、鳥型の魔獣が檻の隅で小さく羽を震わせた。


「ぴ……」


 視線の先には、私の布袋があった。

 いや、布袋そのものではない。


 布袋から少しはみ出していた、鮮やかな赤い布。

 魔獣たちを拭くために持ってきた布の一枚だ。


「これか?」


 私は赤い布を取り出す。

 鳥型の魔獣が、さらに身体を縮めた。


 兎型の魔獣も耳を伏せる。


「……赤い色に反応しているのか?」

「いや」


 私は布を揺らしてみる。

 反応はある。


 だが、色そのものというより、何かを思い出しているようだった。

 私は少し考える。


 赤い布、鮮やかな飾り、揺れるもの……。


「リボンかもしれないな」

「リボン?」

「ああ。女子生徒の制服飾りに、鮮やかなリボンをつけている者がいるだろう」

「……いるな」


 アルの表情が少し険しくなる。


「よく見ているんだな」

「女だからな」

「またそれか」

「女は女の装いを見るものだ。特に、目立つ飾りはな」


 前世でもそうだった。

 魔王城に来る女魔族たちは、髪飾りや衣装に随分とこだわっていた。


 あまり表情には出さなかったが、私はそういうものを見るのが嫌いではなかった。

 可愛いものは、人でも物でも可愛い。


 まあ、今はその可愛さが腹立たしい手がかりになっているが。


「つまり、匂いとリボン。さらに粗悪な制御具か」


 アルが言う。


「ああ。それに、傷つけられているのは小型の子ばかりだ。大型には手を出していない」

「抵抗されにくい相手を選んだのだろうな」


 アルの声も低かった。

 やはり、怒っている。


 普段は冷静な顔をしているくせに、魔獣のこととなるとちゃんと怒る。

 そういうところは好ましい。


「実に卑怯だ」


 私は低く呟く。


 小型魔獣なら抵抗しても押さえつけられる。

 傷つけても、すぐには大事にならない。


 そう考えて選んだのだとしたら、なおさら許せない。

 私は立ち上がった。


「よし、犯人を探すか」

「だろうな」


 アルは予想していたように頷いた。


「今すぐだ」

「待て」

「なんだ?」

「お前、怪しい者を片端から問い詰めるつもりだろう」

「そうだな、だがなぜわかった?」

「顔に書いてある」

「ほう、便利だな、顔というものは」

「そういう意味ではない」


 アルは額に手を当てた。


「尋問はまだするな」

「では、聞き込みだ」

「お前がやると、尋問になる」

「加減はするさ」

「その言い方がもう怖い」


 失礼なことを言う。

 だが、アルが止める理由もわからなくはない。


 この学園には、この学園の手順がある。

 私は魔王だった頃、面倒な手順は力で押し通すことが多かった。


 だが今は伯爵令嬢だ。

 それに、ここにはアルがいる。


「では、どうする」


 私が尋ねると、アルは少し安心したように息を吐いた。


「まずは管理教師に報告する。魔獣の傷、粗悪な制御具、匂いとリボンへの反応。それから、ここへの出入り記録を確認する」

「記録があるのか?」

「ああ。厩舎に入る生徒は、基本的に名前を残す決まりになっている」

「便利だな」

「お前が片端から詰め寄るよりは確実だ」

「それはやってみなければわからない」

「やるな」


 即答された。

 私は少し不満だったが、ひとまず頷いた。


「わかった。まずは記録だな」

「そうだ」

「その後で、怪しい者を片端から――」

「問い詰めない」

「聞き込みをする」

「穏便にな」

「努力しよう」

「……不安しかないな」


 アルはまたため息をついた。


 私は魔獣たちの方を見る。

 兎型の魔獣が、私の足元に近づいてきていた。


 まだ少し怯えているが、さっきよりは目が柔らかい。


「きゅ」


 小さく鳴いて、私の指先に鼻を寄せる。

 私はそっと頭を撫でた。


「大丈夫だ。お前たちを傷つけた者は、必ず見つける」


 兎型の魔獣は、目を細める。

 その後ろで、アルが静かに言った。


「……本当に、お前の言葉は魔獣に届くんだな」

「話せばわかる子たちだからな」

「それだけではない気がするが」

「そうか?」

「ああ」


 アルは少し真剣な顔をしていた。

 私はその表情を見て、ふと思う。


 やはり、こいつは魔獣に優しい。

 そして、魔獣を見る目が柔らかい。


 こいつも可愛い。

 撫でたい。


 だが今撫でると、また話が進まなくなる気がする。

 私はぐっと堪えた。


「では、管理教師のところへ行くぞ」

「ああ」


 私たちは魔獣たちをもう一度落ち着かせてから、厩舎を出た。


 管理教師は、厩舎の近くにある小さな管理室にいた。

 年配の男性教師で、魔獣管理を担当しているらしい。


 アルが事情を説明すると、教師の顔色が変わった。


「小型魔獣が、そんなことに……?」


 どうやら、本当に知らなかったようだ。

 私はその反応を見て、少しだけ怒りを抑える。


 少なくとも、この教師が意図的に放置していたわけではなさそうだった。

 アルは拾った粗悪な紐を机の上に置く。


「正式な管理具ではありません。術式も粗悪です」


 管理教師は紐を確認し、表情を険しくした。


「これは……学園で使うものではありません。誰かが勝手に持ち込んだのでしょう」

「出入り記録を確認させてください」


 アルが言うと、教師はすぐに頷いた。


「ええ、もちろんです」


 分厚い記録簿が机の上に置かれる。

 日付、時間、名前、目的。


 かなり細かく書かれている。

 私はそれを見て、少し感心した。


 人間の学園というものは、思ったよりも几帳面だ。

 私はアルが見ている横から覗き込んだ。


「この日と、この日。それからこの日も、放課後に同じ名前がありますね」


 アルが指差す。

 そこには、女子生徒の名前がいくつか並んでいた。


 私はその名前に見覚えがあった。

 ベッラの周りによくいる令嬢たちだ。


「……なるほど」


 私は静かに呟く。

 アルも私を見た。


「知っているのか?」

「ああ。義姉の取り巻きだ」


 管理教師の顔が強張る。

 アルは少し眉を寄せた。


「まだ確定ではない」

「わかっている」


 私は頷く。


「だから、片端から聞けばいいのだな」

「だから待て」


 アルが即座に止める。


「まだ記録を全部確認していない」

「では全部確認してから、片端から聞く」

「その言い方だと、やはり尋問に聞こえる」

「便利な言葉だな、尋問」

「便利に使うな」


 アルは疲れたように息を吐いた。

 私は記録簿の名前を見つめる。


 まだ確定ではない。

 だが、もし本当にそうなら。


 私は静かに笑った。


「楽しみだな」

「何がだ」

「話を聞くのが」

「その顔で言うな」


 アルが少し引いたように言う。

 失礼な男だ。


 私はただ、可愛いものを傷つけた愚か者に、きちんと話を聞こうと思っているだけなのに。

 丁寧に、逃げられないように。


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